2001年の911事件の後、世界は出口の見えない対テロ戦争の時代に突入した。その世相は映画界にも如実に反映されており、テロをテーマにした映画が数多く作られるようになった。ヒンディー語映画界も例外でないばかりか、テロ映画が増えすぎて食傷気味という程である。インドのテロ映画を大きく分けると3つになると思う。ひとつは、敵がテロリストのアクション映画、ひとつは身内をテロで失った一般人の悲劇、ひとつはテロ後の海外在住南アジア人イスラーム教徒コミュニティーの受難である。2008年10月17日公開の「Shoot On Sight」は、2005年7月7日のロンドン連続爆破テロの後の英国においてパーキスターン系イスラーム教徒警察官の身に起こった実際の事件がベースとなってり、3番目のカテゴリーに入るだろう。パーキスターンでは上映禁止になった曰く付きの作品である。
監督:ジャグ・ムンドラー
制作:アロン・ゴヴィル
音楽:ジョン・アルトマン
歌詞:ジャッセ・ジャス
出演:ナスィールッディーン・シャー、グレタ・スカッキ、オーム・プリー、ブライアン・コックス、ライラー・ロアス、サディー・フロスト、ステファン・グライフ、ラルフ・イネソン、グルシャン・グローヴァー、ミカール・ズルフィカール
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
パーキスターンのラホール出身のターリーク・アリー(ナスィールッディーン・シャー)は、英国のロンドン警視庁で警視長の地位にいるイスラーム教徒の警察官であった。2005年7月7日、ロンドンで連続爆破テロが発生し、それを受けて市内にテロリストに対する即時射殺命令が発布された。そんな中、ロンドンの地下鉄で一人のパーキスターン人が警察官に射殺される。警察は特にその人物がテロリストである証拠を見付けられず、世間の糾弾にさらされることになった。そこで、テナント警視総監(ブライアン・コックス)は、イスラーム教徒のターリークをこの事件の捜査担当に任命した。 ところで、ターリークは英国人スーザン(グレタ・スカッキ)と結婚しており、1人の娘と1人の息子がいた。先日、ターリークの家に、甥のザーヒルがやって来て住み始めた。ザーヒルはロンドンの大学に留学していた。ターリークは、肉屋を営むパーキスターン人(グルシャン・グローヴァー)と友人であったが、ラーハウル時代からの知り合いで、いつの間にか原理主義者になってしまったジュナイド(オーム・プリー)のことは避けていた。 また、警視庁内では、先日テロリスト即時射殺の命令を下したジョン警視長が、射殺を実行した警察官と共にクビの危機にさらされていた。ジョンの代わりにターリークの昇進が内定したせいで、彼らはターリークを追い落とすために彼の身辺調査を密かに始める。 ターリークは、被害者の家族に事情徴収しようとするが、家族は彼の無実を主張しており、敏腕弁護士フィオナ・モンロー(サディー・フロスト)も雇っていて、容易に情報を得られそうになかった。そればかりか、遺族は警察を相手取って訴訟を起こす。また、射殺を実行した警察官は、ターリークに協力的ではなかった。だが、捜査を進めて行く中で、一人のパーキスターン人の若者が逮捕される。彼は自宅で爆弾を作っていた。もう1人仲間がいたが、その男は逃亡し、警察は行方を追っていた。監視カメラに、その男の後ろ姿が映っており、それが新聞に掲載される。 ある日、ターリークの妻スーザンは家の掃除中に、ザーヒルの部屋で1枚のTシャツを見付ける。それは、パーキスターンの人気ロックバンド、ジュヌーンのものであったが、監視カメラに映っていた男もそのTシャツを着ていた。スーザンはザーヒルがテロリストなのではないかと疑い出す。 一方、ターリークと原理主義者ジュナイドが握手をしているところが、ジョンに雇われた探偵によって写真に撮られ、それが新聞に掲載される。ターリークは原理主義者と密通しているのではないかと疑われ、彼は事件の捜査から外される。ターリークは、今まで奉仕して来た警視庁から、イスラーム教徒であるというだけで疑われたことにショックを受ける。さらに妻からザーヒルがテロリストではないかという話を聞き、妻にもその不満をぶちまける。ターリークはすっかり塞ぎ込んでしまった。 スーザンは、ターリークの部下でインド系英国人のルビー・カウル(ライラー・ロアス)に個人的に接触し、ザーヒルのことを話す。