映画の出来を鑑賞前に予想する際、参考となる要素はいくつかあるのだが、やはりスターシステム健在のヒンディー語映画界では、どのスターが出演しているかを見ることでおおよその見当を付けることが可能である。最近は大スター出演の大予算映画が壮絶な大コケをすることが多いので必ずしも完璧な公式ではないが、ひとつのポイントであることは間違いない。2010年1月8日より公開された新作ヒンディー語映画「Dulha Mil Gaya」には、シャールク・カーンとスシュミター・セーンというビッグネームが出演しており、彼らにふさわしい規模の映画であることが推測された。
監督:ムダッサル・アズィーズ(新人)
制作:ヴィヴェーク・ヴァースワーニー
音楽:ラリト・パンディト
歌詞:ムダッサル・アズィーズ
振付:アハマド・カーン、ハワード・ローゼンマイヤー
衣装:シャーヒド・アーミル
出演:ファルディーン・カーン、スシュミター・セーン、イシター・シャルマー、シャールク・カーン(特別出演)、モーヒト・チャッダー、ターラー・シャルマー、パリークシト・サーニー、ビーナー・カーク、スチトラー・ピッライ、ハワード・ローゼンマイヤー、ヴィヴェーク・ヴァースワーニー、ジョニー・リーヴァル
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
西インド諸島トリニダード・トバゴ在住のテージ・ダンラージ(ファルディーン・カーン)は、大富豪の父親、故スーリヤラタン・ダンラージから50億ドルの資産を受け継ぐはずだったが、遺言により、厄介な条件付きであった。それは、パンジャーブの片田舎に住む父親の友人の娘サマルプリート・カプール(イシター・シャルマー)と15日以内に結婚するというものであった。テージは、地元ではドンザイ(トリニダード・トバゴのスラングで「ドル」という意味)と呼ばれる有名なプレイボーイであり、結婚など夢にも考えていなかった。だが、弁護士はとりあえず書類上結婚をしておいて、後は遺産を受け継いで悠々自適な生活を送ればいいと助言する。テージは早速パンジャーブへ飛び、サマルプリートの家族と話をして、手っ取り早く結婚を済ませる。そしてサマルプリートを残してトリニダード・トバゴに帰り、彼女の家族には毎月小切手を送り付ける。つまりテージは結婚を金で買ったのだった。 しかし、サマルプリートは田舎の純朴な少女で、結婚を心から信じていた。しかし、結婚後テージから何の連絡もなく、小切手だけが送られて来るため、不審に思い、トリニダード・トバゴに単身乗り込むことを決める。その飛行機の中で彼女は偶然、シマー(スシュミター・セーン)と出会う。 シマーは、トリニダード・トバゴ在住のトップモデルで、豪邸にて驕奢な生活を送っており、同様のライフスタイルを送るテージとも親しい間柄であった。シマーは、マイアミ在住の大富豪パワン・ラージ・ガーンディー、通称PRG(シャールク・カーン)に恋していたが、仕事を優先し、その関係を進展させようとは考えていなかった。 サマルプリートはテージに会おうとするが、警備員に追い返され、道路をふらついている内に自動車にはねられてしまう。そこを偶然通りかかったのがまたシマーで、彼女を家まで連れて行く。 幸い、サマルプリートは大きな怪我を負っていなかった。彼女はシマーに自分の身の上を話す。彼女の夫がテージであることを知ったシマーは驚くが、サマルプリートに同情し、彼女を支援することにする。テージに結婚を認めさせるには、テージがサマルプリートに恋することが一番重要だと考えたシマーは、サマルプリートのファッションを一変させ、レディーとしてのたしなみを教え込む。そして満を持してテージに、マイアミから来た友人サマーラーとして紹介する。 テージはサマーラーがサマルプリートであることに全く気が付かず、一目惚れしてしまう。シマーの巧みな誘導によりテージの恋心は膨らむ一方であった。そしてとうとうサマーラーと結婚することを決める。しかし、テージは自分が既婚者であることを思い出す。良心がとがめたテージは、サマーラーに愛の告白をすると同時に、自分が既婚者であり、結婚はできないと打ち明ける。だが、サマーラーこそが彼の妻サマルプリートであり、彼女は自分の正体を明かす。テージとサマルプリートは名実共に夫婦となる。 一方、サマルプリートはシマーがPRGと相思相愛ながら、仕事を優先するあまり、彼を失いそうになっていることに気付く。PRGはカルワー・チャウト祭のときにトリニダード・トバゴに来ており、その際サマルプリートとも親しくなっていた。シマーは、サマルプリートの言葉によって人生において何がもっとも重要かを思い出す。だが、PRGはマイアミに向けて出発するところだった。シマーは空港まで急ぎ、間一髪で追い付いて、彼にプロポーズをする。
