今日は、2007年4月6日公開の新作ヒンディー語映画「Shakalaka Boom Boom」を観た。
監督:スニール・ダルシャン
制作:スニール・ダルシャン
音楽:ヒメーシュ・レーシャミヤー
作詞:サミール
振付:ボスコ・カエサル
出演:ボビー・デーオール、カンガナー・ラーナーウト、ウペーン・パテール、セリナ・ジェートリー、アヌパム・ケール
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
舞台はニューヨーク。AJ(ボビー・デーオール)はアルバムを5枚連続ヒットさせた人気シンガーソングライターであった。AJは偶然出会った女性ルーヒー(カンガナー・ラーナーウト)に恋をし、デートを重ねる。その一方でルーヒーはミュージシャンの卵、レッギー(ウペーン・パテール)に出会う。ルーヒーは最初レッギーを嫌っていたが、次第に彼のことが気になり始める。とうとうレッギーはAJからルーヒーを奪い、自分のものにする。 AJはレッギーの天才的才能に気付いていた。ちょうどそのとき彼はスランプに陥っており、曲作りで苦労していた。だが、レッギーは革新的な音楽を次々と思い付くアイデアの宝庫であった。AJはレッギーの才能に嫉妬した。その上、婚約指輪を渡そうとしていた矢先にルーヒーをレッギーに奪われてしまった。次第にAJはレッギーへの復讐に燃えるようになる。 また、レッギーにはシーナー(セリナ・ジェートリー)という恋人がいた。シーナーは以前からレッギーのデビューを後押ししていた。だが、レッギーはあっさりとルーヒーに乗り換えてしまった。それに怒ったシーナーは、今度はレッギーへの復讐を誓う。AJとシーナーはコンビを組むことになる。 レッギーは何とかデビューを果たそうと躍起になり、とうとうデビューもするが、AJとシーナーの妨害により、メディアは少しも彼のことを取り上げようとしなかった。音楽プロダクションもレッギーに見向きもしなかった。次第に自暴自棄になって行くレッギー。そこへ、ある日突然、故郷ジョードプルから父親(アヌパム・ケール)がやって来る。レッギーは音楽の全てを父親から学んだのだった。だが、ビッグになるという野心を持ってレッギーは故郷を去り、ニューヨークへ単身渡って来たのだった。父親は焦るレッギーに、「お前の時代が必ずやって来る」と諭すが、レッギーはそれに反発し、二人の仲は険悪になってしまう。だが、父親は立ち去るときに、「他人を許すことを学びなさい」と言い残す。その言葉がレッギーの心に突き刺さる。 だが、レッギーの性格に変化はなかった。レッギーは自分の不成功をルーヒーに向けて八つ当たりするようになる。ある日ルーヒーは怒って彼の家を出て行ってしまう。一方、レッギーの破滅を目論んでいたAJとシーナーは、今度は夜な夜な彼を連れ出しては酒を飲ませ、健康を蝕んでいった。とうとうレッギーは寝込んでしまうが、AJはさらに彼を追い込む。AJはレッギーに2枚目のアルバム作成を持ちかけ、短時間で作詞作曲をするように強制する。病床のレッギーはAJの助けを借りて曲作りを始める。ところが、AJはその曲を自分の物にしようとしていた。AJがうっかり口を滑らせてしまったことからそれは発覚し、レッギーは怒るが、既に彼の身体は病気でボロボロになっており、そのまま昏睡状態に陥ってしまう。そこへルーヒーもやって来る。すぐにレッギーは病院へ搬送された。 AJはレッギーが作った曲を引っさげてコンサートを行おうとしていた。そこへ銃を持った一人の女性の影が。ルーヒーであった。ルーヒーはAJへの復讐をするためにコンサートにやって来ていた。ところが、銃を抜こうとした瞬間、AJの頭上にミラーボールが落下する。AJはその傷によって聴覚を失ってしまう。一方、レッギーは昏睡状態から復活し、ルーヒーと共に退院するのであった。
題名が題名だし、ボビー・デーオールが出ているので、てっきり単純なお馬鹿映画かと思ったら、なかなかしっかりした筋の娯楽映画であった。舞台は音楽業界であったが、成功を手にし、プライドに支配されるようになった人物が、才能豊かな若者に嫉妬し、その成長を妨害しようとする人間模様は普遍的なものがあった。ボビー・デーオールもかなり好演していた。ちょっと見直してしまった。
一応この映画は勧善懲悪ということになるだろう。AJは前半まだまだ良心に捉われていたが、後半ではレッギーを音楽人生を破壊するためにあらゆる汚ない手段に手を染め、完全に悪役であった。よって、AJがラストで事故に遭って聴力を失うことで映画は一応のまとまりを見せていた。レッギーの元彼女のシーナーも後半は完全な悪役である。だが、かと言って、ライバルのレッギーが善かというとそうでもない。彼もまた自己中心的な人物として描かれていた。しかし、観客の感情移入はどちらかというとレッギーへ行くだろう。やはり自分の音楽の才能を世間に認めてもらいたいという彼の気持ちを応援したくなる。
