インドに長く住んでいると、年末年始とか正月とかあまり関係なくなって行くが、その年最初に観る映画にはちょっとだけ気を遣う。年明け早々下らない映画を観てしまうと、その先1年間に暗雲が立ちこめるような気がするのである。だから「初映画」となる作品の選択には慎重にならざるをえない。1月1日には数本の新作映画が公開されたが、どれもアピールに欠けるもので、しかも大学の履修手続きやバイクの修理などで忙しかったため、スキップしてしまった。そして本日(2010年1月8日)、一応期待できそうなヒンディー語映画が2本同時に公開された。「Pyaar Impossible」と「Dulha Mil Gaya」である。どちらでも良かったし、正直どちらが当たりになるか予想できなかったのだが、映画上映スケジュールの都合上、ヤシュラージ・フィルムスの「Pyaar Impossible」の方を先に観ることにした。結果的にはこの映画を「初映画」に選んで正解だった。
監督:ジュガル・ハンスラージ
制作:ウダイ・チョープラー
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:アンヴィター・ダット・グプタン
振付:アハマド・カーン
衣装:マニーシュ・マロートラー、シラーズ・スィッディーキー、ソニア・トミー
出演:ウダイ・チョープラー、プリヤンカー・チョープラー、ディノ・モレア、アヌパム・ケール
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、満席。
ムンバイー在住のオタク、アバイ・シャルマー(ウダイ・チョープラー)は、米国留学時代に出会ったアリーシャー(プリヤンカー・チョープラー)に片思いしており、7年経った後も彼女のことをひたすら想っていた。だが、アリーシャーは大学を中退しており、その後どこに行ったのか、どこで何をしているのか、全く分からなかった。 ところで、PCオタクのアバイは、革新的なソフトウェアを個人的に開発していた。それは、ウィンドウズ、マック、携帯電話など、あらゆるOSをひとつのプラットフォームに統合する「ユニティー」というソフトウェアであった。アバイは、このソフトウェアに興味を示したスィッダールト(ディノ・モレア)と商談に望む。だが、彼が取引成立前にソフトウェアの全プログラムを渡すように要求して来たため、父親(アヌパム・ケール)と電話で相談し、とりあえず断ることにした。 アバイは別の会社でそのソフトウェアのプレゼンテーションをしていたが、そこで、同様のソフトウェアをシンガポールの会社が発表する予定だということを耳にする。アバイは、スィッダールトが、席を外している間にソフトウェアを彼のPCからコピーして盗んだことに気付く。アバイは、父親の後押しもあり、シンガポールまで自分のソフトウェアを取り戻しに行く。 スィッダールトを探しにシンガポールまでやって来たが、乗り込んだシンガポールの会社の広報が偶然にも大学時代の片思いの人アリーシャーであった。アバイはどうしてもアリーシャーと面と向かって話をすることができず、仕方なしに会社から自宅へ向かう彼女の後を付ける。 アリーシャーはこの7年の間に結婚と離婚をしており、6歳の娘タニヤーを一人で育てていた。だが、タニヤーはとんでもないお転婆娘で、あらゆる子守が匙を投げてしまうほどであった。アリーシャーは日中会社で働かなければならず、子守を緊急に捜していた。そこへ現れたのがアバイであったため、てっきり彼を子守だと勘違いし、彼にタニヤーの子守を頼む。アリーシャーはアバイが大学時代の同級生であることなど全く気付かなかった。アバイもお人好しだったため、それを受け容れてしまう。 最初はタニヤーに手を焼いたアバイであったが、プレゼント攻勢をして仲良くなる。タニヤーはアバイがアリーシャーに惚れていることに勘付き、彼を支援するようになる。 ところで、シンガポールの会社にスィッダールトという人物はいなかった。代わりに、ヴァルン(ディノ・モレア)という人物が、アバイの作ったソフトウェア「ユニティー」を売り込んでおり、CEOと取引を交わした。プレイボーイのヴァルンは広報のアリーシャーにアプローチをしており、アリーシャーも満更ではなかった。ある日、ヴァルンがアリーシャーの家に呼ばれて来たため、アバイは遂にヴァルンを見つけることができた。だが、アバイは顔を見られないように工夫し、何とかその場を凌ぐ。 別の日にアバイは改めてヴァルンに会いに行き、「ユニティー」を返すように要求する。ヴァルンは最初彼に大金を渡して追い払おうとするが、アバイはその誘いには乗らず、ヴァルンと対決することを決める。アバイは会社にメカニックとして潜り込み、セキュリティー・サーバーの中に保管されていた「ユニティー」を改変する。それは「ユニティー」の発表直前のことであった。 ところが、その晩にヴァルンが突然アリーシャーの家を訪ねて来たため、アバイはヴァルンと対面してしまう。ヴァルンはアバイが彼のソフトウェアを盗もうとしていると主張する。すっかりアバイのことを信用していたアリーシャーは、アバイが子守でないことを知ってショックを受け、彼を家から追い出す。 「ユニティー」発表の日が来た。ちょうどその日、タニヤーの学校の発表会があり、まずアリーシャーはそちらに出席していた。