「Slumdog Millionaire」(2008年)の世界的成功のおかげで一足飛びに名声を手にしたヒンディー語映画俳優アニル・カプールは、他の多くの俳優と同様にプロデューサー業にも手を広げている。アニル・カプール制作映画は今まで「Badhaai Ho Badhaai」(2002年)、「My Wife’s Murder」(2005年)、「Gandhi, My Father」(2007年)などがあるが、興行的にヒットした映画はない。本日(2009年7月10日)、アニル・カプールのプロデュースによるコメディー映画「Short Kut: The Con Is On」が公開された。「Slumdog Millionaire」の好運が果たしてまだ有効か、見物である。監督はコメディーの分野で監督・脚本家として活躍中のニーラジ・ヴォーラー。キャスティングは、アクシャイ・カンナー、アルシャド・ワールスィー、アムリター・ラーオなどで、スター性から評価したら一流半~二流と言ったところか。しかし、顔合わせは面白い。
監督:ニーラジ・ヴォーラー
制作:アニル・カプール
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:ボスコ=シーザー
衣装:アキ・ナルラー、アメリア・プンヴァン、サンボ、ウマー・ビジュー、マニーシュ・マロートラー、クナール・ラーワル、ミニ・ワキール、シェーファーリー・デーヴ
出演:アクシャイ・カンナー、アルシャド・ワールスィー、アムリター・ラーオ、スィミー・ガレーワール、チャンキー・パーンデーイ、スィッダールト・ランデーリヤー、ハイダル・アリー、アリー・アスガル、サンジャイ・ダット(特別出演)、アニル・カプール(特別出演)、ニーラジ・ヴォーラー(特別出演)
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。
長年ニーラジ・ヴォーラー監督(本人)の助監督を務めて来たシェーカル(アクシャイ・カンナー)は、遂に独立して自分の映画を撮影することを決める。そのために脚本を書き出し、苦労の末渾身の傑作を書き上げる。「成功に近道はない」がモットーのシェーカルにとって、映画監督デビューは夢の実現だけではなかった。実は彼の恋人はスター女優マーンスィー(アムリター・ラーオ)であった。だが、マーンスィーとの関係は秘密にしていた。なぜならもし助監督の身分でマーンスィーとの関係を公表したら、自分の出世のためにマーンスィーを利用したと世間から思われるからであった。映画監督となって、晴れてマーンスィーとの関係を公にすることを決めていた。よって、この脚本は彼にとって人生そのものだった。早速大物プロデューサーのチャッダーと契約を結び、映画監督への第一歩を踏み出した。
一方、シェーカルの知り合いにラージュー(アルシャド・ワールスィー)という俳優志望の男がいた。ラージューのモットーは「人生何でもショートカット」で、とにかくずるいことをしては今まで生きて来たのだった。彼はとんでもない大根役者だったが、何とか大スターになろうと躍起になっており、プロデューサーのトーラーニーから、良質の脚本を持って来れば彼を主演にして映画を作ってやるという口約束を取り付ける。ラージューはシェーカルから脚本を盗み出し、トーラーニーに渡す。この脚本のおかげでラージューは主演を手にすることができた。演技指導家のグル・カプール(チャンキー・パーンデーイ)を言いくるめて秘書に付け、シェーカルに内緒にしながら撮影を行う。この映画は大ヒットとなり、ラージューは一躍大スターとなった。
憐れなのはシェーカルである。ラージューの主演作が自分の脚本のコピーだと気が付いたときにはもう遅かった。チャッダーとの契約も解消となってしまう。シェーカルは裁判所に訴えることもできたが、そうしてもプロデューサーのトーラーニーに被害を与えられるだけで、ラージューには何の影響もなさそうだった。シェーカルは結局何もせずに苦渋を噛みしめる。家族とうまく行っていなかったマーンスィーは、家出をしてシェーカルのところへやって来る。そしてメディアの前でシェーカルと結婚し、女優業から引退すると宣言する。こうしてシェーカルとマーンスィーは結婚したが、無職状態のシェーカルは満足に家計を支えることができなかった。マーンスィーに内緒でアルバイトを始めるが、すぐにそれは妻に知れてしまう。マーンスィーは女優に復帰してお金を稼ぐことを提案するが、世間から「大女優の夫」というレッテルを貼られてしまったシェーカルにとってそれは屈辱でしかなかった。このことが原因で2人の間に亀裂が入り、マーンスィーは家を出て行ってしまう。
