今日は、2006年6月9日公開の新作ヒンディー語映画「Phir Hera Pheri」をPVRナーラーイナーで観た。この映画は現在大ヒット中で、チケットを手に入れるのにはだいぶ苦労した。
「Phir Hera Pheri」は2000年に公開されたプリヤダルシャン監督の大ヒット作「Hera Pheri」の続編である。「Hera Pheri」とは「小細工」「でっちあげ」「ごまかし」みたいな意味。「Phir」は「再び」という意味なので、「Phir Hera Pheri」を訳すと、「Hera Pheri 2」とか、または「またもズル儲け大作戦」みたいな意味になる。インド映画ではハリウッドのように「パート2」が作られることは今まであまりなく、これはけっこう珍しい例である。
監督は、プリヤダルシャン監督の下で数多くの脚本を担当した経験を持つニーラジ・ヴォーラー。言わばプリヤダルシャン監督の弟子である。ニーラジ・ヴォーラー監督にとって、この「Phir Hera Pheri」は、「Khiladi 420」(2000年)に続き監督第2作となる。音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワル、ビパーシャー・バス、リーミー・セーン、ラージパール・ヤーダヴ、ジョニー・リーヴァル、シャラト・サクセーナー、マノージ・ジョーシー、ラザーク・カーン、ミリンド・グナージー、ディネーシュ・ヒングー、ディーヤー・ミルザー(特別出演)など。
あらすじへ行く前に、前作「Hera Pheri」の内容を簡単に説明しておく。「Phir Hera Pheri」は「Hera Pheri」を観ていないと少し笑いに付いていけない部分があるかもしれないからだ。「Hera Pheri」は、お調子者のバッドアイデアマン、ラージュー(アクシャイ・クマール)、田舎からムンバイーへ求職に来た青年シャーム(スニール・シェッティー)、そして大ボケおやじバーブー・ラーオ(パレーシュ・ラーワル)の物語である。貧困にあえぐ3人は、ひょんなことから大富豪の誘拐事件の橋渡し役となり、中間マージンで大儲けする機会を得る。それはなかなかうまく行かないのだが、最後には一獲千金に成功し、三人は金持ち生活を送るようになる。「Phir Hera Pheri」は、三人が金持ちになった少し後から始まる。
前作で金持ちになり、豪邸も手に入れたラージュー(アクシャイ・クマール)、シャーム(スニール・シェッティー)、そしてバーブー・ラーオ(パレーシュ・ラーワル)。だが、何かを得るということは何かを失うということであった。ラージューは母親を失い、シャームはアヌラダー(タブー)を失い、そしてバーブー・ラーオは・・・平静を失った。 ラージューはある日、例の如くデーヴィー・プラサードへの間違い電話(前作参照)から、21日間で金を2倍にするという「大富豪専用」スキームを知ってしまう。ラージューがそのスキームを取り扱う会社へ行くと、そこにはアヌラーダー(ビパーシャー・バス)という美人社長がいた。ただし、このスキームに参加するには最低1,000万ルピーが必要とのことだった。ラージューは自分の全財産100万ルピーにシャーム、バーブー・ラーオの持つ全財産100万ルピーずつを加え、さらにダンスバーで知り合った金遣いの荒いチンピラ(ラージパール・ヤーダヴ)から200万ルピーを巻き上げた。そしてどこからか500万ルピーを調達して来て、アヌラーダーに渡す。また、このときシャームは、昔の恋人と同じ名前のアヌラーダーに一目惚れしてしまう。ラージューはラージューで、アンジャリー(リーミー・セーン)という女の子を追いかけていた。 21日後、三人はアンジャリーの会社を赴くが・・・そこは空っぽだった。三人は見事に騙されたのだった。しかもラージューは、豪邸を担保にして500万ルピーを調達して来ていたことを明かす。こうして三人は一文無しになり、安アパートに引っ越すことを余儀なくされる。だが、なんとそのアパートのオーナーの娘はアンジャリーであった。また、三人の隣には、悪党の一団(ジョニー・リーヴァルら)が住んでいた。さらに、ラージューらが住んでいた邸宅は、銃集めが趣味のパールスィー(ディネーシュ・ヒングー)が住むようになった。 ところで、ラージューに200万ルピーを渡してしまったチンピラであったが、その金は実はギャングのボス、ティワーリー(シャラト・サクセーナー)のものであった。三人は捕まり、ティワーリーの前に突き出される。一旦は逃げ出すことに成功した三人であったが、実はチンピラはアンジャリーの兄であることが発覚する。200万ルピーを騙されたことでチンピラはティワーリーに追われており、アンジャリーも捕らえられてしまう。そこで三人はアンジャリーを救うためにティワーリーのアジトへ自ら赴き、アンジャリーを解放する代わりに3日以内に2倍の400万ルピーを返すことを約束する。当然、もし返せなかったときはジ・エンドである。 