インド映画史上最高傑作に数えられることも多い「Mughal-e-Azam」(1960年)が3年前のディーワーリー週(2004年11月12日)に完全カラー化されて公開されたときは大きな話題を呼んだ。白黒映画のカラー化には賛否両論があるが、古典的名作を最先端の音響設備の整った映画館で見るチャンスが得られるのは素晴らしいことである。カラー版「Mughal-e-Azam」は1億ルピーの興行収入を上げるヒットとなり、白黒映画のカラー化がビジネスになることが証明された。それから3年後、遂にカラー化白黒映画第2弾が2007年8月3日に公開された。BRチョープラー監督の「Naya Daur」である。オリジナルは1957年8月15日公開ということで、ちょうど50年後のリバイバル公開ということになる。ただし、「Mughal-e-Azam」のリストアとカラー化を担当したのはインド芸術アニメ学院社(IAAA)だったが、今回はフロリダのウェスト・ウィングスというインド人経営の会社のゴア支社が行ったらしい。プロダクションも異なる。だから、白黒映画のカラー化プロジェクトは特定の個人や団体が推し進めているわけではなく、独立して行われているようだ。
監督:BRチョープラー
制作:BRチョープラー
音楽:OPナイヤル
作詞:サーヒル
出演:ディリープ・クマール、アジート、ヴァイジャヤンティーマーラー、ジーヴァン、チャーンド・ウスマーニー、ジョニー・ウォーカーなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
馬車の御者シャンカル(ディリープ・クマール)と木こりのクリシュナ(アジート)は大の親友だった。だが、二人は同じ女性を恋してしまう。その女性の名前はラジニー(ヴァイジャヤンティーマーラー)。シャンカルとクリシュナは、祭りの日にラジニーが神様に捧げる花の色で決着を付けることを決める。もしラジニーがジャスミンの白い花を捧げたら彼女はシャンカルのもの、マリーゴールドの黄色い花を捧げたらクリシュナのもの、ということになった。ところがその話をシャンカルの妹のマンジュー(チャーンド・ウスマーニー)が聞いていた。マンジューは密かにクリシュナに恋していた。祭りの日、ラジニーはマリーゴールドの花を持って来るが、マンジューがこっそりそれをジャスミンに取り換えた。それを目撃したクリシュナは、シャンカルが妹を使って自分を騙したと勘違いし、シャンカルと絶交する。 一方、村にはクンダン(ジーヴァン)という都会育ちの男が、バナーラスへ行った父親に代わって木材の仕事を見にやって来ていた。クンダンは人間の労働力では限界があると感じ、町から機械を持って来る。そのおかげで今まで木材の加工に携わっていた職人たちは職を失ってしまう。 シャンカルに何とか復讐しようと考えていたクリシュナは、クンダンに入れ知恵をする。それに従い、クンダンはバスを走らせ始めた。駅から村へ人を運んで生活費を稼いでいたシャンカルは、生活の危機にさらされる。シャンカルと御者仲間はクンダンのところへ押し掛ける。クンダンは、馬車とバスで競争して勝ったらバスをやめるという条件を出す。シャンカルはそれを受け入れる。競争は3ヶ月後に行われることになった。 普通に競争したら馬車に勝てるはずがない。だが、シャンカルには秘策があった。競争は寺院まで先に着いた方が勝ちだった。バス用の道は遠回りして寺院へ通じていた。そこで、馬車用の近道を3ヶ月以内に人力で作ることを思い立ったのだった。当初はその突拍子もない考えに賛同する者はラジニーとマンジューぐらいしかいなかったが、次第に村の仲間たちの協力を得られるようになる。ボンベイから来たジャーナリスト(ジョニー・ウォーカー)がシャンカルたちの努力を新聞で取り上げたことにより、職を失って他の土地へ移り住んでいた村人たちも戻って来て協力し始めた。クンダンはクリシュナや部下を使って妨害しようとするが、シャンカルたちはそれをひとつひとつ克服する。途中、小川にぶち当たるが、そこに橋を架けることにも成功する。