2008年7月10日からデリーでオシアンス・シネファン(オシアンス映画祭)が開幕した。オシアンス映画祭は、インドの芸術文化の振興団体であるオシアンスが毎年デリーで開催している映画祭である。アジアや中東を中心とした世界各国の優れた映画が格安の料金で上映されるため、デリーの映画ファンたちは毎年楽しみにしている。オシアンスは日本映画に対して一貫して高いレスペクトを払っており、日本映画特集も頻繁に行われる。
今年の会場はスィーリー・フォート・オーディトリウムとアリアンス・フランセーズ。会場の登録窓口で登録をすれば誰でも映画を鑑賞することができる(登録料50ルピー、映画1本30ルピー)。
昨日は「It is Gradiva Who is Calling You」というフランス映画を観た。原題は「C’est Gradiva qui vous appelle」。日本でも「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」という邦題でDVDが発売されている。監督は今年2月に死去したアラン・ロブ=グリエ、主演はジェームス・ウィルビー、アリエル・ドンバール、ダニー・ヴェリッシモ、ファリッド・ショベルなど。エロティックかつグロテスクな映画で、女性の胸やアンダーヘアが丸見えであった。インドで一般上映される映画でこのようなことはほとんどないのだが、映画祭ならこのような表現も許されるのであろうか?モロッコ・ロケの映画で、マラケシュの風景がとてもエキゾチックであったが、インドとは直接関係ないので、ここでは特に映画評などは書かない。
今日はパーキスターン映画「Ramchand Pakistani」を見た。題名を見ればある程度予想できることだが、これは、パーキスターンのヒンドゥー教徒不可触民一家を主題にした映画である。パーキスターン人俳優陣の中に混じって、インド人女優ナンディター・ダースが出演している。今回の映画祭の目玉のひとつに挙げられており、客入りも上々であった。会場にはこの映画のプロデューサー兼ライターのジャーヴェード・ジャッバル、監督のメヘリーン・ジャッバルや、ナンディター・ダースが来ていた。ジャーヴェード・ジャッバルの話によると、この映画は実話をもとにフィクションを交えて作られており、事実と空想の割合は7:3ぐらいとのことである。
この映画については詳しく取り上げることにする。
監督:メヘリーン・ジャッバル
制作:ジャーヴェード・ジャッバル
音楽:デーバジョーティ・ミシュラー
歌詞:アンワル・マクスード
出演:ナンディター・ダース、ラシード・ファールーキー、ノーマン・イジャーズ、サイヤド・ファザル・フサイン(子役)、ナヴェード・ジャッバル、マリア・ワースティー
備考:スィーリー・フォート・オーディトリウム1で鑑賞。英語字幕付き。
国会議事堂テロを機に印パ間で緊張が高まった2002年。印パ国境近くの村に住むラームチャンド(サイヤド・ファザル・フサイン)は、コーリーと呼ばれるヒンドゥー教徒不可触民部族の8歳の男の子であった。ラームチャンドはある日誤って国境を越えてしまう。父親のシャンカルはラームチャンドを追って来るが、二人ともインドの国境警備隊に捕まってしまう。二人はグジャラート州ブジの収容所へ送られる。 村に一人残された母親のチャンパー(ナンディター・ダース)は、夫と息子がどうなったか分からないまま不安な毎日を暮らす。シャンカルの借金を返さなければならず、チャンパーは地主の小作人として3年間の契約を結び、住み込みで働き始める。 一方、シャンカルとラームチャンドは収容所で過酷な毎日を送っていた。まだ子供だったラームチャンドは、女性看守カムラー(マリア・ワースティー)から教育を受けると共に雑用も押しつけられる。だが、ラームチャンドはカムラーに対し親近感を覚えるようになっていた。 ある日、シャンカルとラームチャンドの解放が突然決まり、二人はデリーに送られる。ところが手違いであったことが分かり、二人はまた同じ収容所に戻される。その事件があって以来、シャンカルとラームチャンドの性格はすさみ始める。 4年の歳月が過ぎ去った。この間、印パ政府間の和解が進み、インドに収容されているパーキスターン人虜囚数百人が解放されることになった。ブジの収容所からは6人のパーキスターン人が釈放されることが発表されたが、その中にラームチャンドの名前はあれど、シャンカルの名前はなかった。ラームチャンドは父親を残して一人パーキスターンに帰るのを拒否するが、シャンカルは息子を送り出す。 パーキスターンに戻ったラームチャンドは自分の村へ帰る。そこで、3年の労働を終えて村に帰っていた母親と再会する。シャンカルも後に釈放され、母国に帰ることができた。
パーキスターンはイスラーム教を国教とするイスラーム教徒の国である。だが、イスラーム教徒人口は全人口の97%であり、イスラーム教以外の宗教を信仰する人々も僅かながら住んでいる。ヒンドゥー教徒もおり、その割合は1.5%ほど。「Ramchand Pakistani」は、パーキスターンのマイノリティーであるヒンドゥー教徒の一家に起こった悲劇を描いた作品である。プロデューサーの話では、パーキスターン映画史の中でパーキスターン在住ヒンドゥー教徒を題材にした初めての映画になりうるらしい。だが、映画を説明するにはそれだけでは言葉足らずである。主人公の一家は単にヒンドゥー教徒であるだけでなく、「ダリト」とか「アチュート」と呼ばれる不可触民のコミュニティーに属しているのである。正確にはコーリー(Kohli)という部族であり、農業と小作を生業とする、勤勉で知られたコミュニティーだ。スィンド州の乾燥地帯に住んでいるため、雨が降った年には農業をし、雨が降らなかった年は他地域の豪農の小作人となって生計を立てているという。ただし、不可触民であるがゆえに受ける差別などは、映画の中では一部を除いてそれほど描写されていなかった。
