Main, Meri Patni Aur Woh

3.5
Main, Meri Patni Aur Woh
「Main, Meri Patni Aur Woh」

 日本には1年の内に何回か、「一人でいると寂しい日」というのが巡って来るが、ここインドではカルワー・チョウトがその代表格と言えるだろう。簡単に言えば、カルワー・チョウトは妻が夫の健康と長寿を祈って日の出から月が出るまで断食をする日である。インド映画でもよく出て来る祭りのひとつで、ふるいで月を見てから夫の顔を見る動作が印象に残る。北インドで特に祝われるようだ。最近では、この日は夫婦またはカップルが水入らずで過ごす日になって来ているようで、映画館には多くの仲睦まじそうなカップルがやって来る。しかも今日僕が観た映画は、2005年10月7日に公開されたヒンディー語映画「Main, Meri Patni Aur Woh」だったが、結婚後の夫婦生活がテーマになっており、カルワー・チョウトの日にピッタリの映画だった。PVRアヌパム4で鑑賞した。

 「Main, Meri Patni Aur Woh」とは、「僕、僕の妻、そして彼」という意味。題名からも何となく内容が計り知れる。監督は「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」(2003年)のチャンダン・アローラー、音楽はラージェーンドラ・シヴェーとモーヒト・チャウハーン。キャストは、ラージパール・ヤーダヴ、リトゥパルナー・セーングプター、ケー・ケー・メーナン、ヴァルン・バドーラー、ヴィノード・ナーグパールなど。ナスィールッディーン・シャーがナレーションを担当している。

 ミティレーシュ(ラージパール・ヤーダヴ)はラクナウー大学の図書館に勤める生真面目な男だった。ミティレーシュは34歳になるまで独身を通して来たが、遂に叔父(ヴィノード・ナーグパール)の説得に負けて、お見合いをすることになる。お見合い相手のヴィーナー(リトゥパルナー・セーングプター)は驚くほどの美人で、しかも彼女はミティレーシュとの結婚を承諾する。ミティレーシュとヴィーナーの結婚はとんとん拍子に進んだ。

 ミティレーシュの新しい生活が始まった。しかし結婚により彼の平穏な日常は一変してしまった。妻があまりに美人であったため、周囲の人々から注目を集め、ミティレーシュは毎日不安で仕方なかった。しかもミティレーシュは妻よりも背が低いことに劣等感を抱いていた。それでも彼は今までの真面目一徹の自分を徐々に改革し、もっと魅力的な男になるために努力する一方、妻に言い寄る男たちをあの手この手で遠ざけた。

 ところが、ミティレーシュの家の前にヴィーナーの幼馴染みのアーカーシュ(ケー・ケー・メーナン)が偶然引っ越して来てからは、彼の嫉妬と劣等感はどうしようもないほど膨れ上がってしまった。アーカーシュは長身かつ社交的な好青年で、ヴィーナーとも非常に仲が良かった。ミティレーシュは疑心暗鬼を強め、遂にはヴィーナーが自分と離婚してアーカーシュと結婚しようとしていると信じ込む。

 耐え切れなくなったミティレーシュは、ヴィーナーにアーカーシュと幸せに暮らすように言う。だが、それは全くの誤解だった。ヴィーナーは夫に疑われたことにショックを受け、実家に帰ってしまう。ミティレーシュは叔父に叱咤されてヴィーナーの実家へ行き、謝る。ヴィーナーも彼の謝罪を受け容れる。

 「Main, Meri Patni Aur Woh」は、インド人にはヒットしなかったが日本人の間では評価の高い「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」のチャンダン・アローラー監督が、前作に引き続き、コメディアンとして有名なラージパール・ヤーダヴを主演にして作った映画だ。しかもラージパールの役柄は、生真面目で愛をうまく表現できない弱虫男という感じで、前作と非常に似ている。この映画のテーマは、ひょんなことから自分とは到底釣り合わない美人妻を娶ってしまった弱虫男の嫉妬、苦悩、劣等感、虚栄心などなどだ。