そして遂に道を完成させる。 競争日前日、クリシュナは密かに橋杭を破壊していた。ところがそれをマンジューに見られてしまう。マンジューはそのとき初めてクリシュナに、花を取り換えたのは自分がクリシュナと結婚したかったからだと告白する。真実を知ったクリシュナは、一転して橋を補修し始める。 競争日。シャンカルは馬車に乗り、クンダンはバスに乗り、一斉に走り出した。バスは古い自動車道を通り、馬車は新しい馬車道を通った。橋の補修は間に合いそうになかったが、クリシュナが体で橋を支え、シャンカルの通行を助ける。シャンカルの馬車はクンダンより先に寺院に着き、勝利を収める。シャンカルはクンダンに、機械と人間が共存できる社会を求める。また、シャンカルとクリシュナは友情を再確認し、抱き合う。
人間の生活を便利にするために作り出されたはずのものが、人間の生活の糧を奪う。そんな現代にも通じる問題を、迫力ある映像と、愛と涙と勇気溢れるストーリーで描き出した傑作。カラー化の質も高く、特に背景の山々などは実写なのではないかと目を疑ったほどだ。最後のバスと馬車のレースは、50年前の映画とは思えないほどスリリングであったし、仲違いした親友が再び抱き合うシーンは涙が溢れた。あらゆる娯楽的要素を詰め込んだマサーラー映画の最高到達点のひとつと言える。
機械対人間または文明批判というテーマは、「Naya Daur」が公開された50年前でも新しいものではなかっただろう。そもそも古典的SF映画の真のテーマは文明批判であった。そのテーマは容易に富裕者対貧者、モダン対伝統などに置き換えることもできる。だが、「Naya Daur」は完全に機械を否定する訳でもなく、完全に文明を否定する訳でもなく、人間と機械が共存できるような社会が理想として掲げられ、人間の愛と友情と勇気が礼賛されていた。機械と人間の対立を単純に、富める者と貧しい者の対立に置き換えてもいなかった。ディリープ演じるシャンカルは、バスと馬車のレースを「機械と手の戦い」と宣言し、勝利した後はクンダンに、「金持ちの財布が温まり、貧乏人の腹も満たされるような社会」、「テクノロジーを活用しながらも、伝統的な仕事をしている人々が生活できるような社会」を考えて欲しいと頼んでいる。独立の熱気冷めやらぬ希望に満ちた50年代のインドを象徴するような、理想主義的な映画であった。
「Naya Daur」は明らかにマハートマー・ガーンディーの思想に基づいている。映画の冒頭にガーンディーの言葉が引用されていることからも明白である。ガーンディーは機械そのものには反対していなかったが、雇用削減を目的とした機械の導入、機械による大量生産、少数による富の独占を促す機械の利用に断固反対していた。その思想がインド独立後もインドの産業や社会にかなりの影響力を及ぼし、今から見ればインドの発展を妨げたことは否めない。経済自由化を機に経済成長の波に乗り、大量消費社会に突入しつつあるインドは、現在ではガーンディーの思想とは逆の方向へ向かっているように見える。そういう時代だからこそ、「新時代」を謳った「Naya Daur」のリバイバルは意味のあるものだと言える。
当時のヒット作であり、傑作でもある「Naya Daur」がカラー化されてリバイバルされるのには十分過ぎる理由があるのだが、もうひとつ、映画を観ていてカラー化するメリットを感じた。それは、シャンカルとクリシュナがラジニーを巡って賭ける賭けだ。二人は親友同士だったが、ある日同じ女性を恋してしまったことを知り、困惑する。最初二人はお互いに譲り合うが、シャンカルはその決着を神様に託すことを提案する。もしラジニーが祭りの日に寺院でチャメーリー(ジャスミン)の白い花を捧げたらラジニーはシャンカルのもの、ゲーンド(マリーゴールド)の黄色い花を捧げたらクリシュナのもの、という賭けである。そんなまどろっこしいことをせずに、ラジニーにどっちが好きかを聞けば決着が付くのに、と思うのだが、非常に微笑ましいシーンである。花の色が判定基準になるのだから、ここはカラー映画でなければ説得力がない。当然、カラー版「Naya Daur」ではしっかり花の色が着色されていた。
