2013年9月6日にヴェネチア国際映画祭でプレミア上映された「Siddharth」は、インド系カナダ人映画監督リチー・メヘターがデリー在住のチェーンワーラー(ジッパーを直す人)を主人公にして撮ったリアリスティックな映画である。インドで劇場一般公開された情報はない。リチー・メヘターは過去に「Amal」(2007年)を撮っている。
キャストは、ラージェーシュ・タイラング、タニシュター・チャタルジー、アヌラーグ・アローラー、ショーバー・シャルマー・ジャッスィー、ギーター・アグラワール・シャルマー、アミターブ・シュリーヴァースター、ムケーシュ・チャーブラー、コーエル・プリー、イルファーン・カーン(子役)などである。
南デリーで行商のジッパー修理人チェーンワーラーをして生計を立てていたマヘーンドラ・サイニー(ラージェーシュ・タイラング)は、12歳の息子スィッダールトをパンジャーブ州ルディヤーナーの工場に出稼ぎに送る。スィッダールトは、ディーワーリー祭までに帰ると言っていたが、ディーワーリー祭当日になっても帰ってこなかった。マヘーンドラと妻のスマン(タニシュター・チャタルジー)は心配になり、事情を調べ始める。 そもそもスマンの姉の夫ランジート・ゲヘロート(アヌラーグ・アローラー)がマヘーンドラに仕事を紹介したのだが、ランジートもスィッダールトの行方を知らなかった。マヘーンドラが、ルディヤーナーの工場主オーム・プラカーシュ(アミターブ・シュリーヴァースター)に電話をすると、スィッダールトは2週間前に逃げたと言われる。マヘーンドラは警察署に捜索願を出し、ルディヤーナーに向かう。そこで、スィッダールトと同じ部屋に寝泊まりしていた少年から、行方不明になった子供はドーングリーにいると言われる。だが、誰もドーングリーがどこにあるのか知らなかった。 デリーに戻ったマヘーンドラは、仕事をしながらドーングリーについての情報を集める。とうとうドーングリーがムンバイーにあることを突き止め、マヘーンドラはムンバイーに向かう。そこでもスィッダールトは見つからなかった。マヘーンドラは田舎にいる父親に電話でスィッダールトが行方不明になったことを明かし、デリーに戻る。そして仕事を再開する。
日に250~300ルピーを稼ぐチェーンワーラーの主人公マヘーンドラが、出稼ぎ先で行方不明になった息子スィッダールトを必死になって探す、希望の見えないリアリズム映画であった。生き別れた家族を題材にした映画はインド映画の典型的なパターンのひとつであるが、それも再会があってこそハッピーエンドが成立する。「Siddharth」では最後までスィッダールトは見つからず、近い将来に向けた明るい展望も見えない。インドにおいて、これが行方不明になった子供を持つ親が待ち受ける現実なのだろうと思わされる作品であった。
スィッダールトが見つからないばかりでなく、彼がなぜ行方不明になったのかのもはっきりとは分からない。そもそもの間違いは、マヘーンドラがスィッダールトを出稼ぎに送ったことだった。スィッダールトは12歳であり、彼に仕事をさせるのは児童労働となり、違法である。だが、貧しいマヘーンドラは、息子の教育よりも稼ぎの方を優先した。親が最初から違法行為をしているため、子供が行方不明になっても、警察は手助けがしにくい。また、子供を受け入れる側としても、最初から法律の枠組みから外れているので、何でもできてしまう。貧困が根本的な原因だとしても、児童労働には様々なリスクが伴うことをこの映画は示している。
また、行方不明になった子供がどうなるかについて、映画の中では様々なことが語られていた。マフィアに誘拐されたとしたら、目を潰されたり手足を切り落とされたりして乞食をさせられたりする。ムンバイーには、家出をした子供たちが集められている施設もある。マヘーンドラはストリートチルドレンにも話しかけ、情報を集めようとするが、彼らの多くは何らかの理由で家から逃げ出して路上に辿り着いていた。
映画にはスィッダールトは全く登場せず、観客にもスィッダールトの顔すら提示されない。マヘーンドラは貧しくて、最近の息子の写真を持っていなかったのである。写真がないため、捜索願を出された警察も困ってしまう。唯一、電話越しに彼の声だけを聞くことができる。これはおそらく意図的な演出であろう。最後にマヘーンドラは「息子の顔を忘れ始めた」と泣き崩れるが、観客にとってもスィッダールトがどんな顔が分からず、どうしようもなさがますます募る。
映画を観ていて、周囲の人々がとても親切だったことが印象的だった。確かにインド社会は、一見すると優しくないのだが、いざ何かのトラブルに巻き込まれると、助けてくれる人が周囲に集まってくれる。普通は警察に門前払いされるものだが、マヘーンドラが相談した女性警官は意外に協力的だったし、彼がデリー駅周辺で行商をするためにショバ代を払っていたボスも協力を惜しまなかった。デリーのような大都市でも人情味溢れる助け合いの精神が生きていることを「Siddharth」は示そうとしていた。
「Siddharth」は、いざ子供が行方不明になったときのために普段から子供の写真を撮っておくこと、頼れるヘルプラインがあること、また、家出した子供のための施設が存在することなどの実用的な情報を提供していた。だが、多くの場合、スィッダールトのような目に遭うのは貧困層の子供であるし、「Siddharth」のターゲット層は明らかに海外の映画愛好家や中上流層のインド人で、直接関係のない人々だ。この矛盾からは、ふとリアリズム映画の限界を感じた。
明示されていたわけではないが、マヘーンドラの田舎はラージャスターン州である。チェーンワーラーの仲間たちがラージャスターニー語の民謡「Kesariya Balam」を歌うシーンなどからそれが読み取れた。実際にデリーでチェーンワーラーをする人々はラージャスターン州出身者が多そうだ。
「Siddharth」は、デリーでチェーンワーラーをする主人公が、行方不明になった息子を探して、ルディヤーナーやムンバイーを彷徨うという作品である。息子の写真すら持っておらず、目撃者もおらず、絶望的な捜索であるが、周囲の人々がとても協力的なのが救いだ。ただし、残酷なまでの現実を突き付けるリアリズム映画であり、予定調和的な感動のラストを期待してはならない。