年間を通し、力作映画の封切りがもっとも多いディーワーリー週がやって来た。ヒンディー語映画の歴史を注意深く見て行くと、その年を代表する大ヒット作の公開はディーワーリー週に集中していることに容易に気付く。ディーワーリー前後は伝統的に、インド人が家族連れで映画館に足を運ぶ傾向にある時期であり、ディーワーリーを含む週に映画を公開することによって最大の興行収益が見込める。よって、作品に自信のあるプロデューサーはこの週に作品の命運を託すことが多いし、良作に恵まれた年のディーワーリー週はちょっとした映画祭の様相を呈す。インド映画ファンにとってはもっとも楽しみな時期である。
2009年は10月17日のディーワーリーに合わせ、その前日の16日に、3作のヒンディー語映画が公開された。「Blue」、「All the Best: Fun Begins…」、「Main Aurr Mrs Khanna」である。まずは、ヴィジュアル的にもっともアピールのある「Blue」を観ることにした。
「Blue」はインド映画初、深海をテーマに作られた野心作で、予算は12.5億ルピーとされている。間違いなく、これまででもっとも多額の予算をかけて作られたインド映画だ。今年7月に公開された「Kambakkht Ishq」(2009年)もインド映画史上もっとも大予算の映画とされていたが、それすら予算は6億~9億ルピーのようである。「Blue」の監督は驚くべきことに新人であるが、音楽はアカデミー賞受賞の作曲家ARレヘマーン、キャストも知名度抜群の俳優が揃っており、申し分ない。深海シーンはカリブ海のバハマで撮影され、「Into the Blue」(2005年)や「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」(2006年)などで有名な、ハリウッドの水中撮影エキスパート、ピーター・ズッカリーニが担当している。また、地上のアクションシーンは、「ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT」(2006年)などで知られるハリウッドの著名なアクション監督ジェームズ・ボマリックが担当しているし、劇中には世界的に有名な歌手カイリー・ミノーグが登場し、歌も歌っている。つまり、「Blue」はインド映画ながら、国際的な才能が終結した、非常に国際色豊かな作品となっている。
監督:アントニー・デスーザ
制作:ディリン・メヘター
音楽:ARレヘマーン
歌詞:アッバース・タイヤワーラー、ラジャト・アローラー、ラキーブ・アーラム、スクヴィンダル・スィン
振付:ファラー・カーン、アハマド・カーン、アシュレイ・ロボ
アクション:ジェームズ・ボマリック
衣装:マニーシュ・マロートラー
出演:サンジャイ・ダット、アクシャイ・クマール、ラーラー・ダッター、ザイド・カーン、ラーフル・デーヴ、カトリーナ・カイフ(特別出演)、カイリー・ミノーグ(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
サーガル・スィン(サンジャイ・ダット)は、バハマ在住のインド人大富豪アーラヴ・マロートラー(アクシャイ・クマール)の船舶会社に勤めるダイバーであった。アーラヴは、1949年に英国からインドへ財宝を輸送中に嵐に遭ってバハマ沖に沈んだ船舶「レディー・イン・ブルー」号を探しており、同船舶の船長の孫サーガルが何か情報を持っているのではないかと考えていた。アーラヴはサーガルに度々「レディー・イン・ブルー」号の話を切り出すが、サーガルは沈没船の話は作り話だと主張し、決して口を割ろうとしなかった。また、サーガルにはモナ(ラーラー・ダッター)という恋人がいた。モナは海洋生物保護のための教育機関設立を夢見ていたが、そのための資金はなく、半ば諦めた夢であった。 ある日突然サーガルの元に、5年前に家を飛び出したまま消息不明だった弟サミール、通称サム(ザイド・カーン)が訪ねて来る。