どん底まで落ちたシェーカルだったが、トーラーニーは彼の才能を認めており、次の映画の監督をするように依頼する。だが、その映画の主演は、今や「キング・クマール」と呼ばれるほど大スターになったラージューであった。シェーカルはラージューがした仕打ちを忘れていなかったが、背に腹は代えられず、そのオファーを承諾する。一方、ラージューもシェーカルが監督の映画に出演することを嫌がったが、一旦出演を承諾し、完成間近で急に出演をキャンセルすることでシェーカルに嫌がらせをすることを思い付く。ラージューもそのオファーを承諾する。シェーカルは脚本を書き始め、すぐに完成させる。
ところが、撮影に取りかかろうとしていたその矢先、トーラーニーが事故で急死してしまう。映画も資金難から暗礁に乗り上げるが、シェーカルが住むアパートの大家カーンティーバーイー(スィッダールト・ランデーリヤー)が、前々からアパートの土地を欲しがっていたモール建設業者に土地を売って金を作り、それを使って映画をプロデュースすることを提案する。アパートの住民もそれに賛成し、皆、アパート売却によって得られる自分の取り分を映画に投資する。
撮影はタイで行われることになった。シェーカルは何とかラージューをコントロールしながら着々と撮影を行った。その間、マーンスィーも映画のロケでタイに来ていることが分かる。だが、2人は連絡を取り合おうとしなかった。撮影は進み、あとは最後のシーンを残すのみとなった。そこでラージューは難癖を付けて撮影をストップさせようとする。シェーカルは一度諦めかけるが、マーンスィーに励まされ、何としてでも映画を完成させる気になる。シェーカルは、隠しカメラを使ってラージューの行動を盗撮し、残りのシーンを撮影するアイデアを思い付く。ラージューはその作戦にまんまとひっかかってしまう。
映画が公開された。蓋を開けてみたらラージューは主役ではなく、代わりにずっとエキストラ俳優をし続けて来たアスラムが主役になっていた。しかもラージューは最後に気が狂ってしまうという憐れな悪役であった。シェーカルは監督デビューを果たし、晴れてマーンスィーと結ばれることとなった。
基本的には、「Munna Bhai」シリーズのサーキット役で有名なアルシャド・ワールスィーの個人技で押すコメディー映画であるが、2つのシリアスなテーマに触れられていたことで、ただ笑って終わりではない、中身のある作品となっていた。その2つのシリアスなテーマのひとつめは、題名にもなっている「ショートカット」である。主人公の2人、シェーカルとラージューは、映画界で成功するという共通の夢を追う若者であったが、そのアプローチの仕方はまったく正反対であった。シェーカルは、有能な監督の下で12年間下積みを積み、これから満を持して映画監督になろうとする、努力型の人間であった。一方、ラージューは他人を騙し、出し抜いて生きて来たいい加減な男で、常に近道を探っていた。この2人の生き様の対比が、「Short Kut: The Con Is On」の中心軸にあった。当初はラージューの方がシェーカルの努力を横からかっさらうことで早く出世する。だが、結局はコツコツと努力を重ね、才能を磨いて来たシェーカルに軍配が上がるというのが映画の大まかな筋である。最後にシェーカルはラージューに、「作品を盗むことはできるかもしれないが、才能を盗むことはできない」と啖呵を切る。「成功に近道はない」というのがこの映画のひとつのメッセージであった。
もうひとつのテーマは、シェーカルと妻マーンスィーの夫婦関係である。映画全体に影響を与える要素ではないが、中盤の盛り上がりを作っており、見逃せない。この部分を理解するには、まず二人の置かれた立場を理解しなければならない。シェーカルは今のところ助監督止まりであり、いよいよ監督になろうとしていた人物であった。一方、マーンスィーは既にトップ女優の座を獲得していた。二人はお互い深く愛し合っており、結婚を考えていたが、シェーカルは二人の仲を公表するのを拒んでいた。なぜならせいぜい助監督の男がスター女優と結婚したら、その後監督になっても、監督になれたのは妻のおかげだと世間から思われるからである。よって、自分の力で監督になって、その後堂々と結婚したいと考えていた。これは世間体というより、男としてのアイデンティティに関わる問題であった。しかし、成り行きによってシェーカルは監督になる前にマーンスィーと結婚することになる。すると、やはり恐れていたことが起こってしまった。シェーカルは「マーンスィーの夫」という肩書きでしか認識されなくなってしまったのである。しかも、ラージューの裏切りによって彼のキャリアは危機にさらされていた。自暴自棄になったシェーカルはマーンスィーにも冷たく当たるようになる。マーンスィーは、女性の立場から、世間の人には言いたいことを言わせておけばいいと主張するが、結局自分のせいでシェーカルが八方ふさがりになっているのを自覚し、彼の成功を祈って、敢えて夫の元を去ってしまうのである。別居状態になってもマーンスィーのシェーカルに対する愛は変わらず、最後にはマーンスィーの励ましのおかげでシェーカルは映画を完成させることができ、二人は仲直りするのであった。