その舞台でタニヤーは、1人の男の子が大学時代から1人の女の子のことを7年間ずっと想い続けているという演劇を見せる。そのストーリーを見て、それが自分の人生と奇妙に合致していることに気付いたアリーシャーは、タニヤーに誰がストーリーを考えたのか聞く。タニヤーは、アバイが教えてくれたと言う。そのとき初めて、アリーシャーはアバイの素性や彼の気持ちを知る。 アバイを探し出したアリーシャーは、彼に謝罪し、共に「ユニティー」発表会場へ急ぐ。ヴァルンはメディアの前で「ユニティー」を起動しようとしたが、いつの間にかパスワードがかかっており、起動できなかった。そこへ現れたアリーシャーは、「ユニティー」のオリジナル・プログラマーはヴァルンではなくアバイであることを明かす。アバイは、パスワードが「alisha」であることを伝え、それによって「ユニティー」は起動する。そしてアバイはメディアの前でアリーシャーに愛の告白をする。
ださくてもてないが真面目で実直な主人公が、誠意を武器に、憧れの美女をゲットするラブストーリー。その大まかな流れは、ヤシュラージ・フィルムス自身の大ヒット作「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)と似ているが、さらにプロットを砕いて見てみると、まっすぐな生き方をしている人が、処世術に長けた利己的な人を打ち負かして最後に勝利を得るというストーリーラインであり、最近のヒンディー語映画で一種の流行となっている「サティヤーグラハ映画」の延長線上にある作品だと言っていい。「サティヤーグラハ映画」という名称は僕が勝手に付けたものだが、この言葉がもっともよく特徴を表せていると思う。「サティヤーグラハ」とは、インド独立の父マハートマー・ガーンディーが提唱し実行した「真理の主張」であり、正義をとことん貫く強力な哲学である。この哲学の核となっているのは「アヒンサー」すなわち「非暴力」であるが、それはただ単に暴力の否定だけではなく、人間の心に生まれがちな様々な負の感情の克服である。インド映画には昔からガーンディー主義の様々な影響が見受けられて来たが、最近のこの「サティヤーグラハ映画」の潮流を作り出したのは「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)である。「Lage Raho Munna Bhai」では、マフィアのドンがガーンディーの非暴力主義を実行するという荒唐無稽なストーリーが描かれたが、ガンディーの生涯に迫った映画は数あれど、ガーンディーの哲学にここまで深く迫り、映像化に成功した映画は今までなく、大きな反響を呼んだ。その後、とことん実直な主人公が実直な生き方を貫いて最終的に成功を手にするというプロットの映画が様々なジャンルで作られて来た。「Rab Ne Bana Di Jodi」はその好例であるし、最近公開された「Rocket Singh: Salesman of the Year」がもっとも顕著であったが、もっと視野を広げて見てみると、「Singh Is Kinng」(2008年)、「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」(2009年)、「3 Idiots」(2009年)などの大ヒット作もその範疇に含めていいだろう。
「Pyaar Impossible」において主人公アバイは2つの戦いを戦った。ひとつは、7年間片思いし続けて来たアリーシャーの心を勝ち取る戦いであり、もうひとつは、7年間かけて開発したにも関わらず悪徳エンジニアに盗まれてしまったソフトウェア「ユニティー」を取り戻す戦いであった。アリーシャーの心を勝ち取る戦いでは、アバイは7年間一人の女性を一途に愛し続けるというタパスィヤー(苦行)をしただけでなく、アリーシャーに対し、人はいかに内面よりも外見を重視するかを証明し、本当のパートナーを見つけるために必要なことを教える。アリーシャーにオタクっぽい服装をさせて男性を逆ナンパさせ、もし成功したらアリーシャーの勝ちという賭けであったが、普段もてもてのアリーシャーも、オタクの外見では誰にも相手にされなかった。アリーシャーは、人はあまりに外見によって他人を判断し過ぎるために失敗するのだと気付き、初めて外見に惑わされず内面を見抜く大切さを知る。その一連のエピソードは、布きれをまとって英国まで交渉に出掛けたガーンディーを彷彿とさせる。「ユニティー」を取り戻す戦いでは、自分より強大な相手に対して決して卑屈にならず真っ向から立ち向かう勇気を見せた。よくガーンディーの主導した運動は「非暴力」と「不服従」だと言われるが、これは「非暴力による不服従」であって、どちらか一方が欠けては意味がない。特に「非暴力による服従」であっては意味がない。お人好しなアバイは今まで「非暴力による服従」を実行して来たが、「ユニティー」のために初めて、勇気を持って「非暴力による不服従」を実行に移したのであった。最終的にアバイは、全世界の前で「ユニティー」を取り戻し、同時にアリーシャーとも結ばれる。「ユニティー」は、あらゆるOSを統合(ユニティー)する革新的ソフトウェアだが、それがアリーシャーとのユニティーをも暗示していることはここに書くまでもないことであろう。
