イスマト・チュグターイー(1915-1991年)はウルドゥー語文壇の著名な女流作家である。簡便な文体と共に、女性の性を赤裸々に作品に綴ったことで物議を醸した。彼女の代表作が1942年に発表された短編小説「Lihaaf(掛け布団)」だ。この小説にはレズ行為をほのめかす描写があり、これが「猥褻だ」とされて、イスマトは法廷に召喚されて謝罪を要求された。しかし、リベラルかつ勇敢な女性だったイスマトはそれを断固拒否し、裁判においても罪に問われることはなかった。
2019年7月21日にシュトゥットガルト・インド映画祭でプレミア上映された「Lihaaf」は、イスマト・チュグターイーの書いた短編小説「Lihaaf」を巡る裁判をベースにして、「Lihaaf」のストーリーが話中話として再現された作品である。監督はラーハト・カーズミー。イスマト・チュグターイーを演じるのは演技派女優タニシュター・チャタルジーだ。他に、ソーナール・セヘガル、ミール・サルワール、ショエーブ・シャー、アヌシュカー・セーン、ヴィーレーンドラ・サクセーナー、ナミター・ラールなどが出演している。
映画の時間軸は2つである。ひとつは1944年。「Lihaaf」が発表されてから2年後であり、ボンベイ在住のイスマト(タニシュター・チャタルジー)の元にラホールの裁判所から召喚状が届くところから始まる。容疑は「Lihaaf」に猥褻な表現をしたことだった。イスマトは、親友の作家、サアーダト・ハサン・マントー(ショエーブ・シャー)と共にラホールの裁判所に出頭する。
法廷のシーンが始まると、いよいよ「Lihaaf」の内容を再現した映像に移行し、時と場所は1922年のアリーガルになる。7歳の利発な少女イスマト(アヌシュカー・セーン)の視点から、まずはナワーブ(ミール・サルワール)に嫁いだベーガム・ジャーン(ソーナール・セヘガル)の美しさが語られる。だが、ナワーブはベーガムよりもずっと年上で、その上彼女に興味がなく、邸宅に住まわせている若者たちの世話をして毎日過ごしていた。次第にベーガムはフラストレーションを募らせていき、体調を崩す。医者の勧めに従ってナワーブはベーガムのためにマッサージ師のラッボー(ナミター・ラール)を雇う。ベーガムはラッボーの手業に恍惚とし、やがて二人はただならぬ関係になる。
ベーガムとラッボーの関係が深まっていたとき、ナワーブの邸宅にイスマトは居候することになる。イスマトは夜な夜なベーガムのベッドで掛け布団が象のように大きくなりモゾモゾと動く姿を目撃した。まだ幼いイスマトには何が起こっているのか全く分からなかった。
あるときラッボーは数日の暇をもらって故郷に帰る。ラッボーが帰ってこないことに苛立ちを隠せなくなったベーガムは、イスマトの身体をなで回す。イスマトは怖がり、ベーガムを避けるようになる。ラッボーが帰ってきたことでイスマトは安心する。ラッボーが帰ってくると、再び夜に掛け布団が象のように膨らんでモゾモゾ動くようになった。イスマトは勇気を出して電気を付け、掛け布団を外す。
時は戻って1944年。法廷で検察は一生懸命「Lihaaf」の描写が猥褻であることを立証しようとするが、イスマトは直接的な言葉は全く使っておらず、説得力に欠けた。結局、裁判長はイスマトを無罪放免する。
上映時間は1時間25分、短めの映画ではあるが、ひとつひとつのシーンを落ち着いて丁寧に描いており、文学作品の映画化にふさわしい風格のある作品に仕上がっていた。イスマト役を演じたタニシュター・チャタルジーの堂々とした演技も、イスマト本人の人となりをよく再現していたといえる。
「Lihaaf」の裁判を通して、「Lihaaf」を猥褻だと決め付ける人々の理屈が破綻していることが指摘されていた。高貴な女性がレズ行為に耽る描写をしてはならないとするが、「Lihaaf」のベーガム・ジャーンも元々は高貴な出身ではなく、その相手となったラッボーにしても低い身分の者だった。女性は猥褻な作品を書いてはならないとするが、男性が猥褻な作品を書くことが許されるのは男女不平等だった。ではそもそも「Lihaaf」の表現は猥褻なのかという議論もなされるが、イスマトは「盛り上がった掛け布団が象のようにモゾモゾ動く」様子を書いただけで、直接レズ行為を描写したわけではない。
一連の出来事を通して、インド社会において女性が男性と同じ自由や権利を与えられていないことが浮き彫りになる一方、イスマトのような勇気ある女性が「Lihaaf」のような作品を世に出すことで、一歩一歩女性を抑圧する力を後退させてきたことが示されていた。また、映像化された短編小説「Lihaaf」のストーリーにおいては、封建的な環境と不幸な結婚生活によって人生を束縛された女性が、自身の性に目覚め、それを楽しむ姿が描写されることで、女性の性的な自立が促されていた。
また、映像では気付きにくいかもしれないが、実はナワーブも同性愛者であった。一瞬だけ、ナワーブが若い男性の頬に手を当てているシーンが映る。ナワーブは同性愛者だったため、ベーガムに全く関心を寄せず、彼女と寝ることもなかったのである。
実は「Lihaaf」のストーリーは、イスマトが実際に出会った女性の身に起こったことをベースにしている。「Lihaaf」を発表した後、イスマトはベーガムのモデルになった女性と出会い、感謝されたという。その女性は、「Lihaaf」を読んで影響を受け、夫と離婚し、その後別の男性と再婚して子供ももうけ、望み通りの結婚生活を送ることができたようだ。
ナレーションも台詞も、ヒンディー語というよりはウルドゥー語である。しかもミルザー・ガーリブやダーグ・デヘルヴィーといったウルドゥー語詩人たちの詩がいくつも引用され、非常に文学的なやり取りがなされる。
「Lihaaf」は、著名なウルドゥー語女流作家イスマト・チュグターイーの同名短編小説をベースに、「Lihaaf」猥褻裁判を交えて、フェミニストであるイスマトの人となりや思想が示され、女性の地位向上や性的自立の重要性が訴えられていた。非常に文学的な作品で、主演タニシュター・チャタルジーの演技も光っている。特にウルドゥー語畑の人にお勧めの映画だ。