1980年代はヒンディー語映画の暗黒時代と呼ばれている。TVやビデオが普及したことで観客が映画館に寄りつかなくなり、映画は貧困層の娯楽に成り下がった。ヒンディー語映画界も背に腹は代えられず、貧困層向けの、暴力とエロに満ちた、単純で低俗な娯楽映画を連発するようになった。それがさらに観客を映画館から遠ざけた。その悪循環を断ち切ったエポックメイキング的な作品のひとつが、1988年4月29日公開のロマンス映画「Qayamat Se Qayamat Tak(破滅から破滅まで)」である。ゴールデンジュビリー(50週連続公開)を記録する大ヒットとなった上に、その年のフィルムフェア賞を総なめするほどの高い評価を受け、1990年代のヒンディー語映画復活の地ならしをした。
また、この映画は、後に「3カーン」の一人に数えられ、「ミスター・パーフェクト」の異名を持つことになるアーミル・カーンのデビュー作としても重要である。プロデューサーは叔父のナースィル・フサイン、監督は従兄弟のマンスール・カーンであり、彼の家族のホームプロダクション的な作品でもあった。マンスール監督にとってもこれがデビュー作である。
また、アーミル・カーンの相手役を務めたのは、1990年代のトップ女優になるジューヒー・チャーウラーである。彼女のデビューは2年前の「Sultanat」(1986年)だったが、彼女がスターダムを駆け上がるきっかけとなったのもこの「Qayamat Se Qayamat Tak」であり、そういう意味でも、この作品は非常に重要だ。
音楽監督はアーナンド・ミリンド。2人の兄弟による作曲家デュオであり、デビューは「Ab Aayega Maza」(1984年)であったが、やはりこの「Qayamat Se Qayamat Tak」で注目を浴び、以後、多くの映画の楽曲を手掛けることになる。
アーミル・カーンとジューヒー・チャーウラーの他には、ゴーガー・カプール、ダリープ・ターヒル、ラヴィンドラ・カプール、アーシャー・シャルマー、アーローク・ナート、ラージ・ズトシー、リーマー・ラーグーなどが出演している。また、アーミル・カーンの甥イムラーン・カーンも子役として出演している。
2022年9月10日に鑑賞した。
タークル・ジャスワント・スィン(アーローク・ナート)はダナクプル村に住むラージプートであった。彼の弟ダンラージ(ダリープ・ターヒル)は、妊娠させられて捨てられ自殺した妹マドゥマティの復讐のため、同じ村に住む別の家系のラージプート、タークル・ラグヴィール・スィンの息子ラタンを殺し、警察に逮捕される。ダンラージは無期懲役となり、ジャスワントは一家を連れてデリーに引っ越し、衣類の商売を始める。 20年後。ダンラージの息子ラージ(アーミル・カーン)は大学を卒業し、叔父ジャスワントの仕事を手伝うようになる。ラージは所用のため、従兄弟のシャーム(ラージ・ズトシー)と共にダナクプル村に戻る。彼の家族と遺恨を残したラグヴィールは既に死去しており、その長男ランディール(ゴーガー・カプール)が家主となっていた。ラージとシャームはランディールの屋敷に忍び込み、そこで彼の娘ラシュミー(ジューヒー・チャーウラー)を見る。ランディールやラシュミーたちも普段はデリーに住んでおり、たまたまこのときは実家に戻っていたのだった。 ラージは家族と共にマウント・アーブーを訪れる。そのときちょうどラシュミーもマウント・アーブーに来ていた。二人は出会い、恋に落ちる。だが、ラシュミーがランディールの娘であることを知ったダンラージは、彼女との結婚を断じて許さない。ラージは、もう二度とラシュミーと会わないと約束させられる。 ラージの家族もラシュミーの家族もデリーに戻る。ランディールはラシュミーの縁談を知人の息子ループ・スィンとまとめようとする。ラージは婚約式の会場からラシュミーを連れ出そうとするが見つかり、暴行を受け、追い出される。だが、ラシュミーの親友カヴィターの協力を得てラシュミーは家を逃げ出し、ラージと合流して逃避行の旅に出る。 ラージとラシュミーは丘の上の廃寺に居を定める。ランディールはラージの写真を新聞に載せて賞金を掛け、探す。そして居所が知れると、殺し屋を雇って彼を殺そうとする。ラージの命が危ないと知ったダンラージも現地に駆けつける。だが、殺し屋によってラシュミーがまず殺され、次にラージも自ら命を絶つ。
