今日はPVRナーラーイナーで、2006年10月6日公開の新作ヒンディー語映画「Zindaggi Rocks」を観た。題名は、「人生はロック!」という意味。監督は「Sur: The Melody of Life」(2002年)などのタヌジャー・チャンドラー、音楽はアヌ・マリク。キャストは、スシュミター・セーン、シャイニー・アーフージャー、キム・シャルマー、ラヴィ・ゴーサーイーン、モウシミー・チャタルジー、ジュリアン、スィーマー・ビシュワースなど。
ムンバイー在住の医者スーラジ(シャイニー・アーフージャー)は、怪我をして病院にやって来た人気女性ロックスターのクリヤー(スシュミター・セーン)と出会う。クリヤーはスーラジを気に入り、治療が終わっても病院にやって来るようになる。最初は躊躇していたスーラジであったが、次第にクリヤーに心を開く。クリヤーは、クリヤーの母親(モウシミー・チャタルジー)、叔母、従姉妹(キム・シャルマー)と同居していた他、ドルヴ(ジュリアン)という男の子を養子にしていた。スーラジは次第にクリヤーの家族にも溶け込む。だが、スーラジは実は既婚であった。 スーラジの妻は、交通事故により意識を失い、そのまま何年も昏睡状態のまま病院に横たわっていた。スーラジはただひたすら彼女を支えていた。そのことを知ったクリヤーはますますスーラジを気に入り、やがて2人は恋仲となる。スーラジの妻の母親も、2人の仲を認めていた。 ところが、ドルヴの心臓に穴が開いていることが発覚する。心臓移植しか治療の方法がない難病であった。インドには臓器提供者は少なく、しかも相性のいい臓器を見つけるのは至難の業であった。ドルヴのことを心から愛していたクリヤーは、自分の心臓をドルヴに提供することを決める。スーラジは猛烈に反対するが、とうとう彼女の熱意に負ける。クリヤーは自殺し、スーラジは彼女の心臓をドルヴに移植した。 数年後、ドルヴは立派に成長し、地元サッカーチームの選手にもなった。スーラジはドルヴに真実を伝えていなかった。伝えるべきでもなかった。
ストーリーはとてもユニークだったが、先が読めすぎたことと、詰めが甘かったことから、退屈な映画であった。
映画の最大の盛り上がりは、ドルヴの心臓移植手術のための臓器提供者を探す終盤である。このときのセリフやシーン展開は、物語の核心に触れないようになっている。つまり、臓器提供者が誰か分からないようになっている。徐々に、可能性が2つ浮上して来る。ひとつはクリヤーが臓器提供に同意している老人を殺すこと、ひとつはクリヤーが自殺して自分の心臓を提供することである。クリヤーがどちらを選択するかは、かなり最後になるまで明かされない。だが、観客は後者であることに簡単に勘付いてしまう。なぜなら映画の本編は回想シーンになっており、クリヤーが既にいない「現在」のシーンから映画が始まるからだ。せっかく映像の編集マジックを使った工夫がなされているのだが、あまり意味のない工夫で終わってしまっている。
主人公のクリヤーはロックスター。だが、ロックスターなのにあまりロックスターらしいオーラが出ておらず、突然レストランで勝手に歌い出したりして、キャラクターができていなかったのもマイナスであった。スシュミター・セーンがギターを弾くシーンが何度もあったが、様になっていなかった。特に彼女をロックスターにする必要もなかったのではなかろうか?クリヤーの家族の能天気な振る舞いも、映画の雰囲気にマッチしていなかった。唯一キャラクターが立っていたのは医者のスーラジであるが、女性監督が作る女性中心のこの映画においては、大した活躍の場を与えられていなかった。ただの「女性に振り回される男性」で終わってしまっていた。よって、演技派男優のシャイニー・アーフージャーも、この作品では覇気が感じられなかった。
百歩譲って主人公をロックスターということにしておこう。その場合、暗黙の了解として、他の映画に比べて特に音楽が優れていなければならない。「Zindaggi Rocks」の音楽監督は、当たり外れの激しいアヌ・マリクであるが、今回は外れだったと言っていいだろう。音楽に全く魅力がなかった。よって、映画にも全く魅力がなかった。
この映画が特に扱っていたテーマは2点に集約されると思う。ひとつは感情的なテーマ、母親と養子の間の愛情である。血のつながっていない養子に対しても、女性は愛情を注ぐことができるということが示されていた。スシュミター・セーンは実際にリーニーという女の子を養女にしており、このテーマは非常に説得力があった。ただし、養子のために自分の命を投げ出す母性愛は少し極端過ぎたようにも思えた。もうひとつのテーマは、インドにおける臓器提供者の不足という社会的テーマである。
この映画はスシュミター・セーンのために作られたようなものだ。前述の通り、彼女の実生活とも少し関わりのある作品である。元々演技力のある女優であり、所々でいい演技を見せていた。また、この映画の公開にあたり、スシュミター・セーンがキャリアの中で女性監督と組むことが多いことが取り沙汰されていた。メーグナー・グルザール監督「Filhaal」(2002年)、ファラー・カーン監督「Main Hoon Na」(2004年)、カルパナー・ラーズミー監督「Chingaari」(2006年)などに出演し、今回はタヌージャー・チャンドラ監督である。確かに女性監督に好まれる女優なのかもしれない。
「Zindaggi Rocks」は、スシュミター・セーンのファンなら観る価値があるかもしれないが、いまいちのめり込むことのできない映画であった。全体的に後味が悪いのもいただけない。最近なぜか悲しい映画ばかり公開されるので、だんだん単純でお気楽な娯楽映画を観たくなって来てしまった次第である。