大金持ちのNRI(在外インド人)でプレイボーイのテージと、パンジャーブの片田舎に住む純朴な少女サマルプリートのロマンスが主軸になっていたが、二人の縁結びの応援をするシマーとその恋人PRGのロマンスや、脇役になるがジガル(モーヒト・チャッダー)とターンヴィー(ターラー・シャルマー)のロマンスも同時並行的に描写されており、結果的に3組のカップルのラブストーリーとなっていた。テージとサマルプリートのロマンスでは、形式的な結婚がまず先にあり、その後にその仮面夫婦の間の真の恋愛の醸成を描くところや、田舎娘の格好をしてトリニダードまで来たサマルプリートがゴージャス・レディーに大変身してテージの気を引く展開で、それは「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)と共通していた。また、シマーとPRGのロマンスでは、愛よりも仕事を優先する人生の無意味さがテーマになっており、それは「Love Aaj Kal」(2009年)を思い出させた。言わば、「Dulha Mil Gaya」は、ここ最近大ヒットしたロマンス映画2作のエッセンスを1本の映画に詰め込んだような構成となっている。だが、そのストーリーテーリングは古風で粗が目立った。テージの帰りをひたすら待つサマルプリートのシーンは涙が溢れて来るし、変身したサマルプリートがテージを手玉に取るシーンは痛快だが、全体的に丁寧さに欠け、極上のエンターテイメントになっていなかった。この映画におけるスシュミター・セーンやシャールク・カーンの演技や役柄にも疑問符が付く。総じて、見た目は豪華絢爛であるが、その内容は、詰めが甘くて惜しい映画になっていた。
同時公開された「Pyaar Impossible」(2010年)では、美女がオタクの格好をして逆ナンパに挑戦し、人々がいかに外見のみで物事を判断するかを思い知るというシーンがあったが、「Dulha Mil Gaya」では逆に、田舎娘がファッションを大胆にチェンジして「夫」の心を勝ち取るという展開になっており、方向性は全く逆であったが、両作品の主張は「心こそが全て」であり、共通していて興味深かった。また、サマルプリートがシマーに突き付けた言葉「女性にとって、外でキャリアを積むよりも家を切り盛りする方がよっぽど偉大なこと」は、この映画の大きなメッセージになっていた。もちろん保守的なメッセージではあるが、シマーのキャラクターが極度に利己的でかなり嫌悪感を覚えるものになっていたため、説得力があった。
ムダッサル・アズィーズ監督は新人ながら、監督の他に脚本、台詞、挿入歌の歌詞などを1人で書いており、多芸な人物のようだが、「Dulha Mil Gaya」を見る限り、肝心の監督の才能に秀でたものが感じられなかった。
正直言って、既にヒンディー語映画界で不動の地位を築いたシャールク・カーンとスシュミター・セーンがなぜこの映画への出演にOKを出したのか理解できない。はっきり言ってしまえば、「Dulha Mil Gaya」は彼らのレベルの映画ではない。ファルディーン・カーンくらいの俳優が出演するのが似合っている。彼らの登場によって、映画が非常にアンバランスになってしまっていた。しかも、シャールクもスシュミターも、彼ら自身の基準以上の演技をしていなかった。俳優と作品、双方にとって損な映画になってしまっていた。
サマルプリートを演じたイシター・シャルマーは、一応「Dil Dosti Etc」(2007年)や「Loins of Punjab Presents」(2007年)などに出演しており、本作がデビュー作ではないのだが、なぜかデビュー扱いになっていた。どこにでもいそうなごく普通の外見の女優であり、ゴージャスなスシュミターと並ぶとその普通さが特に目立った。今後、ターラー・シャルマーみたいに、脇役女優としてならヒンディー語映画界で仕事をして行けると思うが、ヒロイン女優として大成するとは思えない。
ラリト・パンディトの音楽は、いかにも流行に乗ったモダンでゴージャスなものばかりだが、どこかで聞いたようなメロディーばかりで個性に欠け、あまり耳に残らない。唯一、「Dilrubaon Ke Jalwe」では、シャールク・カーンとスシュミター・セーンが、お互いの出演作の題名をネタに競り合うという面白い歌詞・踊りになっており、注目である。
物語の大部分はトリニダード・トバゴが舞台となっている。主にトリニダード島とトバゴ島から成る島国トリニダード・トバゴには歴史的理由でインド系移民が多く、同国が舞台のインド映画が作られること自体、特におかしいことではない。だが、映画のストーリーを理解する上でトリニダード島とトバゴ島の位置関係に関する前知識が少しだけ必要とされており、大部分の観客は置いてけぼりをくらうことになると思う。この点の解説をさりげなくしておくとよかったと感じた。トリニダード・トバゴの有名なクリケット選手ブライアン・ララに言及する台詞もあったが、それはインド人なら誰でも理解できるだろう。
「Dulha Mil Gaya」は、シャールク・カーンやスシュミター・セーンのようなA級の大スターが出演しているため、それにふさわしい出来の映画だと思う人もいるかもしれない。だが、彼らのスターパワーに映画が負けており、とてもアンバランスな映画になってしまっているし、彼らのベストの演技が見られる訳でもない。過度の期待と共にこの作品を観るのはやめた方がいい。