2007年、ハリウッドのプロダクションが初めて制作したヒンディー語映画「Saawariya」(2007年)が公開された。ソニー・ピクチャーズが制作したこの映画は残念ながら失敗作に終わってしまったが、ハリウッドのインド進出はこれに懲りず今後ますます拡大しそうだ。2008年9月19日から、ワーナー・ブラザーズが初めて制作したヒンディー語映画「Saas Bahu aur Sensex」が公開中である。ハリウッド資本が鳴り物入りで発表した割には意外に低予算のコメディー映画であったが、現代インドの特徴を鋭く捉えてコンパクトにまとまった佳作であった。
監督:ショーナー・ウルヴァシー
制作:ジャイシュリー・マキージャー
音楽:ブレイズ、ビピン・パンチャール、ランドルフ・コレア
歌詞:ラキーブ・アーラム、ブレイズ、ショーナー・ウルヴァシー
出演:キラン・ケール、ファールーク・シェーク、アンクル・カンナー、タヌシュリー・ダッター、マースーミー・マキージャー、リレット・ドゥベー、シャラン・プラバーカル、ムクター・バルヴェー、スィーマー・アーズミー、シャーナーズ・アーナンド、アヌシュカー・アーナンド、スダーンシュ・パーンデー(特別出演)など
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ムンバイー近郊の新興住宅街ナヴィー・ムンバイーのとある高層マンション。コルカタに住んでいたビニター・セーン(キラン・ケール)は、夫と離婚して一人娘のニティヤー(タヌシュリー・ダッター)と共にこのマンションに引っ越して来た。ニティヤーは一応母親に付いて来たものの、突然の離婚と引っ越しに戸惑っていた。ずっと主婦をしていたビニターは、生計を立てるために早速職探しを始めるがなかなか見つからない。一方、ニティヤーも職を探し始める。だが、ニティヤーの方は、同じマンションに住む青年リテーシュ・ジェートマラーニー(アンクル・カンナー)のおかげで、コールセンターに就職することができた。リテーシュはその会社で新人のトレーニングを行っていた。 職探しがうまく行かないビニターは、父親から譲り受けた株を売って現金を作ろうと考え、株式仲買人フィーローズ・セートナー(ファールーク・シェーク)のところへ行く。フィーローズは株式のいろはを知らないビニターを叱りつけて冷たくあしらうが、多少思い直し、職探しをしている彼女のために幼稚園を紹介する。フィーローズの紹介のおかげでビニターは幼稚園に勤めることが決まった。お礼を言いにフィーローズの事務所を訪れたビニターに、彼は株式の基礎知識を教えることを約束する。フィーローズのおかげでビニターはみるみる内に株取引の知識を蓄える。 ところで、マンションでは様々なコミュニティーに属する有閑マダムたちがキティーパーティーというサークルを作って交流していた。スィンド人ジェートマラーニー家のアニター(リレット・ドゥベー)、パンジャーブ人バラール家のジャスビール(シャラン・プラバーカル)、マラーター人ボースレー家のパリマル(ムクター・バルヴェー)、タミル人コディアルバル家のラター(スィーマー・アーズミー)、イスラーム教徒ヌーラーニー家の姑ディルナワーズ(シャーナーズ・アーナンド)と嫁サーニヤー(アヌシュカー・アーナンド)などである。ビニターもこのサークルに加わるが、テレビドラマと他人の噂しか毎日することのない彼女たちは、ビニターとフィーローズのただならぬ仲を噂するようになり、ある日彼女を尾行する。尾行されたことに気付いたビニターは呆れ、彼女たちにフィーローズを紹介する。それが縁で、彼女たちも株を始める。以後、彼女たちはテレビドラマを見るのをやめ、ひたすら株式情報を見るようになる。 リテーシュは、パリマル・ボースレーの妹キールティー・ワーガースカル(マースーミー・マキージャー)と付き合っていた。だが、キールティーは玉の輿を狙っており、リテーシュのことを本気で愛していなかった。喫茶店でバイトをする中で彼女は大富豪の御曹司ヤシュ・モーディー(スダーンシュ・パーンデー)と出会い、デートし始める。モーディーの会社は、リテーシュやニティヤーが勤めるコールセンターも所有していた。しかし、リテーシュはキールティーの浮気を知らず、彼女のことを一方的にガールフレンドだと思い込んでいた。一方、ニティヤーはリテーシュに恋をしており、キールティーがヤシュと密かにデートしていることも知っていたが、リテーシュには言わなかった。 ある日、リテーシュはキールティーにプロポーズする。キールティーは最初断るが、ヤシュがあまりに八方美人であることに嫌気が指した彼女は、一転してリテーシュのプロポーズを受け入れ、2人は結婚することになる。それを知ってニティヤーは急に元気がなくなり、会社も辞めてしまう。だが、辞める前に彼女は、モーディー・グループ会長の御曹司ヤシュ・モーディーとオーベローイ・グループ会長の娘が結婚するという情報を耳にする。ニティヤーからその情報を得たビニターは、モーディー株が急上昇すると予想し、キティーパーティーが株で儲けた金を全てつぎ込んでモーディー株を購入する。果たして予想通りに市場は動き、彼女たちは大きな利益を得る。 リテーシュとキールティーの結婚式が行われようとしていた。だが、結婚式の日にキールティーが行方不明になった。探してみると、彼女はオートリクシャーに乗ってヤシュのところへ行こうとしていたところだった。キールティーとヤシュは完全には切れておらず、ヤシュはオーベローイ家との縁談を蹴って彼女と結婚しようとしていた。それを知ったキティーパーティーは、もしキールティーのせいでモーディー家とオーベローイ家の縁談が破談になったら、モーディー株は急落し、大損になってしまうと恐れた。だがこのときビニターは、誰もリテーシュの感情を考えていないのを見て、株に手を出すことで人間性が失われてしまうことを知る。キティーパーティーもそれに同意し、以後株はきっぱり止めることを決める。