この映画の主演の中で唯一汚点がなかったのはルーヒーだった。AJからレッギーへの乗り換えはかなり劇的であったが、その後のレッギーへの献身振りは実に健気であった。ルーヒーがAJを暗殺しようとした直前に、ミラーボールがAJの頭上に落下し、彼女が自ら手を汚さずに済んだのは、「インド映画の良心」であろう。その前にルーヒーは教会で神様に祈り、「私の手で罰することになろうとも、あなたの手で罰することになろうとも、あの男は必ず罰せられなければならない」と誓うが、それを神が聞き届けたということなのだろう。つまり、因果応報、悪い事をする人が、いずれ神様が罰してくれるのである。この辺りはインド映画の奥の深さを示す筋であった。
この映画の一番の収穫はボビー・デーオールかもしれない。ダルメーンドラの息子で、サニー・デーオールの弟であるボビー・デーオールは、アクション男優のイメージが強いが、今回は嫉妬とスランプに悩まされる音楽家という難しい役をかなり巧みに演じていた。こんな演技のできる俳優だったとは思わなかった。兄と比べていまいち存在感が薄い彼の転機となってもおかしくない映画である。
モデル出身で期待の新人男優の1人、ウペーン・パテールも魅力を存分に発揮していた。これから出演の機会がどんどん増えて来るだろう。顎の割れ方が気になって仕方ないのだが、それがきっと彼のセックスアピールなのであろう。サルマーン・カーン並に裸体を見せるのが好きな男優にもなりそうだ。
女優陣ではやはり注目は2006年フィルムフェア映画賞で新人賞を獲得したカンガナー・ラーナーウトに集まるだろう。トレードマークだったカーリーヘアを今回はストレートにし、だいぶ印象が変わった。僕は以前の外見の方が個性があって好きだったのだが・・・。眉毛も細くし過ぎだと思う。しかし、演技の方はそつなくこなしており、ウペーン・パテールと共にこれから伸びていくだろう。また、キスシーンがやたら多かったのが印象的だった。
セリナ・ジェートリーは全く先見性なし。似たような外見の女優がヒンディー語映画界に山ほどいるのも彼女にとって逆風である。このまま芽が出ずに女優業引退の時期を迎えるのではないかと思う。
ベテラン俳優アヌパム・ケールの出演機会は限定的だったが、若者だけのドラマになりがちだったこの映画の中に、父と子という縦糸をしっかり通す役目を果たしていたのはさすがだった。AJのグルジーは何だか分からない役だった。グルジーだったらもっとAJを叱るべきだと思うのだが、ほとんど口出ししなかった。グルジー失格!
音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。音楽産業が舞台の映画であるので、音楽は通常のインド映画よりも重視されて然るべきである。彼の音楽はどれも似ているのがネックだが、タイトル曲「Shakalaka Boom Boom」を筆頭に、一応いくつか観客の耳に残るナンバーを作っており、映画音楽としては成功に入るかもしれない。この映画の音楽的最大の見所は、AJとレッギーがルーヒーを巡って告白合戦を繰り広げる前半のメドレーシーンである。短い曲が入れ替わり立ち代り立て続けに流れるのである。しかしやはりどれもレーシャミヤーな音楽である訳だが、インド映画は音楽と映画の融合をひとつの恒久のテーマとしており、そういう意味で映画のひとつのハイライトと言っていいだろう。
この映画で最も謎なのはエンディング直前のガーゴイル飛来シーンである。突然画面がCGになり、RPGの戦闘シーンで召還獣を召還したようなド派手なCGアニメが流されるのである。つまりは聴覚を失ったAJの苦悩を映像で現していたのであろうが、技術に走り過ぎてしまったと言わざるを得ない。しかも終わり方が中途半端で、きちんとまとめをせずに最後のスタッフロール兼ボーナスダンスシーンに移行してしまっていた。
一応ニューヨークが舞台ということになっていたが、風景はニューヨークではなかった。自動車が左側通行だったし、右ハンドルだったことからも、ロケ地がニューヨークではないことが分かる。どうやら南アフリカ共和国のヨハネスブルグなどでロケが行われたようである。何だか無国籍な雰囲気の映画であった。
「Shakalaka Boom Boom」は、音楽、踊り、スキンショー満載の娯楽映画だが、それだけでなく、けっこうシリアスな心理描写にも腐心していた。意外な傑作と表現したい。