全長2,912kmの印パ国境上にはルーズな地域があるようで、そういう場所では近隣の村人や遊牧民は割と自由に国境を行き来しているようである。国境沿いに金網があるわけでもなく、この映画で出て来たように、ただ白い石が点々と並べられているだけだったりする。だから、知らない間に国境を越えてしまうということもあり、運悪く国境警備隊に捕まってしまうということも起こるのである。主人公のラームチャンドとその父親シャンカルも、印パが核戦争の危機を迎えた2002年にたまたま国境をまたいでしまい、インドの国境警備隊に捕まってしまった。紆余曲折の後、彼らは4年後にやっと釈放され、母国に帰ることができる。
外国人の素朴な視点でこの映画を観ると、インド領内に入ってしまったヒンドゥー教徒親子がインドにそのまま住むという選択肢はないのかと疑問に思うかもしれない。世界では一般的に、ヒンドゥー教徒はインドに住み、イスラーム教徒はパーキスターンに住んでいると考えられているため、そのような疑問はFAQになりそうだ。だが、その点こそ映画制作者が一番主張したかった部分のようである。つまり、非イスラーム教徒パーキスターン人のパーキスターンに対する愛国心である。実際にパーキスターンに住むコーリーのコミュニティーと接触した結果、監督は、非イスラーム教徒のパーキスターン人もパーキスターンに対して思い入れを持っていることを感じたらしい。さらに、ムシャッラフ大統領がスィンド地方の乾燥地帯に住む人々のために積極的にインフラを整えた経緯があり、彼らの中にはムシャッラフ大統領支持者が多いようである。そういう意味では、パーキスターンという国家、またはパーキスターン人という国民のアイデンティティに対し、ひとつの疑問を投げかける作品であった。
また、プロデューサー兼ライターのジャーヴェード・ジャッバルは、この映画を第一に「ヒューマンドラマ」と表現していた。収容所に入れられた父子の間の結びつきや、夫と息子が行方不明になった女性の不安など、人間の感情が映画の核心にあると述べていた。だが、その部分では丁寧な描写が足りなかったと思う。父シャンカルがラームチャンドに「全てお前のせいだ」と吐き捨てるシーンがあったが、その後にそれを解決するシーンはなかった。チャンパーは父と息子を失った後に、行商の男と淡い関係を持つようになるが、それも多くは説明されていなかった。人間と人間の関係や、人間の微妙な感情に深く踏み込んだ作品では決してない。全て表層的な描写しかなされていない。最後の母子の再会シーンも、感動はさせられるが、陳腐さは否めない。ただし、ラームチャンドと看守カムラーの関係だけはよく描かれていたと思う。カムラーは最初、ラームチャンドが不可触民であるために酷い扱いをするが、4年間の内に彼女はラームチャンドにとって父親の次に大切な人物になっていたのである。
映画の大部分はインドの収容所が舞台となっていた。グジャラート州のブジの収容所がモデルだという。だが、決して地獄のような描き方をしていない点は意外であった。監獄が舞台の映画では、囚人が酷い扱いを受けるシーンがよくある。パーキスターン映画の中の「インドの収容所」と言ったら、それに輪をかけて偏見だらけになりそうだ。しかし、意外にも「Ramchand Pakistani」の中の収容所はとてもアットホームで、看守もそれほど酷い人たちではなかった。国境警備隊の宿舎でシャンカルが拷問を受けるシーンはあったものの、逆さにつり下げられて殴られていただけで、予想していたほど酷い扱いではなかった。実話に基づいているがゆえに実在の機関に配慮してこのようなソフトな描写になったのであろうか、それとも実際の収容所はこんなものなのだろうか。
パーキスターンは映画よりもTVドラマが盛んで、この映画に出ていたパーキスターン人俳優の多くもTVドラマ畑の俳優のようである。シャンカルを演じたラシード・ファールーキーは特に優れた演技力を持つ俳優だと感じた。パーキスターンでは映画復興の動きが盛り上がっており、ここ最近優れたパーキスターン映画がインドでも続けて公開されている。インド映画界も積極的にパーキスターン映画の復興を応援しており、印パ間の映画人同士の交流も盛んである。この動きはこれから大きなうねりになって行きそうだ。
スィンド地方の荒涼とした風景も美しかった。ナンディター・ダース演じるチャンパーが着るカラフルな衣装が、その中にとても映えていた。
言語はウルドゥー語。インドのシーンに出て来るインド人役の人々もウルドゥー語的な語彙や言い回しの台詞を話していた。
「Ramchand Pakistani」は、人間のドラマとしてはアピールに欠ける映画である。だが、パーキスターン映画史上初のヒンドゥー教徒を題材にした映画という点、印パ核戦争危機と緊張緩和という歴史上の事件を背景にした映画である点、そして印パ国境地帯の厳しい自然とそこに住む人々の文化を垣間見せてくれる映画という点で、観るに値する映画だと感じた。