2018年10月にムンバイー映画祭でプレミア上映され、2019年6月21日からNetflixで配信開始された「Jaoon Kahan Bata Ae Dil(どこへ行けばいいのか、心よ、教えておくれ)」は、ほぼ全編が男女の会話だけで進むという実験的な作品である。「Lovefucked」という英題も付いている。「Chhoti Behen」(1959年)の楽曲から取られた題名である。
監督は新人のアーディーシュ・ケールスカル。キャストはクシュブー・ウパーディヤーイ、ローヒト・コーカーテー、ヒマーンシュ・コーリーの3人のみ。やはりほとんど無名の俳優たちである。
映画は、ムンバイーのマリンドライブを歩く二人のカップルが落ち合うところから始まる。映画中、名前が出て来ないので、便宜的にローヒト・コーカーテーが演じている役を「男性」、クシュブー・ウパーディヤーイが演じている役を「女性」と呼ぶ。女性は30歳、男性もおそらく30代であろうが、結婚はしておらず、1年間付き合っている。女性は男性との結婚を急いでいる。公認会計士の男性の方はすぐに結婚をしようとは思っていない。ここからすれ違いが生じてくる。
映像面での特徴は長回しを多用していることだ。冒頭のマリンドライブのシーンでは、会話をしながら歩く二人の姿を、15分くらい掛けて、ほぼワンカットで映している。その後も場面はタクシーの中、レストラン、映画館、海岸、ホテル、そして女性の住む寮へと移行するが、長回しに男女の会話を乗せる方法は変わらない。
驚いたのは、後半にかなり長いベッドシーンがあったことだ。これも長回しで撮られており、しかもインド映画としてはかなり大胆な露出や絡みを伴う映像になっている。単なるセックスではなく、ハメ撮りやアナルセックスの域に達しているのである。女性の乳首も一瞬ながら見えており、これがムンバイーでカットなしに上映されたとしたらすごいことだ。フェラチオをするシーンも出て来た。ポルノ映画スレスレの映像だ。
そのような映像面での実験や冒険があったものの、映画の肝は台詞である。ムンバイー在住の、そう若くないカップルが、恋愛、セックス、結婚などについて、写実的でごくごく自然な会話を交わす。作られた感じがせず、まるで実在のカップルの会話を盗み聞きしている気分になる。
性描写では「Love Sex Aur Dhokha」(2010年)も際どかったが、この「Jaoon Kahan Bata Ae Dil」も負けてはいなかった。また、インド映画では局部の露出に対する検閲が厳しい。外国人女性については甘いところがあるのだが、インド人女性の局部の露出には非常に厳しい制限が掛かる。かつて「Sins」(2005年)で女性の乳首が映っていたのを見たことがあるが、なぜカットされなかったのか不思議だった。「Jaoon Kahan Bata Ae Dil」はNetflixで配信されたことで、検閲をすり抜けたのかもしれない。クシュブー・ウパーディヤーイの乳首が映っていた。さらに、ポルノ映画並みの絡みがあり、ローヒト・コーカーテーの男性器も一瞬だけ映っていたように見えた。
「Jaoon Kahan Bata Ae Dil」は、全く無名の監督と俳優による実験的な映画だ。長回しによるワンカットの映像をつなぎ合わせ、インド映画レベルを遥かに超えた性描写もある。そして男女の会話によって物語が進んで行く。観る人を選ぶ映画だが、こんなインド映画もあるのかと驚きを与えてくれる。