2008年1月18日公開の「トゥルスィー」は、余命わずかの母親が、4人の子供の養子縁組先を探すという涙のストーリーである。米国映画「ファミリー」(1983年)のリメイクであるが、この映画はそれまでに、マラヤーラム語映画「Akashadoothu」(1993年)、テルグ語映画「Mathru Devo Bhava」(1993年)、カンナダ語映画「Karulina Koogu」(1994年)、マラーティー語映画「Chimani Pakhar」(2000年)と、複数のインド諸語で映画化されてきている。
監督はKアジャイ・クマール。主演はマニーシャー・コーイラーラーとイルファーン・カーン。他に、クルブーシャン・カルバンダー、ヴィクラム・マカーンダール、ヤシュパール・シャルマー、ティーヌー・アーナンドなどが出演している。
スーラジ(イルファーン・カーン)とトゥルスィー(マニーシャー・コーイラーラー)はどちらも孤児で、スワーミー(クルブーシャン・カルバンダー)が経営する孤児院で生まれ育ち、恋に落ちて結婚した。二人の間には4人の子供ができた。長女のイーシャー、双子のディープとヴィジャイ、そしてまだ赤ん坊のチョートゥーである。ヴィジャイは足が悪く、補助器を付けていた。 スーラジはアルコール中毒で、トゥルスィーはそれに悩んでいた。スーラジは肝臓を悪くし、トゥルスィーは彼にアルコールを止めさせようと努力するが、スーラジは毎晩どこかで飲み、酔っ払って帰宅した。 スーラジの親友ヴィクラム(ヤシュパール・シャルマー)は、トゥルスィーにしつこく言い寄っていた。スーラジが留守のある日、ヴィクラムはスーラジの家に押し入り、トゥルスィーをレイプしようとする。異変に気付いた子供たちが戻って来て助けたために事なきを得た。それを知ったスーラジはヴィクラムに公衆の面前で暴行を加える。ヴィクラムはスーラジを恨むようになる。 ヴィクラムは一人で自転車を漕いでいたディープを後ろからトラックで轢く。幸い、ディープは軽傷で済んだが、このとき輸血のためにたまたまトゥルスィーの血液検査が行われ、彼女が白血病に冒されていることが分かる。余命は2-3ヶ月とのことだった。 トゥルスィーはそれをスーラジに打ち明ける。スーラジはアルコールを止め、いい夫になろうとするが、ヴィクラムに夜道で襲われ、命を落とす。 トゥルスィーは、子供たちを孤児にしないため、死ぬ前に彼らの養子縁組先を探そうとする。孤児院のスワーミーやダヤーナンダ(ヴィクラム・マカーンダール)がそれを助け、チョートゥー、ディープ、イーシャーと新しい家族が決まっていく。だが、ヴィジャイは足が悪かったため、引受先がなかった。 ある晩、とうとうトゥルスィーは死んでしまう。トゥルスィーの葬儀が行われ、引き取られた子供たちも新しい家族と共に参列するが、葬儀が終わると離れ離れになってしまう。ヴィジャイは後に残されたが、ディープの家族がヴィジャイも受け入れることを認めてくれる。こうして、4人の子供たちは孤児にならずに済んだのだった。
トゥルスィーは、自宅の祭壇にヒンドゥー教、イスラーム教、キリスト教のシンボルを並べ、全ての宗教を区別せずに信じる、敬虔な女性であった。夫のスーラジはアル中になってしまったが、それでも彼を見捨てなかった。トゥルスィーは、自分を育ててくれた孤児院で音楽を教えていた。
長年の暴飲が祟り、スーラジは肝臓を悪くする。それでも彼は酒を止めず、命の危険があった。ところが意外なことに、先に死期が来たのは、誰にも不平を言わずに何もかもじっと耐えてきたトゥルスィーの方だった。たまたま行った血液検査で、白血病という不治の病に冒されていることが分かり、余命も多くなかった。酒や煙草など、身体に悪いとされるものを毎日のように摂取していたスーラジよりも、慎ましく生きてきたトゥルスィーの方が先に重大な病に罹ってしまうのは何とも皮肉な事態であった。
だが、「Tulsi」は、そんな人生の不平等や運命の悪戯を描いた作品ではなかった。スーラジとトゥルスィーは両者とも孤児だったという設定がポイントである。なんと、スーラジは友人とのいざこざでトゥルスィーよりも先に命を落としてしまい、彼らの4人の子供が、彼らと同じように孤児になってしまう恐れが出て来たのである。
トゥルスィーの本心は、自分が死ぬ瞬間まで子供を傍に置いておきたいというものだっただろう。だが、それでは彼女の死後、子供たちが路頭に迷い、孤児となって、親の愛情を知らずに育つことになってしまう。それだけは避けたかったトゥルスィーは、心を鬼にして、自分が生きている間に、子供たちを一人一人養子に出していく。
もうひとつのポイントは、4人の子供の内、ヴィジャイが身体障害者だったことだ。他の3人の新しい家族はすぐに見つかったが、ヴィジャイを受け入れてくれる家族は現れなかった。おかげで彼は、兄弟の中でもっとも長く母親と一緒に過ごすことができる。ヴィジャイはトゥルスィーに、身体障害者に生まれて幸せだと語る。
「Tulsi」は基本的に残酷な筋書きの映画であり、トゥルスィーの白血病が発覚してからは、ほとんど明るい話題もなくエンディングまで突き進む。トゥルスィーの「あと一晩だけ」という神様への切実な願いも聞き届けられず、彼女は朝を見ることなく息絶えてしまう。だが、最後の最後で、ヴィジャイがディープの家族に受け入れてもらえたことで、ようやく前向きな感動を受け取ることができる。
トゥルスィーを演じたマニーシャー・コーイラーラーのためにあるような映画で、健気な薄幸の美女役を、美しく、はかなげに、しかし力強く演じ切った。副題の「Mathru Devo Bhav」とは「母親は神様だ」を意味するが、死を前にした母親が子供たちの幸せのためにどういう勇気ある行動を取るのかが中心議題の映画になっていた。
相手役のイルファーン・カーンも、肩の力を抜きながらも、要所要所で天才的なアクションを見せていた。特にトゥルスィーから、白血病に罹り余命あとわずかだと伝えられたときのスーラジの反応は、彼にしかできないような優れた演技であった。裏切り者を演じることが多いヤシュパール・シャルマーの安定した悪役振りも見所である。
「Tulsi」は、全ての不幸を耐え忍びながら、子供たちのために残された幸せも犠牲にする母親が主人公の映画である。「Mother India」(1957年)などに代表される、強い母親の映画であり、インド人が好むストーリーである。メロドラマが過ぎるきらいもあるが、涙なくしては観られない。主演マニーシャー・コーイラーラーと相手役イルファーン・カーンの共演も大きな見所である。