ストーリーは、よく言えば分かりやすく、悪く言えば一本道であったが、全体的にきれいにまとまっており、家族向け・全年齢向け・都市中産階層向け・マルチプレックス向けの典型的ヤシュラージ・フィルムスという印象であった。ジュガル・ハンスラージ監督は3Dアニメ映画「Roadside Romeo」(2008年)でデビューした監督で、今回が初の実写映画となるが、物語を分かりやすく映像化する能力に長けており、今後も良質な娯楽映画を作って行ってくれることだろう。特筆すべきは、主演のウダイ・チョープラーがプロデューサーも兼任していることである。ウダイは、ヤシュラージ・フィルムスの創立者かつチェアマンのヤシュ・チョープラーの息子であり、彼が映画俳優デビューできたのも大部分はその七光りのおかげであるが、俳優として十分に成功しているとは言えず、徐々に制作の方へ回って行くつもりなのかもしれない。だが、「Pyaar Impossible」におけるウダイ・チョープラーの演技は今まででベストであった。
実はウダイは「Neal ‘n’ Nikki」(2005年)という映画で女の子にもてもてのプレイボーイを演じている。ヒンディー語映画をある程度知る人の間では、「Mohabbatein」(2000年)にてデビューしたウダイがお世辞にもハンサムな男優でないことはおそらく共通の認識であるはずで、そういう意味では「Neal ‘n’ Nikki」はかなり無理のある映画であったし、実際全く鳴かず飛ばずであった。逆に、「Dhoom」(2004年)や「Dhoom: 2」(2006年)では三枚目の助演を演じ、これらの映画は大ヒットとなった。これらの状況からおそらく自分でも自分のことがよく分かったみたいで、三枚目役で主演を演じ、制作まで務めた「Pyaar Impossible」は彼の開き直りの賜物だと位置づけられるだろう。とてもよくできていたので、うまく行けばこの映画は今年最初のヒット作となりそうだ。
ウダイの思い切った開き直りも心地よかったが、やはり「Pyaar Impossible」の魅力の大半はヒロインのプリヤンカー・チョープラーに尽きる。「Fashion」(2008年)や「Kaminey」(2009年)での好演以降、美貌と演技が伴った、今最も熟成した女優と評されるようになっており、「Pyaar Impossible」でも彼女の魅力が満ち溢れていた。マニーシュ・マロートラーによる衣装が多少ファッションショー紛いになっていて場違いに感じたが、それ以外は本当に魅力的であった。また、「What’s Your Raashee?」(2009年)に続いて、途中で敢えてオタクっぽいコスチュームを身に付けて踊るので注目。今回彼女が演じたバツイチのシングルOLマザー、アリーシャーの役もヒンディー語映画では新鮮に感じた。しかし、あくまで物語の中心はウダイ・チョープラー演じるアバイであった。言い換えれば、バツイチのシングルマザーのところにも白馬の王子様が現れるという、現代インドのバツイチ・シングルマザーに夢を与える内容ではなく、とことん愛を貫く冴えない男のサクセスストーリーである。アリーシャーがもてたのは結局彼女の美貌のおかげだし、結ばれたのもハンサムなヴァルンとではなく、オタクのアバイとであった。
そのヴァルンを演じたディノ・モレアも、これまでにない好演であった。ハンサムながらいまいち成功のきっかけを掴みそこなっていたディノ・モレアだが、今回憎い悪役を演じたことで、新たな道が開けたと思われる。大ヒット映画「Om Shanti Om」(2007年)で思い切って悪役を演じてキャリアが好転したアルジュン・ラームパールと同じ道を辿ることになるかもしれない。また、完全な脇役であったが、アヌパム・ケールもピンポイントで味のある演技を見せていたし、タニヤーを演じたアイシュワリヤー・ラーイ似の子役の女の子も可愛かった。
音楽はサリーム・スライマーン。挿入歌の数は多くなかったが、ストーリーに見事に溶け込んだ楽曲の数々で、ストーリーと音楽の相乗効果が出ていた。「Alisha」の歌詞は、アバイの片思いの気持ちをうまく代弁していたし、「Pyaar Impossible」はオタク・ファッションのプリヤンカー・チョープラーが踊るユニークなミュージカルシーンになっている。「10 on 10」は、最近ヒンディー語映画界で俄に流行しているロック調の曲である。また、エンディング後のクレジットロールで流れる「You And Me」は、面白い映像効果が使われているので、映画が終わっても席を立たずに見ることをオススメする。
言語は基本的にヒンディー語であるが、シンガポールが主な舞台になっていた関係上、英語の台詞も目立った。ヒンディー語が分からなくてもある程度理解できるだろうが、英語の台詞の多さのせいで、地方ではあまりヒットしない可能性がある。完全にマルチプレックス向け映画だと言える。また、タイやタイ語がちょっとだけ登場することを付け加えておく。
「Pyaar Impossible」は、ヒンディー語映画界の2010年の好調を予想させるに十分のよくできたロマンス映画である。プリヤンカー・チョープラーの魅力を堪能できるのもいい。今一番の映画は依然として「3 Idiots」だが、「Pyaar Impossible」の方がより分かりやすい内容かもしれない。今年まず必見の映画である。