題名に「Saas Bahu(嫁姑)」という言葉があったので、てっきり嫁姑物のドラマかと思ったが、嫁姑の確執が描かれているのは一部だけで、しかも物語の本質とはほとんど関係がなかった。むしろ「Sensex」の方に重きが置かれ、主婦や一般人が株取引をすることに否定的なメッセージを送る映画になっていた。また、「Saas Bahu」という言葉には、インドの主婦層に熱狂的に支持されている嫁姑物のテレビドラマのことも暗喩していることは確実である。そういう意味では、「Sensex」も「Sex」をもじったものだと言える。つまり、日頃「Saas Bahu」物のテレビドラマを熱心に見て、「Sex」にまつわるゴシップを談義しているような暇な主婦たちが、ひょんなことから株取引を始め、「Sex」の代わりに「Sensex」に興味を持ち始めた、という意味の題名になる。そう考えるとよくできた題名である。また、映画中には同名のテレビ番組が存在し、主婦たちがそれに出演するといったヒトコマも見られる。
ちなみにSensexとは、ボンベイ証券取引所(BSE)の株価指数のことで、各種上場企業30社の株価の動きから算出されている。映画は、Sensex指数が8,000に達した時点で始まるが、現実世界でSensexが初めて8,000越えをしたのは2005年9月8日であり、映画の時間軸もそれと対応させて問題ないだろう。映画の中ではその後Sensexは9,000、10,000、11,000・・・と順調に上昇するが、現実世界でも同様の上昇を経験したことは周知の事実である。映画の最後では遂に20,000まで達したが、実際に20,000越えをしたのは2007年10月29日のことである。
「Saas Bahu aur Sensex」は、インドにおける一般人の間での投資熱を巧みに風刺したコメディー映画であったが、それよりもさらに優れていたのは、現在インドの大都市郊外に次々と建設されている大型マンションで構成されつつある新しい社会の描写に成功してたことだ。インド各地からやって来た人々がひとつのマンションに住み、それぞれの言語や文化を保持しながらも、新しい社会を作って共存している様がよく描かれていた。映画では、ベンガル人、スィンド人、パンジャーブ人、マラーティー(マハーラーシュトラ州の人々)、タミル人、イスラーム教徒、パールスィー(拝火教徒)の家族が登場した。ちなみに、株式仲買人セートナーやモーディーはグジャラート人である。また、マンション社会の中でも特にクローズアップされていたのは主婦たちのネットワークである。ヒンディー語映画でここまで主婦たちが元気なのは異例であり、それに代わって夫たちが脇役以下の存在に追いやられていた。
一応、リテーシュ、ニティヤー、キールティーの三角関係も映画の重要な要素ではあったが、リテーシュとニティヤーのその後の関係や、結婚式場を逃げ出したキールティーのその後などは映画の最後でほとんど触れられていないことから、やはり映画の焦点は主婦たちの投資熱にあることが分かる。
というわけで、この映画の主演はキラン・ケール以外にいない。彼女が演じたビニター・セーンは、ひたすら娘を思いやる古き良きインドの母親像をそのまま踏襲しながらも、離婚、就職、そして株取引と、現代的テーマに果敢に体当たりしている。21世紀のマザー・インディアという感じがした。通常のヒンディー語映画で主人公の母親役を演じることが多いキランが主演を演じる「Saas Bahu aur Sensex」は、「Khamosh Pani」(2003年)と並んで彼女の代表作に数えられることになるだろう。
株式仲買人フィーローズ・セートナーを演じたファールーク・シェークは、1970年代から80年代にかけて主にパラレルシネマ界で活躍して来た男優である。ヒンディー語娯楽映画には11年振りの出演となる。若手の中では、アンクル・カンナー、タヌシュリー・ダッター、マースーミー・マキージャーなど、今のところ二流三流に留まっている俳優が多い。アンクルは薄すぎるし、マースーミーはすっかり脇役女優が定着してしまっており、二人とも将来性はなさそうだが、タヌシュリー・ダッターだけは、地味ながらも堅実な演技を見せており、今後キャリアを修正できそうだ。
一応、娯楽映画であることを意識したのか、数曲の挿入歌があるが、どれも数十秒で終わってしまい、たしなみ程度と言ったところである。
インド各地出身のキャラクターが登場することを反映し、映画中では様々な言語が入り乱れる。ベンガリー語、スィンディー語、パンジャービー語、タミル語などなど。そしてヒンディー語がインド人の共通語として機能しているところもちゃんと表現されていた。よく、「母語の違うインド人同士が出会うと英語で話し出す」と言う人がいるのだが、それは少なくとも21世紀には当てはまらない。母語の違うインド人は、特別なシチュエーションでない限り、主にヒンディー語で会話をしている。
インド人教養層の若者に人気の職種であるコールセンターのオペレーターの実態も少し垣間見ることができるのも面白い。彼らはまず、アメリカ英語の発音をたたき込まれるのだが、そのトレーニングのシーンが少しだけあった。
「Saas Bahu aur Sensex」は、現代インド社会をうまく捉えたコメディー映画であった。庶民が株取引に安易に手を出すことへの警鐘が鳴らされていたが、映画のメッセージは決してそれだけに留まらない。インドは元々多言語社会、多文化社会であるが、大型集合住宅の勃興と様々なコミュニティーの人々の集住により、それが新たな展開を迎えつつあることを如実に感じさせてくれる。さらに、ハリウッドのワーナー・ブラザーズが初めて制作したインド映画であることも重要である。