ルビーは気が進まなかったものの、ザーヒルの尾行を開始する。だが、スーザンの指摘は正しく、ザーヒルはジュナイドと密会していた。ルビーはその様子を携帯電話のカメラで撮影する。だが、ルビーはジュナイドの部下のイライジャに見つかり、殺されてしまう。翌日、ルビーの遺体が発見され、携帯電話からザーヒルとジュナイドが会っている写真が見つかる。 ターリークはすぐにザーヒルの部屋を調べる。彼のPCからはテロの計画が見つかった。それによると、ショッピング・モールのギャラリアがターゲットになっていた。運が悪いことに、そのときスーザンが息子を連れてギャラリアへ行っていた。ターリークはギャラリアへ急行する。既に爆弾は仕掛け終わっていたが、ターリークはザーヒルを止め、彼が爆破スイッチを押す前に射殺する。 ターリークは多くの人命を救ったヒーローとされ、ジュナイドは逮捕されるが、ターリークの心は晴れなかった。彼は辞表を提出して退職する。また、地下鉄で射殺されたパーキスターン人については、テロリストとの関係が証明されるが、ターリークは敢えてそれを公にしなかった。だが、被害者は警察に対する訴えを取り下げる。
「全てのイスラーム教徒がテロリストではないが、全てのテロリストはイスラーム教徒だ」この言葉は、テロを題材にした映画でよく出て来る台詞である。南アジアを含むイスラーム教徒コミュニティーは、宗教によってテロリストと一律にレッテル貼りされることに不満を抱いており、それがこのような映画制作の原動力になっているように思える。だが、「Shoot On Sight」は、決してイスラーム教徒コミュニティーを擁護する内容でも、題名となっている即時射殺の制度の批判でもなかった。冒頭で即時射殺されたパーキスターン人は、冤罪と思われていたが、終盤で本当にテロリストであったことが発覚する。また、結末は、テロ事件の捜査を担当することになったイスラーム教徒警察官が、テロリストとなってしまった甥を自ら射殺するというものであった。結局、「全てのイスラーム教徒はテロリストではないが、全てのテロリストはイスラーム教徒だ」という言葉通りの展開になっていた。若者たちは、イスラーム教徒をテロリストと同一視する国際社会に反感を抱き、ますますテロの道に進むことになる。平和を望むイスラーム教徒ですら、原理主義に走る若者たちを止められなくなっている。そのような危険な事実が浮き彫りにされていた。主人公のターリーク・アリーは、その事実を重大に受け止め、警察官を辞めるのだが、彼がその後どうなったのかを描いてくれれば、イスラーム教徒はどうすればいいのか、その問いに関する映画のメッセージがもっと明確になったと思う。だが、きっと答えはないのだろう。
現在パーキスターンでは、長年のインド映画上映禁止令が解け、多くのインド映画が公開されており、概ね好評のようである。だが、パーキスターン政府がこの映画を上映禁止にしたのは、パーキスターン人俳優ミカール・ズルフィカールが、パーキスターン人テロリストの役を演じているからという理由のようだ。パーキスターン政府はパーキスターン人とテロリストのイメージを結び付けたくないようだが、何を今更という感じもしないではない。
インド人俳優の中では、ナスィールッディーン・シャーとオーム・プリーが特筆すべきであろう。二人ともデリーの国立演劇学校(NSD)卒の俳優で、娯楽映画から芸術映画まで様々な映画に出演して来ている。彼らの共演作の中では「Maqbool」(2004年)がもっとも印象に残っているが、「Shoot On Sight」ではイスラーム教徒警察官と原理主義聖職者という全く対照的な役を演じていた。二人とも素晴らしい演技であった。
普段はヘンテコな悪役を演じることが多いグルシャン・グローヴァーは、脇役ながらシリアスな演技を見せていた。彼のこういう演技を見る機会はあまりない。
この映画は元々英語の映画だと思うが、インドで公開されたバージョンは、ほぼ全ての台詞がヒンディー語に吹き替えられていた。
「Shoot On Sight」は、インド映画ながら、主人公はパーキスターン系英国人という設定であり、少し捻れているようにも感じる。だが、作品で主題となっているのは海外在住のイスラーム教徒が共通して抱える問題であり、インド人にとっても無関係ではない。よって、インド人が観る場合はとても考えさせられる映画ということになるだろう。しかし、一般の日本人が観た場合、いまいち感情移入しにくい映画であるかもしれない。