 この映画は3つのパートに分けて考えることができるだろう。第1のパートは、ラクナウーの美しい朝日と、ナスィールッディーン・シャーの粋なナレーションで始まる。ミティレーシュの人物像が映像とナレーションを通して面白おかしく語られ、ヴィーナーとの結婚までがとんとん拍子で描かれる。ここまでは非常に面白い。結婚後、ヴィーナーを見ると目の色を変える男たちに悩むミティレーシュがそれを改善しようと乗り出す部分までは第2のパートと言える。男としてミティレーシュの気持ちは非常に分かるのだが、しかし彼の嫉妬があまりに度を越しているため、笑っていいのか同情していいのか分からなくなって来る。第3のパートはアーカーシュの登場からで、インターミッションを挟んだ後半部分全体である。ミティレーシュはヴィーナーにやたらとベタベタする親友のサリーム(ヴァルン・バドーラー)を、ラクシャーバンダンによってヴィーナーと兄妹の仲にしてうまく対応するものの、アーカーシュの存在はサリームとは比べ物にならない脅威であった。最初はヴィーナーとアーカーシュを遠ざけようと努力するが、やがてミティレーシュはアーカーシュのスタイルを真似し始める。しかも彼は、妻が離婚を考えると誤解し、彼女を傷つけてしまう。最後のパートは、ドラえもんのいないのび太を見ているような感じでこっちがイライラして来てしまう。

 「Main Madhuri Dixit Banna Chahta Hoon」もそうだったが、チャンダン・アローラー監督は、映画の導入は絶妙だが、映画の終わらせ方があまりうまくないようだ。竜頭蛇尾と表現したらいいのだろうか、映画の序盤の面白さを後半に維持できていない気がする。だが、所々で哀愁を呼ぶ爆笑シーンがあり、決して駄作ではない。例えば、背の高い妻を後ろに乗せて走ることを嫌ったミティレーシュが、自分のスクーターの座席を必要以上に高くしたり、シヴァリンガの前で人生の悩みをいろいろ打ち明けたり、ミティレーシュは、ヴィーナー、サリーム、アーカーシュと一緒に「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年)を見に行って、映画中のアジャイ・デーヴガンに自分を重ね合わせたりするシーンなどが面白かった。

 ラージパール・ヤーダヴは、今やインド人に大人気のコメディアンであり、シリアスな演技もできることを今作でも証明した。特にお見合いのシーンの照れ具合が好演だったのではなかろうか?リトゥパルナー・セーングプターはベンガル語映画の女優である。最初はちょっとぎこちない演技をする女優だと思っていたが、終盤に行くほど自然体になって来てよくなって来る。ケー・ケー・メーナンは後半からの出演だが、強烈な印象を残していた。やはり彼は名優である。

 この映画には、インド映画の文法に従っていくつか歌が挿入されたが、その内の多くはなくてもよかったものばかりだ。いっそのこと、全くミュージカルシーンのない映画にした方が質を保てただろう。

 映画の舞台はほぼ全編ラクナウー。ウッタル・プラデーシュ州の州都で、アワド文化とナワーブ文化の中心地である。ルーミー・ダルワーザーなど、ラクナウーの見所がスクリーンに登場するため、ラクナウーを旅行したことのある人にはちょっとニンマリの映画であろう。

 ミティレーシュの実家で命名式が行われるシーンが2度ある。インドのジョイントファミリーでは、赤ちゃんの名前を付けるのにこんな儀式をするのか、と驚いた。インドでは、パンディトジー(僧侶)が占いによって名前の頭文字を提示し、それに従って家族みんなが名前を考える。1回目の命名式では「A」が提示され、「アーユーシュ」に決定した。2回目の命名式では「K」が提示され、「カラン」が有力だったが、アーカーシュの一言によって「カビール」に決定した。カビールよりもカランの方が今風な感じだと思うのだが、なぜか赤ちゃんのお母さんはカランを「ダサい」と言って嫌がっていた。

 「Main, Meri Patni Aur Woh」は、「Main Madhuri Banna Chahti Hoon」が気に入った人にはオススメの映画だ。しかし、前作ほどのドキドキ感はなく、憐憫の情の方が強いだろう。