サムはタイでレーサーをして生計を立てていたが、あるとき、多額の報酬に目がくらんだばかりに、アンダーワールドで暗躍するグルシャン(ラーフル・デーヴ)の仕事を引き受けて数千万ドルの損失を出してしまったため、追われる身となってしまっていた。サムは、一目惚れした女性ニッキー(カトリーナ・カイフ)をタイに置いて、兄を頼ってバハマへやって来たのだった。だが、サーガルにはそのことは話さなかった。 しばらくバハマでのんびり暮らしていたサムだったが、ニッキーと連絡が取れないことだけが気掛かりだった。そんなある日、彼の前にグルシャンが現れる。グルシャンは、ニッキーは既に殺したと言い、サムに損失分の金の返還を要求する。バイクで逃亡したサムは、途中でアーラヴに救われるが、それをきっかけにアーラヴにタイでのことを話さざるをえなくなる。アーラヴはそのことをサーガルに話す。サムの命を守るには、「レディー・イン・ブルー」号に眠る財宝を見つけ出し、グルシャンに損失額を支払うしかなかった。だが、サーガルはなかなか首を縦に振らなかった。 グルシャンは遂にサーガルをターゲットにし出した。サーガルの家は爆破され、モナは誘拐されてしまう。モナを救うためには、サムが出した損失額を支払うか、サムを差し出すかしかなかった。窮地に立たされたサーガルは、遂に「レディー・イン・ブルー」へ向かうことを決意する。 サーガルにとって「レディー・イン・ブルー」の秘密を死守することは、死んだ父親との約束であった。海洋学者だった父親は優れたダイバーでもあり、またトレジャーハンターでもあった。少年時代のサーガルはある日、無理を言って父親と共にトレジャーハントに出掛け、「レディー・イン・ブルー」号を発見する。しかし、そこで欲を出して急いだサーガルは鉄柱に身体をぶつけて倒してしまう。サーガルは鉄柱の下敷きになるところであったが、父親が身代わりになって助けた。鉄柱は重く、それをどかすことはできなかった。父親はサーガルに、酸素がなくなる前に戻るように命令する。別れ際に、父親は「レディー・イン・ブルー」号のことを他言しないようにサーガルに約束させる。父親はそのまま息絶える。父親との約束があったため、サーガルは今まで誰にも「レディー・イン・ブルー」号のことを話さなかったのだった。 サーガル、アーラヴ、サムの三人は「レディー・イン・ブルー」号の沈没場所まで行ってダイブする。そこで三人は財宝を見つけ、とりあえず水上に戻るが、そこで待ち構えていたのはグルシャンであった。三人の後を付けていたグルシャンは「レディー・イン・ブルー」号のことを知り、その財宝を独占しようとダイバーと共にやって来ていた。三人は仕方なくグルシャンに協力することになり、手下ダイバーたちと共にもう一度海に潜るが、水中でグルシャンの手下たちを全滅させ、水上に戻ってくる。だが、そこでグルシャンがサーガルとサムに語ったのは、衝撃の事実であった。実はグルシャンはアーラヴの古いビジネスパートナーであった。タイでサムを罠にはめてバハマへ送ったのも、サーガルに「レディー・イン・ブルー」号を捜索させるためのアーラヴの策略であった。乱闘の末にグルシャンは殺され、アーラヴはバイクと共に水中に姿を消す。また、人質に取られていたモナは無事であった。アーラヴは死んだものと考え、サーガル、サム、モナはその水域を去る。 ところがアーラヴは生きていた。3ヶ月後にアーラヴからサーガルに電話が入る。アーラヴは全ての真実を語る。実はアーラヴは、「レディー・イン・ブルー」号沈没の原因となった裏切り者の船員の孫であった。彼は家の汚名を晴らすため、財宝の発見を追求していたのだった。また、タイでサムと出会ったニッキーは、実はアーラヴの妻であったことも分かる。ニッキーも無事であった。アーラヴは財宝発見の報酬として、法律に則って財宝の価値の20%をサーガルの口座に振り込んだことを伝え、電話を切る。