ところが、ラージューはひょんなことから、隣の悪党たちがどこかから大量の金を盗む計画を立てていることを聞いてしまう。そこでラージューは、泥棒を終えて帰って来た悪党たちから、その金を奪い取る計画を立てる。他の道のなかったシャームとバーブー・ラーオもそれに乗る。ラージューは、質屋から3丁の銃を買って来る。だが、実はその3丁の銃は、ティワーリーが必死に追い求めていたアンティークものの銃で、本当は1丁1,000万ルピーする代物であった。これらの銃は、パールスィーの家に他の銃コレクションと共に所蔵されていたのだが、ある夜チンピラが盗み出したのだった。だが、銃の価値が分からないチンピラは、その銃を質屋に勝手に売り飛ばしてしまっていた。ティワーリーの怒りを買ったチンピラは、その銃を捜し求めていた。 悪党たちは、内通者の助けを得て麻薬ブローカー(ミリンド・グナージー)のアジトへ忍び込むが、そこには現金はなかった。その代わり、大量のマリファナやヘロインがあった。悪党たちはそれをバッグに入れて盗んで家に帰ってくる。そこへ待ち構えていた三人は、銃を突きつけて脅し、バッグを奪い取る。中から出て来たのが葉っぱや粉で失望するシャームとバーブー・ラーオであったが、ラージューはこれが3,000万ルピー相当の価値を持っていることを知っていた。ラージューはサンプルとして少量のパックを持って質屋へ行く。質屋はそれを麻薬ブローカーに見せる。ブローカーは、それが自分のところから盗まれたものであることを見抜く。そこへ質屋のもとにラージューから電話が。ラージューは、麻薬の受け渡し場所にロイヤル・サーカスというサーカス会場を指定した。 また、ラージューたちはこのとき1,000万ルピーを持ち逃げしたアヌラーダーと偶然再会していた。アヌラーダーは、悪の親玉カビラー(前作参照)の部下たち(ラザーク・カーンなど)に追われていた。アヌラーダーの姉はカビラーのグループで働いていたのだが、カビラーが逮捕されたことによりアヌラーダーはその一味の妹ということから職場を追放され、困窮していた。しかも姉の子供を預かっていたのだが、彼女は一味に誘拐されてしまう。そこでアヌラーダーは、一味の指示に従って詐欺会社を作り、ラージューたちから1,000万ルピーを騙し取ったのだった。アヌラーダーは詐欺会社で儲けた金をダイヤモンドに変え、一味のところへ持って行くが、姉の子供は逃げ出してしまっていた。そこでアヌラーダーはダイヤモンドを叔父に預け、逃げる。だが、叔父はダイヤモンドをどこかに隠したまま息を引き取ってしまう。叔父が最後に残した言葉は、「コケコッコー」であった。その話を聞いた三人は、アヌラーダーを許す。アンジャリーもこのとき彼らに合流しており、五人は一緒にラージューらの家へ帰る。 だが、隣に住んでいた悪党たちは、自分たちから麻薬を奪ったのが隣人だということに気付いてしまう。悪党のボスは、ラージューらの家に置いてあった麻薬の入ったバッグと3丁の銃を持って外へ行き、その部下たちは家で待ち伏せしていた。ところが、まず家に入って来たのは、ティワーリーの部下の黒人二人組であった。部下たちは黒人二人組に襲い掛かってしまったため、コテンパンにされる。そこへ五人が帰って来る。アンジャリーとアヌラーダーは、黒人二人組に誘拐されてしまう。そこでシャームたちは、約束通り400万ルピーを渡すから、アンジャリーとアヌラーダーを連れてロイヤルサーカスへ来るように言う。また、カビラーの一味もそのことを盗み聞き、ロイヤルサーカスへ向かう。 一方、麻薬と銃を持って車に乗って移動していた悪党であったが、道端で偶然パールスィーと出会ってしまう。パールスィーは、それは自分の家から盗まれた銃だと主張する。そこをまたも偶然にチンピラが通りがかる。チンピラは銃を見つけると大喜びし、悪党の車を奪ってティワーリーのいるロイヤルサーカスへ直行する。悪党はパールスィーの車を奪ってチンピラの後を追う。こうして、全ての役者がロイヤルサーカスへ集うことになった。 ラージューら三人は、まずは偽の麻薬が入ったバッグを麻薬ブローカーに渡し、金の入ったバッグを受け取る。だが、その金は偽札であった。今度はその偽札の入ったバッグをティワーリーに渡し、アンジャリーとアヌラーダーを救出する。だが、そこで偽札であることがばれてしまう。だが、そのときちょうどチンピラがやって来る。その車には、本物の麻薬が入ったバッグがあった。ラージューたちはそのバッグを持って逃走する。サーカスが行われている中で、麻薬の入ったバッグを巡って大乱闘、大混乱が巻き起こる。しかも、カビラーの一味やアヌラーダーが探していたダイヤモンドが、サーカス会場の鶏の人形の下から見つかる。バナナ一本の恨みで悪党を追い回すゴリラも大乱闘に加わり、さらに大混乱となるが、最終的には警察が踏み込んできてその場は収拾される。ラージュー、シャーム、バーブー・ラーオ、アンジャリー、アヌラーダー、そしてその場にいたアヌラーダーの姉の子供の六人は何とかその場を抜け出し、チンピラの乗って来た車で逃げ出す。結局、麻薬もダイヤモンドも金も何も手に入らなかった。 ところが、シャームとバーブー・ラーオは、車に置いてあった3丁の銃が実は大変価値のあるものであることを後で初めて知る。だが、そのときちょうどラージューがその銃を河に捨てようとしているところであった。二人はラージューに電話してそれを止めようとするが・・・ここで映画はジ・エンドとなる。