映画のクライマックスである、最後にラージューを騙して残りのシーンを撮影する部分も、予想はできたが、面白かった。だが、シェーカルの書き上げた傑作の脚本2本が一体どんなものなのか、劇中ではほとんど語られておらず、気になるところであった。もっとも、もし本当にそんな傑作の脚本があるのなら、むしろそっちを映画化するだろう。
ところで、ラージューが主役をゲットしようとあれこれ苦労しているとき、マフィアのドンに変装してプロデューサーのところへ押しかけ、ラージューを主演に映画を作るように脅すシーンがあった。実はそれと全く同じような事件がこの6月に発生しており、とてもタイムリーであった。「Slumdog Millionaire」にも端役で出演したアジト・ディーンダヤール・パーンデーイという俳優が、マフィアのドン、チョーター・シャキールの従兄弟を装って監督を脅し、アジトをあるテレビドラマに出演させるように強要したのである。最近「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)、「Khoya Khoya Chand」(2007年)、「Luck By Chance」(2009年)など、映画産業の舞台裏を題材にした映画が流行しているが、やはりヒンディー語映画界の映画人にとってもっとも身近なのは映画界であり、その映画界を題材にした映画には、実体験に基づく面白いストーリーが盛り込まれることが多いように思える。それらの多くは真実か、真実に基づいたフィクションなのだろう。
総じて、「Short Kut: The Con Is On」は、大予算型ヒンディー語娯楽映画の持つゴージャスさには欠けていたが、スッキリとまとまった作品になっており、後味も良かった。佳作と言えるだろう。
一時は前髪のみが話題に上る程度であったアクシャイ・カンナーは、徐々に実力を付けて来て、今ではオールマイティーにいろいろな役柄をこなせる準ベテラン俳優となっている。ヒーロー俳優としての旬は過ぎているが、派手さよりも着実な演技力を要する役に適しており、本作品でもアルシャド・ワールスィーとの対比の中で彼の誠実な演技が際立っていた。
アルシャド・ワールスィーはこの映画の中心人物である。主役でもあるが、コメディー役でもあり、悪役でもあるという、かなり贅沢な役柄を、いつものアルシャド節で難なく乗り切っていた。やはり彼には、真面目な役よりもこういう怪しげな男の役の方が似合っている。
アムリター・ラーオはとても痩せこけて見えるため、いまいちスクリーン映えがしない。いくつかいい演技も見せてはいたが、スター女優としてのカリスマ性に欠け、もっと他に適役はいただろうと思われる。
この映画で密かに話題になっているのは、アニル・カプールとサンジャイ・ダットの共演である。序盤のダンスシーン「Mareez-e-Mohabbat」で、アムリター・ラーオと共にこの2人がダンスを踊る。実はヒンディー語映画界では長いことアニルとサンジャイの不仲が噂されていたのだが、アニルがプロデュースする「Short Kut: The Con Is On」にサンジャイが特別出演したことで、それは既に解消されたと観測されている。他に、ニーラジ・ヴォーラー監督自身がカメオ出演している。
音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。先に挙げた「Mareez-e-Mohabbat」の他、テーマソングとも言える「Patli Gali」などがアップテンポで彼ららしい音作りであるが、全体的にはこのトリオのいつものレベルには到達していない。
撮影の大部分はタイで行われており、タイの名所がいくつか出て来る。特にミュージカル「Kal Nau Baje」の映像は非常に美しかった。
「Short Kut: The Con Is On」は、基本的にコメディー映画ながら、ドラマあり、教訓ありでバラエティーに富んでいる上に、味も適度に調節されており、健康食のような娯楽映画の佳作である。観ても損はないだろう。