バハマの海とピーター・ズッカリーニの手腕のおかげでだろう、大スクリーン上に海中の幻想的な風景が映し出されるのは、インド映画では新鮮な体験であり、水中撮影シーンは間違いなくこの映画の最大の見所となっていた。バックに流れるARレヘマーンの音楽も素晴らしかったし、水中を遊泳するラーラー・ダッターのグラマラスな肢体も効果的に映し出されていた。だが、海中シーンに力を入れすぎたせいで、ストーリーが希薄かつ疎かになってしまっていたことは否めない。海中だけでなく、地上のアクションも楽しんでもらおうというサービス精神であろうか、意外にもバイクチェイスシーンが多かったのだが、物語の主旨からするとほとんど必要ないシーンばかりであった。この面ではもっと海中または水上のアクションにフォーカスするべきであった。これらの欠点のせいで、映画の出来は事前の期待に十分応えられるほどのものではなかった。また、完全にマルチプレックス層向け映画であり、地方でのヒットは望めない。「Blue」は今年のディーワーリー週公開作の中では最大の話題作であったのだが、もしかしたら大コケするかもしれない。
ストーリー、設定、その他で気になった点をいくつか詳しく取り上げておく。まず、「レディー・イン・ブルー」号の沈没場所である。アーラヴを初め、多くの人々が財宝を求めてその場所を探し求めたが発見できず、命を落とした者も多いとされる沈没船「レディー・イン・ブルー」号であるが、劇中で見た限りではかなり分かりやすい位置に沈没しており、しかも太陽の光が届くほど浅い場所に横たわっていた。何十匹ものサメに守られていたのは雰囲気があったが、意外にもそのサメたちはほとんど人間を襲って来なかった。サメが人間を襲うというのは、「ジョーズ」シリーズによって植え付けられた歪んだ先入観なのだろうか?「Blue」の宣伝文句のひとつは、ヒンディー語映画俳優たちがスタントマンなしでサメと共に遊泳することだが、劇中ではサメは恐ろしい動物としてあまり描写されていなかった。
むしろ、恐ろしいのは人間の欲であった。サーガルは、少年時代に欲を出したために父親を死なせてしまったというトラウマを抱えており、それが現在の無欲な清貧生活につながっていた。サーガルを演じたのはサンジャイ・ダット。おそらく監督は、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)で彼が演じたムンナー・バーイーの「ガーンディーギーリー」のイメージを繰り返したかったのであろう。しかし、「Blue」はあくまで単純な娯楽作品であり、そういうメッセージ性は弱かったし、それを狙った作品でもなかった。そう割り切るならそれでもいいのだが、もし「欲」を中心のテーマにして物語をもう少し整理すれば、もうひとつレベルが上の作品になっていたかもしれない。もっとも、劇中でもっとも強欲に描かれていたアーラヴも、祖先の汚名返上という、金儲け以外の動機があった訳だが。
サムはサーガルの弟のはずである。だが、「レディー・イン・ブルー」号のことや父親の死のことなどを知っているのはサーガルのみであるのは変な話ではなかろうか?確かに家を出奔したことが語られていたが、それはわずか5年前の話であり、生き別れの兄弟という訳でもない。サーガルにすら不明だったサムの消息をアーラヴが把握していたのも、いくら大富豪だからとは言え、説得力に欠ける設定だと言える。
何度も述べた通り、この映画の最大の見所は水中撮影シーンである。そしてアクション映画を銘打っているだけあり、水中での格闘シーンなどもある。しかし、水中では登場人物たちは台詞をしゃべることができず、意思疎通は全てジェスチャーのみとなる。マスクをしているため、表情も読み取れない。水中ではカメラアングルにも工夫が必要で、登場人物の動作がもっともよく分かるような映像にしなければならない。このような制約の中で、今何が起こっているのかを映像のみで表現するのはとても困難な作業だと「Blue」を観ていて感じた。言い換えると、水中のアクションシーンは意外と退屈であった。
