Satyaprem Ki Katha

4.0
Satyaprem Ki Katha
「Satyaprem Ki Katha」

 2010年代からヒンディー語映画に顕著に見られるようになった2つの潮流に、レイプを巡る映画とLGBTQを巡る映画がある。レイプについては、2012年のデリー集団強姦事件をきっかけに女性の安全問題が国家的な急務となり、映画界もそれに敏感に反応して、レイプ撲滅に寄与するような主題の映画が好んで作られるようになった。また、ヒンディー語映画界は昔からLGBTQの啓蒙に努めてきており、2010年代以降、性の多様性が様々な形でストーリーに取り込まれるようになった。

 2023年6月29日公開の「Satyaprem Ki Katha」は、その2つの潮流の合流点ともいえるロマンス映画である。監督はサミール・ヴィドワンス。今まで「Anandi Gopal」(2019年)などのマラーティー語映画を撮ってきた人物で、ヒンディー語映画の監督は今回が初である。

 主演は、カールティク・アーリヤンとキヤーラー・アードヴァーニー。この二人は「Bhool Bhulaiyaa 2」(2022年)で共演し当てている。両者とも上り調子で、現在トップ集団を狙える位置にいるスターたちだ。他に、ガジラージ・ラーオ、スプリヤー・パータク、スィッダールト・ランデーリヤー、アヌラーダー・パテール、ラージパール・ヤーダヴ、ニルミティー・サーワントなどが出演している。

 題名を直訳すれば「純愛の物語」という意味だが、主人公二人の名前が掛けられている。ヒーローの名前はサティヤプレーム(純愛)、ヒロインの名前はカター(物語)になっている。

 サティヤプレーム、通称サットゥー(カールティク・アーリヤン)はグジャラート州アハマダーバードに住む怠け者の青年だった。法学部に通っていたが、試験に受からず、弁護士資格は持っていなかった。父親ナーラーヤン(ガジラージ・ラーオ)とは友人のような関係であったが、家は母親ディーワーリー(スプリヤー・パータク)と妹セージャルに支配されていた。サットゥーは早く結婚したがっていたが、両親は妹の縁談の方を先に進めようとする。それに不満を持つサットゥーであったが、彼は無職だったため、確かに結婚までの道のりはまだ遠かった。

 実は1年前のナヴラートリ祭でサットゥーはカター・カパーリヤー(キヤーラー・アードヴァーニー)という美女と出会い、恋に落ちていた。カターの父親ハリキシャン(スィッダールト・ランデーリヤー)は、ハリキシャン・ファルサーン&ドークラー・センター(HFDC)という地元では有名な菓子屋を経営していた。しかし、カターにはタパンという彼氏がおり、サットゥーは見向きもされなかった。

 今年もナヴラートリ祭の日がやって来た。サットゥーはカターに会うのを楽しみに祭り会場に赴くが、ハリキシャンからカターは体調が悪くて欠席だと伝えられる。サットゥーはカパーリヤー家にカターの様子を見に行くが、彼女はリストカットをしていた。サットゥーはカターを病院に運ぶ。カターは一命を取り留める。

 ハリキシャンはカターを救ったサットゥーを見て彼を娘の婿にしようと思い立つ。ナーラーヤンとディーワーリーにとってもこの縁談は願ったり叶ったりだった。結婚のおかげでサットゥーはHFDCに就職もできた。盛大に二人の結婚式が行われる。

 ところが結婚後、カターはサットゥーのいびきがうるさいのを口実に彼と一緒に寝ようとしなかった。そんなことが何日も続き、さすがにお人好しのサットゥーも不審に思う。ある晩、カターは自分のことを「アセクシャル」だと打ち明ける。サットゥーはそんな彼女を優しく受け入れる。カターも次第にサットゥーに心を開くようになる。

 ところが「アセクシャル」というのは嘘だった。実はカターは、元恋人のタパンにデートレイプをされており、男性恐怖症になっていたのだった。それを知ったサットゥーはタパンを殴り、警察に捕まる。だが、タパンが被害届を出さなかったためすぐに釈放された。カターもナーラーヤン、ディーワーリー、そしてディーワーリーの姉クリスマス・ベーン(ニルミティー・サーワント)にデートレイプのことを打ち明ける。

 カターの本当の苦悩を知ったサットゥーはカターに被害届を出してタパンと戦うように言う。当初カターは躊躇するが、やがてサットゥーに同意し、タパンに法の裁きを受けさせることを決める。

 映画の序盤は古風なロマンス映画のスタイルをなぞる。怠け者の主人公サットゥーが裕福な実業家の娘カターに叶わぬ恋をする。1年越しの恋は、サットゥーが自殺しようとしたカターを救ったことで急転直下叶うこととなり、二人は結婚をする。何の工夫もない展開で、少々失望しながら観ていた。

 ところが初夜から映画の雰囲気はガラリと変わる。カターがサットゥーと同衾するのを拒否したのだ。当初、その理由はサットゥーのいびきだった。単純なサットゥーはいびきを治してカターに早く受け入れてもらおうと必死になる。次にカターは「アセクシャル」だと言い出す。つまり、セックスに興味のない性的指向性を持っていると言うのだ。やはり単純なサットゥーはアセクシャルについて真剣に調べ出す。これをもって急にLGBTQ映画に変化し、俄然面白くなる。