確執のある2つの家の間で、若い男女が禁断の恋に落ち、家族の反対を押し切って駆け落ちの逃避行をするという、「ロミオとジュリエット」型のロマンス映画だった。最後に主人公のラージとラシュミーは相次いで死んでしまうため、悲恋映画に分類していいだろう。ただ、ラストに至るまでに、マウント・アーブー郊外での楽しいピクニックや森林での甘いサバイバル生活、そして廃寺でのほのぼのとした新婚生活などが長めに描写されていたりして、むしろ明るいシーンが目立つ映画だった。ひとつのジャンルに収まらない、典型的なマサーラー映画の作りである。
ヒンディー語映画において、若い男女が恋に落ち、その結婚が両親などから認められない場合、その理由にはいくつかパターンがある。「Qayamat Se Qayamat Tak」では、たまたまラージとラシュミーは同じラージプートに属しており、カースト上の障壁は少なかった。宗教についても、もちろん両者ともヒンドゥー教徒である。障壁になったのは、両家の古い確執であった。ラシュミーの叔父はラージの父親の妹を孕ませた上に捨てていた。そしてラージの父親はラシュミーの叔父を殺していた。20年前のこの事件が、両家の間に埋められない深い溝を作ってしまっていた。
21世紀のヒンディー語映画では、父親キャラがだいぶ温厚になったのだが、この時代ではまだ家父長が絶対的な権力を持っている。威厳と恐怖で家族を支配しており、特に女性メンバーは家父長の決断に黙って従う他ない。結婚を否定されたラージもラシュミーも、父親に真っ向から逆らって結婚しようとする行動はせず、黙って逃げるしかなかった。
また、現代の視点から観ると、名誉殺人という考え方がないのも気になった点である。ラージプートは家族の名誉を大切にするインド人の中でも、そういう意識が非常に強いコミュニティーである。一族の娘が駆け落ち結婚したとしたら、その相手を殺すのはもちろんのこと、一族の名誉を汚したということで、娘まで殺してしまうのが一般的だ。だが、ランディールからは、ラシュミーまで殺そうという意思は感じられなかった。ラストで彼が狙っていたのはラージの命のみである。
アーミル・カーンとジューヒー・チャーウラーはどちらも初々しい演技であった。撮影時、二人とも20歳そこそこだったはずである。その後、二人とも独自の色を出していくが、このときは典型的なヒンディー語のヒーローとヒロインを演じており、微笑ましい。また、二人はいきなりキスシーンも披露しており、当時としてはかなり思い切った演出だったと思われる。
音楽もとてもいい映画である。最大のヒット曲は、ラージが大学の卒業パーティーで歌う「Papa Kehte Hain」である。この曲は、その後いろいろな映画で引き合いに出されるまでポピュラーになった。他にも「Gazab Ka Hai Din」や「Akele Hain To Kya Gum Hai」など、いい曲が多い。
ラージとラシュミーが駆け落ちの末に行き着いた場所は、大きな岩がゴロゴロと転がる風光明媚な土地だった。二人はデリーからアーグラー方面に逃げたので、現実的に考えたら北インドのどこかのはずだが、その風景は明らかに北インドのものではない。インド中を旅行した者ならば、このシーンのロケ地として必ずカルナータカ州ハンピーの名が挙がるであろう。この特徴的な光景はハンピー独特のものだ。だが、調べてみたらこれはハンピーではなく、同じくカルナータカ州のコーラール(Kolar)であった。ハンピーに似た風景の場所が他にもあるようだ。
また、マウント・アーブーとして登場した場所も、実はタミル・ナードゥ州のウダカマンダラム(別名ウータカマンド、ウーティー)であるらしい。意外にも南インドで多くのシーンが撮影された映画ということになる。
「Qayamat Se Qayamat Tak」は、低迷していた1980年代のヒンディー語映画界浮上のきっかけを創り出した金字塔的映画である。また、この映画の成功により、アーミル・カーン、ジューヒー・チャーウラー、マンスール・カーン、アーナンド・ミリンドなど、多くの人材がその後の活躍の足がかりを得た。ストーリーや音楽も秀逸であり、興行的にも大成功している。21世紀に観ると、古き良き時代のマサーラー映画だと感慨深い。間違いなくこの時代のもっとも重要な作品のひとつである。