バイクによるチェイスシーンも、渋滞の道路を高速で逆走したり、走っている列車にバイクで飛び乗ったり飛び降りたり、いろいろ冒険的なスタントが満載だったが、意外にスピード感がなく、冗長でスリルに欠けた。本当に「ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT」のジェームズ・ボマリックが担当したのだろうか?そもそも、インドの若者の間にバイクブームを巻き起こしたバイク映画「Dhoom」(2004年)の続編ではないのだし、海洋映画を銘打った以上、「Blue」ではバイクのチェイスシーンは蛇足に思えた。
サンジャイ・ダットやアクシャイ・クマールなど、持ち味を活かした演技で良かったが、「Blue」でもっとも株を上げそうなのはラーラー・ダッターである。2000年のミス・ユニバースとして華々しく映画界に進出し、多くの作品に出演して来たラーラーだったが、いまいち代表作に乏しかった。確かに美人ではあるが、なんとなく個性に欠けるところがあった。だが、「Blue」では非常に真摯な演技をしており、初めて彼女を評価したくなった。彼女は今年既に「Billu」(2009年)において、今までのゴージャスなイメージを払拭する演技を見せていたが、「Blue」まで来て、彼女の女優としての成熟はどうやら本物だと思えた。ラーラーは元々水恐怖症だったそうなのだが、「Blue」への出演が決まった後、水泳やダイビングを特訓し、見事な泳ぎを見せている。その裏話だけでも彼女のただならぬ意気込みを感じる。
他にはカトリーナ・カイフの特別出演が特筆すべきであろう。彼女が泳ぐシーンなどはないが、特別出演の枠を越えた印象的な役であった。海外生活が長かったため、カトリーナはヒンディー語が得意ではなく、長らく彼女の台詞は吹き替えだった。だが、急ピッチでヒンディー語を勉強しており、最近は自分で台詞をしゃべっているようだ。今回もおそらく吹き替えではない。やはり他の俳優に比べてヒンディー語がうまくないが、彼女の努力は認めなければならないだろう。カトリーナはディーピカー・パードゥコーンと共に現在トップ女優の地位にいる。実は二人ともヒンディー語が得意ではないという変な状況になっているのだが、少なくともカトリーナのヒンディー語は向上している。
音楽は、もはや国際的な知名度を持つARレヘマーン。彼にとって「Blue」の音楽監督はアカデミー賞受賞後初仕事だったらしく、プレッシャーも相当あったようだ。だが、そのプレッシャーを全く感じさせないばかりか、今回も彼らしい心地よい曲が揃っており、「Blue」のサントラCDは買いである。「Blue」の曲の中では、やはり何と言ってもカイリー・ミノーグとのコラボレーション「Chiggy Wiggy」が目立つ。ブリティッシュ・ポップとパンジャービー音楽がかなり強引にミックスされている。この曲のダンスシーンでは、アクシャイ・クマールとザイド・カーンがカイリー・ミノーグと踊る。他にも、海洋映画にピッタリのスピード感ある「Aaj Dil」、メロディーラインが面白い「Fiqrana」や「Rehnuma」、メタル調の「Blue Theme」など、いい曲が目白押しだ。
映画の主なロケ地はバハマとタイである。バハマが選ばれたのは、サメとの遊泳を撮影できる世界唯一の場所だかららしい。タイでのロケは最近インド映画では珍しくなくなっている。劇中ではバハマのシーンとされながら、実際はタイでロケが行われていたらしきものもいくつかあった。
「Blue」は、ディーワーリー週公開作品の中でもっとも期待されていた映画だが、その期待に応えられる出来だとは思えない。劇中何度も出て来る水中シーンはやはり大きな見所であり、この映画を映画館の大きなスクリーンで観る価値はある。ARレヘマーンによる音楽も洒落ている。だが、ストーリーは弱く、無駄に思えるシーンも多い。つまり、残念ながら完成度は高くない。まだ公開初日であるが、大フロップに終わる恐れを指摘しておく。