プリヤダルシャン監督が得意とする、大量の登場人物の人間関係や欲望が複雑に絡み合って爆笑を誘う、ローラーコースター型コメディー映画。今年最も優れたコメディー映画の1本だ。この映画の脚本が公開前からオスカー・ライブラリーに収録されたことからも、その面白さが伺われる。大ヒットしているのも不思議ではない。
こういう映画はあらすじにまとめるのが難しいのだが、何とか形にしてみた。あまりに複雑なので、映画を観る前に読んでもよく理解できないだろう。細かい部分で間違いがあるかもしれないが、とにかくいろんなことが一遍に起こるので、いちいち細かい部分を覚えていられない。「Phir Hera Pheri」では悪役キャラも多数登場するのだが、彼らの名前もいちいち覚えていられなかった。よって、かなり適当に名付けてしまった。主要な悪役は、ラージューに騙されて窮地に陥るチンピラ(ラージパール・ヤーダヴ)、変な話し方をするギャングのボス(シャラト・サクセーナー)、ラージューらの家の隣に住む小悪党(ジョニー・リーヴァル)、麻薬ブローカー(ミリンド・グナージー)、そして前作に登場した誘拐犯カビラーの部下で、カビラー逮捕後グループを率いている軍服の男(ラーザック・カーン)である。その他に、銃から麻薬から何でも取り扱う質屋(マノージ・ジョーシー)、銃コレクターのパールスィー(ディネーシュ・ヒングー)などもいる。
おそらくこの映画の最大の爆笑ポイントは、クライマックスのロイヤルサーカスでの大乱闘シーンであろう。サーカスと大乱闘が化合して、腹がよじれるような笑いを生み出している。だが、それよりももっと注目すべきなのは、当代一流のコメディアン俳優たちの豪華共演によるお笑いコンボや、ストーリーとは直接関係ない細かい部分での笑いである。特にパレーシュ・ラーワルは初めから終わりまで息継ぎのない見事なコメディー演技。彼は元々優れたコメディー俳優であったが、この「Phir Hera Pheri」でヒンディー語映画界のトップコメディアンの地位を確固たるものにしたと言っても過言ではない。来年のフィルムフェアのコメディアン賞はパレーシュ・ラーワルで決まりであろう。ちなみに、パレーシュ・ラーワルは前作「Hera Pheri」でもベストメディアン賞を受賞している。かつてヒンディー語映画界を席捲したコメディアン、ジョニー・リーヴァルや、今最も勢いのあるコメディアン、ラージパール・ヤーダヴも優れた演技をしていたが、パレーシュ・ラーワルの前では成す術がなかった。また、キャスティングリストでは、パレーシュ・ラーワルよりも先にアクシャイ・クマールとスニール・シェッティーが来ているが、彼らはどちらかというと準主役であった。やはり「Phir Hera Pheri」はパレーシュ・ラーワルに尽きる。
前作ではヒロインとしてタッブーが出演していたのだが、今回は回想映像のみ出演。前作でタブーが演じたアヌラーダーは、交通事故で死亡したというかなり取って付けたような説明がされていた。その代わり、今回はビパーシャー・バスとリーミー・セーンがヒロインとして登場。コメディアン俳優のオールスターキャストみたいな映画なので、二人とも目立った活躍はできなかったが、その中でもいい仕事をしていた。
音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。最も耳に残るのは、「ピルピルピルピルピルピル・ヘ~ラ~・ペ~リ~」というサビが印象的なアップテンポのタイトルソング「Phir Hera Pheri」であろう。その歌詞には、「ロシアのルーブルを見た、日本の円を見た、ヨーロッパのユーロを見た、アメリカのドルを見た、それでも心を躍らすのはインドのルピー、アイ・ラヴ・ルピーだぜ!」とあり、急速に成長しつつある現在のインド経済を象徴するような歌になっていて興味深い。ヒメーシュ・レーシャミヤーが歌う「Yaad Sataye Teri」も大ヒットしている。
映画の終わり方は観客の憶測を呼んでやまないものだった。「Hera Pheri 3」が作られる可能性も十分あるだろう。
「Phir Hera Pheri」は、ヒンディー語映画で数少ない続編映画というだけでなく、前作を上回る出来を達成した点でも重要な、オール・コメディアンスター・キャストの爆笑コメディー映画である。この映画を観れば、「インド映画の真髄はコメディーにあり」という格言を改めて思い知らさせれるだろう。