カラー化の質は「Mughal-e-Azam」と比べても遜色ないが、一ヵ所だけ気になる点があった。それは、寺院のご神体のシヴァ像である。前半、シヴァ像が出て来るシーンで、額のティラクと頭にくっ付いた月がチラチラと不自然に動くのである。後半ではそんなことはなかった。推測するに、オリジナルのフィルムで、シヴァ像にティラクと月が欠けており、後半のティラクと月のあるシヴァ像と合わせるために、カラー化のときに追加したのではないかと思う。もしかしたらそのミスはオリジナルのフィルムのものかもしれない。
ディリープ・クマールとヴァイジャヤンティーマーラーは当時を代表する人気俳優である。共演のアジートと共に、素晴らしい演技であった。この映画のキャスティングにはいくつか裏話が残されている。ディリープ・クマールは、最初この映画への出演オファーが来たとき、脚本も読まずに拒否した。仕方なくBRチョープラー監督はアショーク・クマールに出演依頼したが、彼はこの役は都会風の自分には合っていないと判断し、ディリープが適任だと助言した。既に断られていたのを知ったアショークは自らディリープを訪れ、脚本を読むように勧めた。脚本を読んだディリープは一瞬で気に入り、即座に出演をOKしたと言う。また、元々ラジニーの役は、現在でも映画ファンの間で「インド映画史最高の美女」の誉れ高いマドゥバーラーが演じる予定だった。当時ディリープとマドゥバーラーが恋愛関係にあることは公然の秘密であった。だが、マドゥバーラーの父親は二人の仲を認めておらず、ディリープとの共演を許さなかった。そこでマドゥバーラーの代わりにタミル語映画界出身女優ヴァイジャヤンティマーラーがラジニー役を演じることになった。ディリープ・クマールとヴァイジャヤンティーマーラーは既に「Devdas」(1955年)で共演していた。ただしヴァイジヤャンティーマーラーが「Devdas」で演じたのはヒロインのパーローではなく、準ヒロインのチャンドラムキーであった。ディリープとヴァイジャヤンティーマーラーは、現在まで存命であること、長い間スクリーンから遠ざかっていること、国会議員になって政界で活躍した時期があることなど、いくつか共通点がある。
数年前に亡くなってしまったが、コメディアン俳優のジョニー・ウォーカーも途中から登場ながらいい味を出していた。
細かい点は異なるものの、「Naya Daur」は「Lagaan」(2001年)と非常によく似た映画だと感じた。田舎が舞台になっていること、自分たちの家族、村、生活を守るために権力者とスポーツで賭けをすること、最初は孤軍奮闘だった戦いが、次第に仲間たちの理解を得て、最後には村が一丸となっての戦いとなること、村から裏切り者が出て危機に陥るが、最後にその裏切り者が改心して村人たちの側に付くことなど、かなりの共通点があった。「Lagaan」の映画制作者が参考にした点は多いと思う。
「Naya Daur」は、50年前の映画ながら、今観ても全く遜色ない傑作である。最新の映画館の迫力ある音響設備と共にこの映画を楽しむチャンスは今しかない。観れば感動間違いなし、見逃したら一生の損、の映画である。これからも続々と過去の名作がカラー化されてリバイバル上映されると思うと楽しみでならない。今のところ、BPチョープラー監督の息子のラヴィ・チョープラーが父親の作品を全てカラー化する野望を抱いており、「Dhool Ka Phool」(1959年)、「Kanoon」(1960年)、「Gumraah」(1963年)などがリストアップされている。また、アルン・ダットは父グル・ダット監督の「Pyaasa」(1957年)や「Sahib, Bibi Aur Ghulam」(1962年)のカラー化を計画しており、デーヴ・アーナンドは、自身で制作し、弟のヴィジャイ・アーナンドが監督した「Hum Dono」(1961年)のカラー化を進めている。