インド留学のために2001年7月29日に首都デリーに降り立ち、当初は安宿街パハールガンジに投宿しながら家探しを始めた。居が定まって落ち着いてから徐々にヒンディー語映画を観るために映画館通いを始めたのだが、インド留学時、一番最初に観たのが名作「Lagaan」(2001年)であった。その衝撃は今でも忘れない。その後、いくつもの映画を観たのだが、その中で特に印象に残っているのが「Ajnabee(見知らぬ人)」であった。2001年9月21日に公開され、その年のヒット作の一本に数えられている。音楽も人気で、CDを買ってよく聴いていた。2022年1月23日に改めて鑑賞し、思い出を込めながら批評をしたいと思う。
「Ajnabee」の監督は、B級スリラー映画を得意とするアッバース・マスターンである。音楽監督はアヌ・マリクだ。キャストは、ボビー・デーオール、カリーナー・カプール、アクシャイ・クマール、そしてビパーシャー・バスである。ビパーシャーはこれがデビュー作であった。カリーナーもまだまだ駆け出しの女優時代で、脳天気な女の子を演じている。他に、ジョニー・リーヴァル、ダリープ・ターヒル、シャラト・サクセーナー、アミター・ナンギヤー、シーラー・シャルマー、ナレーンドラ・ベーディーなどが出演している。また、ミンク・ブラールが特別出演している。
ラージ・マロートラー(ボビー・デーオール)はポロ選手で、プリヤー(カリーナー・カプール)と結婚し、スイスでポロを教え始めた。隣人となったのがヴィッキー(アクシャイ・クマール)とその妻ソニア(ビパーシャー・バス)だった。四人はすぐに仲良くなる。 だが、ラージは次第にソニアから誘惑を受けるようになる。四人は一緒にモーリシャスへ旅行に行くが、そこでヴィッキーはスワッピングを提案し、ラージを激怒させる。ラージとヴィッキーは絶交状態となるが、ヴィッキーの誕生日に仲直りし、一緒に祝う。だがその夜、酔っ払ったラージは再びヴィッキーからスワッピングを提案され、怒ってソニアのところへ言いつけに行く。だが、意識を失い、そのまま倒れてしまう。 翌朝、ソニアが遺体で見つかり、ラージは容疑者として逮捕されてしまう。ヴィッキーは、ラージがソニアをレイプしようとして拒絶され、殺したと主張する。それを聞いてプリヤーからも信頼を失う。だが、ラージは裁判所から逃げ出し、プリヤーに身の潔白を訴える。そして無実であることを立証するため、証拠集めを始める。 ラージはわずかな証拠から、ヴィッキーがジュネーヴに持っている邸宅に辿り着く。そこで保険会社の探偵(シャラト・サクセーナー)と出会う。ソニアには10億ドルの生命保険が掛けられており、ソニアの死の調査をしていた。ラージとプリヤーは探偵と共に保険金の支払いを止めようとするが手遅れだった。だが、ヴィッキーの口座の取引から、彼がクルーズ船に乗ることが分かり、彼らも同乗する。 クルーズ船には、ヴィッキーの他になんとソニアもいた。実は彼らがソニアと考えていたのはソニアではなく、ヴィッキーの恋人ニーターだった。ヴィッキーはニーターと結婚するための資金を手っ取り早く手に入れようと、大金持ちの令嬢ソニア(ミンク・ブラール)と結婚し、彼女を殺して保険金をかすめ取ったのだった。ヴィッキーはラージに手の内を明かすが、ラージはそれを密かに録音していた。乱闘となるが、その中でニーターとヴィッキーは死ぬ。
スワッピングを起点とした殺人事件を巡るスリラー映画であり、当時のインドでは大いにセンセーショナルだった。どんでん返しが小気味よい上に、突如現れた新人女優ビパーシャー・バスの妖艶な魅力が映画の雰囲気とマッチし、作品を成功に導いた。また、スイス、モーリシャス、クルーズ船での海外ロケなど、十分に金も掛けられているし、「Mehbooba Mehbooba」や「Kaun Main Haan Tum」などのヒット曲もある。今観ても絶妙な娯楽作だ。
裏テーマとなっていたのが「偶然」である。アクシャイ・クマール演じるヴィッキーは、「この世に偶然は存在しない」と豪語して偶然を信じず、全てを完璧に計画し、その計画通りに物事を進めることをモットーとしていた。ボビー・デーオール演じるラージは、その対極にある人物として提示されていた。そもそもラージは、カリーナー・カプール演じるプリヤーと偶然に出会い、結婚していた。プリヤーの父親は偶然ポロ協会の会長で、おかげで彼の就職は有利に進み、スイスで就職できた。彼の成功は大いに偶然に依るところが大きかった。
偶然によって成功を掴んだラージは、ヴィッキーの立てた計画通りにビパーシャー・バス演じるソニア(実際にはニーター)と「偶然」に出会い、罠にはまって行く。一時は万事休すとなったが、偶然見つけた航空券が大きな証拠となり、ヴィッキーへの反撃が始まる。最終的にはラージが勝利を手にしていたため、偶然が計画に勝ったことになる。
この時代のヒンディー語映画には、まだまだ挿入歌が多く、ストーリーとダンスシーンが交互に進行する印象を受ける。ジョニー・リーヴァルらが登場するコテコテのコントシーンも複数回ある。これらが冗長に感じる場面もあるのだが、ラージがヴィッキーとニーターの罠にじわじわとはまっていく様子がじっくりと描かれていて、無駄には感じなかった。
今の視点から見ると、「Ajnabee」でのボビー・デーオールとアクシャイ・クマールの力関係も興味深い。年齢ではアクシャイの方が2歳上で、デビューもアクシャイの方が早い。それにも関わらず、ボビーの方が主役を与えられている。これは、ボビーが人気俳優ダルメーンドラの息子であり、つまりは映画カースト出身であることと無関係でないだろう。ただ、「Ajnabee」で手応えのある役はどちらかといえば悪役のヴィッキー役の方であり、アクシャイの方が存在感を出せていた。その後、アクシャイ・クマールはスーパースターに成長したが、ボビー・デーオールはほとんど過去の人となってしまっている。
女優に関しても、インサイダーとアウトサイダーが配置されている。カリーナー・カプールは名門カプール家の末裔であり、押しも押されぬ映画カースト出身者だ。それに比べてビパーシャー・バスはモデル出身のアウトサイダーである。「Ajnabee」でのメインヒロインはプリヤー役を演じたカリーナーだが、あまり特徴のない役であった。むしろおいしい役だったのはビパーシャーが演じたソニア/ニーターの方だ。カリーナーとビパーシャーはどちらも2000年代を代表する女優となった。
いくつかいい曲があるが、中でもダンスナンバー「Mehbooba Mehbooba」は素晴らしい。アフリカ音楽っぽいリズムを取り入れており、単品でも踊るのに持って来いだが、この曲が使われるシーンは、この映画で一番のどんでん返しシーンであった。また、その後のスワッピングを暗示する「Kaun Main Haan Tum」は怪しげな雰囲気が香るエロティックなナンバーである。
「Ajnabee」は、アッバース・マスターン監督の傑作スリラー映画の一本である。スターパワーもあるし、脚本も優れている。ヒット曲もあるし、海外ロケも惜しみなく敢行されていて豪華だ。観て損はない作品である。