アジアンドキュメンタリーズで配信中の「Breath of the Gods」は、近代ヨーガの起源を探るドキュメンタリー映画である。20世紀にヨーガの復興と普及に多大な貢献をしたヨーガ教師、ティルマライ・クリシュナマーチャーリヤ、パッタービ・ジョイス、そしてBKSアイヤンガールの3人を主に取り上げ、ヨーガやアーサナ(体位)について探究している。
監督はドイツ人映画監督のヤン・シュミット=ガレである。映画はドイツで2012年1月5日に公開され、日本でも「聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅」の邦題と共に2016年9月3日に公開された。パッタービ・ジョイスは2009年に亡くなっているが、彼がまだ存命中にインタビューをしており、彼の死後にも撮影が行われている。
監督自身、ヨーガに興味はあるが、まだまだ初心者という状態で、純粋にヨーガについて知りたくてこの作品を撮り始めたような印象である。時々監督自身も映像の中に登場し、アーサナを習っている。ただ、本当に初心者であり、辛そうにポーズを取っている。おかげで押しつけがましいところがなく、視聴者も監督と一緒にヨーガの起源を探る旅をすることができる。
「Breath of the Gods」で取り上げられている3人のヨーガ教師、クリシュナマーチャーリヤ、パッタービ・ジョイス、BKSアイヤンガールは、3人ともカルナータカ州の生まれである。クリシュナマーチャーリヤの弟子がパッタービ・ジョイスとアイヤンガールになり、アイヤンガールはクリシュナマーチャーリヤの義弟でもあった。
撮影の大半はカルナータカ州マイソールで行われている。クリシュナマーチャーリヤはマイソール藩王国のマハーラージャーにヨーガを教えるようになったことから有名になった。マイソールにはクリシュナマーチャーリヤの足跡がいくつか残っている。
しかしながら、この映画で初めて知ったことも多くて驚いた。今でこそヨーガといえば世界中に広まっているが、20世紀初頭では、インド本国でも廃れてしまっていたという。頭のおかしい人がするものだという偏見まで根付いてしまっていた。クリシュナマーチャーリヤの娘は、父親がヨーガ教師であることを友人に黙っていたとも語っていた。決して誉れ高い職業ではなかったからだ。クリシュナマーチャーリヤは「近代ヨーガの祖」と呼ばれるが、彼の最大の功績は、埋もれかかっていたヨーガを復興したことである。
クリシュナマーチャーリヤがヨーガ復興の上で源泉としたものはいくつかあるようだ。ひとつは、ヒマーラヤ山脈に住むヨーガ行者からの手ほどきである。やはりいくらヨーガが廃れてしまったとはいっても、ヒマーラヤ山脈に行けばヨーガを実践する行者たちがいたようで、そこでクリシュナマーチャーリヤはヨーガを学んだという。
また、彼は「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」を研究し、その中に登場するアーサナを再現しようと試みた。寺院に祀られているナラスィンハ(人獅子)も着想源になったようである。
映画の中には、クリシュナマーチャーリヤがヨーガを行う古い映像が随所に使われている。彼は、単にヨーガを復興させただけでなく、オリジナリティーも加えた。彼はヴィンニャーサ・クラマと呼ばれるヨーガの形態を生み出した。短い間隔で複数のアーサナをつなげていくスタイルである。これは、彼がマハーラージャーの王宮でヨーガを教えていたこととも関連しているようだ。そのとき彼が教えていた相手はクシャトリヤ(戦士階級)の王子たちであり、軍事教練の目的もあったようである。
また、クリシュナマーチャーリヤは時々マハーラージャーの前でヨーガを実践したという。ナレーションやインタビューでこういうことは述べられていなかったが、ヨーガがショーにもなっていたため、ヴィンニャーサ・クラマの手法が編み出されたのではなかろうか。
1940年代には、クリシュナマーチャーリヤのパトロンだったマイソール藩王クリシュナラージャ・オデヤール4世の死去やインドの独立など、政治的な激変があり、クリシュナマーチャーリヤが開いていたヨーガ道場も閉鎖させられてしまう。その後、彼はチェンナイに移住してさらにヨーガの普及に尽力した。雲の上の人のようなイメージのあるクリシュナマーチャーリヤだが、彼のそんな世俗的な苦労にもこのドキュメンタリー映画は少しだけ触れている。
クリシュナマーチャーリヤのヨーガは、一番弟子のパッタービ・ジョイスに受け継がれた。彼は度々海外に渡ってヨーガを教える機会に恵まれ、それがヨーガの世界的な拡大に貢献した。彼のヨーガは「アシュターンガ・ヴィンニャーサ・ヨーガ」と呼ばれている。
そのパッタービ・ジョイスと兄弟弟子になるのがBKSアイヤンガールである。彼も非常に有名なヨーガ教師で、「アイヤンガール・ヨーガ」の創始者だ。しかし、面白いことに、彼の提唱するヨーガは、クリシュナマーチャーリヤやパッタービ・ジョイスが実践するヴィンニャーサ・クラマ系のヨーガとは正反対で、ひとつひとつのアーサナを長時間に渡ってじっくりと行うことを重視している。動のヨーガに対し静のヨーガだといえる。しかも、BKSアイヤンガールは師匠からほとんど何も教わらなかったと主張し、パッタービ・ジョイスのアシュターンガ・ヴィンニャーサ・ヨーガにも批判的である。とにかく平和なイメージもあるヨーガの世界にも派閥があって、お互いに不仲という状態が見受けられるのは大変興味深い。
「Breath of the Gods」は、近代ヨーガのルーツを探究するドキュメンタリー映画だが、何かしらの答えが用意されているわけではない。視聴者も監督と一緒になってヨーガの世界に足を踏み入れていく楽しさはあったが、ヨーガについて全てが分かるような内容にはなっておらず、興味を持ったら後は自分で実践しながら突き詰めていくしかないだろう。また、あくまで近代になって復興されたヨーガが中心であり、インドにおいて何千年にもわたって受け継がれてきたヨーガの源流まで遡るような努力はほとんど成されていない。それでも、日本人がイメージするヨーガがそのままそこにあるので入り込みやすいし、ヨーガの世界も派閥争いがあって複雑なのだということも分かって面白い。変に小難しいことを並べ立てていないところも好感が持てる。たとえヨーガに興味がなくても観て損はないドキュメンタリー映画だ。