 しかしながら、それも真実ではなかった。実はカターはデートレイプの被害者であり、そのときのトラウマが元で、男性恐怖症に陥っていた。男性とのセックスはおろか、男性がそばにいることすら耐えられなくなってしまったのである。しかも、カターは妊娠し、中絶を経験していた。父親ハリキシャンは彼女をふしだらな娘だと決め付け、彼女が自殺未遂をしたときも、「いっそのこと死んでくれた方が良かった」とつぶやく。彼がサットゥーというどう見ても格下の男性をカターの結婚相手に選んだのも、早く片づけてしまいたいからだった。

 映画の最後には、「インドにおいて96%以上のレイプは知り合いの犯行である」と示される。しかも、多くは夫による妻のレイプだという。「Satyaprem Ki Katha」のストーリーには、デートレイプについてインド社会に蔓延した誤解を正そうという高尚な目的の下、いくつかの要素が混ぜ込まれている。

 まずはデートレイプそのものだ。映画中にタパンがカターをレイプする映像は出て来ない。だが、カターがレイプされたときのことを思い出して叫び出すシーンがある。それから察するに、タパンは嫌がるカターを無理矢理押し倒してレイプをしたようである。日本にも「嫌よ嫌よも好きのうち」というフレーズがあるが、男性は女性の「ノー」を「イエス」だと都合良く解釈することがある。だが、女性の「ノー」は「ノー」以外の何物でもないということが映画の中で強調されていた。

 タパンとは対照的にサットゥーは、決して妻になったカターに性交を強要しなかった。配偶者であっても、女性が「嫌」ということはしないというのが正しい夫婦関係である。サットゥーは確かに怠け者であったが、「純愛」を意味するその名の通り、女性の意志を尊重することができる人物であった。サットゥーは童貞だったが、カターが男性恐怖症を克服できていない内は決して性交を強要しないと約束する。レイプ被害者にとっては理想的なパートナーだ。「Satyaprem Ki Katha」は新たなヒーロー像を確立したといえる。

 また、インド社会では家の名誉が極度に重視され、家の女性が誘拐されたり強姦されたりすることは家にとって最大の屈辱とされている。よって、強姦事件が起こると、被害女性やその家族が、世間の目を気にして被害届を出さない、もしくは出させないことが多い。映画の最後では、99%以上の強姦事件が闇に埋もれているという絶望的なデータも示されていた。カターの父親ハリキシャンは強姦されたカターに寄り添わなかったばかりか、逆に彼女を好き放題させていたから結婚前に恋人と肉体関係を持ち、妊娠までしてしまったと考えていた。彼にとってカターは家のお荷物であり、どんな手段を使ってでも片づけてしまわなければならない存在であった。この無理解がカターをさらに追い込んだのである。

 だが、カターも決して悲観的で無力な女性ではなかった。自殺未遂したカターは当初、自分を救ったサットゥーを恨んでいたが、父親が自分の死を望んでいると知り、むしろ生き残ることが父親への復讐になると前向きに捉える。また、サットゥーの献身的な愛によって心を開いた後は、自殺する勇気があるならレイプ犯のタパンを訴えることに何の躊躇も要らないと気づき、行動に出る。サットゥーはカターに、「ヒロインではなくヒーローになれ」と言って応援するが、それは正しくレイプの被害に遭って悩むインドの女性たちに向けられたメッセージでもあった。

 いくら女性の社会進出が進み、女性の力が強くなった現代のインド社会においても、性を巡る事柄については、まだまだ男尊女卑が根強く残っていることがこの映画で改めて明らかになる。映画の序盤では、サットゥーの家は女性によって支配されていた。サットゥーと父親ナーラーヤンは家の女性たちにこき使われており、全く尊厳がなかった。カターが嫁入りして来たことで母親のディーワーリーは急に家事をし出すが、この急変はカターが息子を尻に敷くようなことがないようにとの配慮であろうか。だが、基本的に女性が強い家であった。それに対しカターの家は家父長制に近く、ハリキシャンが権力を握っていた。カターは実家にいる限り救われなかったが、サットゥーと結婚し、女性が自立した集団の中に入ったことで、新たな勇気を得ることができたと解釈していいのではなかろうか。

 監督はマラーティーのはずだが、彼が初監督したこの「Satyaprem Ki Katha」はなぜかグジャラート州が舞台であった。セリフにもかなりグジャラーティー語が混じる。ロケ地には、グジャラート州の観光名所であるモーデーラーの太陽寺院やアハマダーバードのアタル橋などが含まれていた。ダンスももちろんグジャラート州名物ガルバー&ダンディヤーだ。定番をこれ見よがしに使っているところは確かに外からグジャラート州に来た人間が撮った映画らしいと感じた。

 「Satyaprem Ki Katha」は、現在当たっているカールティク・アーリヤンとキヤーラー・アードヴァーニー共演のロマンス映画だ。序盤は退屈だが、その退屈さは中盤以降を引き立たせるために計算されたものだと見ていい。最終的には、過去10年以上インドで社会問題となっているレイプを主題にし、デートレイプについて正しい知識を啓蒙する真面目な映画に着地する。興行的に成功しており、2023年のヒンディー語映画を代表するヒット作に数えられている。必見の映画である。