2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始した。当初は短期に決着が付くと思われていたが、ウクライナが善戦し、2022年4月5日現在、戦線は膠着状態となっている。
日本を含む大半の国家はロシアの侵略行為を非難しており、経済制裁などを行っているが、いくつかの国については改めてロシアとの蜜月が浮き彫りになった。そんな国家のひとつがインドである。インドはロシアに対して表立って非難をしておらず、むしろ漁夫の利を得ようとしているように見える。
インド研究者ならばインドとロシアの関係の深さは昔から常識であるが、それ以外の日本人にとっては今回のインドの立ち位置は意外だったかもしれない。インドはロシアから大量の兵器を輸入しており、その軍事的な必要性からインドのこの独自の外交姿勢が説明されることが多いが、印露関係の親密さはソビエト連邦時代まで遡る。1947年の印パ分離独立後、インドはジャワーハルラール・ネルー初代首相のリーダーシップの下、東西どちらにも与さない非同盟主義外交を推進してきたとされるが、実際のところ、ソビエト連邦とは非常に近い関係にあったのである。そのひとつの象徴が映画だ。
インド映画はソビエト連邦でも人気だった。第二次世界大戦後、東西冷戦時代に突入すると、ソビエト連邦は米国映画の輸入を禁止し、代わりにインド映画を盛んに上映するようになった。娯楽の少なかった時代、煌びやかなインド映画は、ソビエト連邦の人々にとって安価な気晴らしの手段だった。
ソビエト連邦で最初に大ヒットしたインド映画は、ラージ・カプールの「Awaara」(1951年)だった。ソビエト国内で6,400万枚のチケットを売ったと記録されている。
その後も、同じくラージ・カプールの「Shree 420」(1955年)、ヤシュ・チョープラーの「Dhool Ka Phool」(1954年)、ジョイ・ムカルジー主演の「Love in Simla」(1960年)、ダルメーンドラとヘーマー・マーリニーの共演作「Seeta aur Geeta」(1972年)、リシ・カプールのデビュー作「Bobby」(1973年)、同じくリシ・カプールの主演作「Barood」(1976年)、アミターブ・バッチャンの主演作「Muqaddar Ka Sikandar」(1978年)、ミトゥン・チャクラボルティー主演の「Disco Dancer」(1982年)などが上映され、人気を博した。特に、「Barood」については、インド国内ではフロップに終わったのだが、ソビエト連邦ではどういうわけか記録的な大ヒットに化けたという。ソビエト連邦はインド映画にとって重要な海外市場になっていた。
1954年から1991年まで、およそ210本のインド映画がソビエト連邦で上映されたとされている。その内の190本はメインストリームのヒンディー語映画だった。インド映画が、ソ連映画やその他の外国映画よりもヒットすることも珍しくなかったようだ。
また、単にインド映画がソビエト連邦で公開されただけでなく、インドとソビエト連邦の合作映画も作られた。ダルメーンドラとヘーマー・マーリニーが主演の「Alibaba aur 40 Chor」(1980年)や、サニー・デーオールとプーナム・ディッローンが主演の「Sohni Mahiwal」(1984年)などがその例である。
しかしながら、1991年にソビエト連邦が解体されたことで、西側の映画が大量に旧ソ連地域に流入することになった。インド映画が忘れ去られたわけではないのだが、話題に上る機会は激減した。
それでも、今でも旧ソ連地域に住む年配の人々は、古いヒンディー語の映画音楽を口ずさむことができるようである。「Disco Dancer」の「Jimmy Jimmy」は特に当地の人々の脳裏に焼き付いているようだ。
インドに留学していた頃、ロシア、ウクライナ、中央アジアなどからの留学生に多く出会ったが、やはり何らかの形でヒンディー語映画を観てインドに興味を持ったというエピソードを聞くことがよくあった。今でもヒンディー語映画は、旧ソ連地域の人々をインドに引き寄せる力になっていると感じる。また、Netflixなどでは昔のインド映画も配信されているが、その顔ぶれを見ると、どうも旧ソ連圏で人気のあった映画というのも有力な選考基準にあるような気がする。
今回の記事は、2022年3月29日付けTimes of India紙の「When Soviets shimmied to Mithun’s ‘Jimmy Jimmy’」を参考にして書いた。