ストリーミングの女王

 米配信大手Netflixは2025年12月5日、米メディア大手ワーナー・ブラザース・ディスカバリー(WBD)の映画事業と配信事業を720億ドルで買収することで合意したと発表し、世界に衝撃が走った。その後、別の米メディア大手パラマウント・スカイダンスがWBDの買収に名乗りを上げたが、もしNetflixによるパラマウント買収が実現したらインドの映画産業にどのような影響があるかを予想した記事は既に書いた(参照)。

 今回はもう少しNetflixの内情に踏み込み、再びNetflixのこの動きがインドの映画産業に与える影響を考察してみたい。参考にしたのは2025年12月13日付のタイムズ・オブ・インディア紙に掲載の「Queen of content: Bela Bajaria has world’s watchlist on her fingertips」である。

 Netflixは1997年にリード・ヘイスティングスとマーク・ランドルフによってカリフォルニア州にて設立された会社だ。当初は映画DVDのレンタルおよび販売を事業とする会社だったことは有名な話だ。その後、顧客の好む映画を提案するアルゴリズムを開発し、2007年には顧客がインターネットを介して映画をストリーミング再生できるシステムを整えた。そして2011年からオリジナルコンテンツの制作に乗り出し、2013年に初の「Netflixオリジナル」が配信された。この頃には既に現在のNetflixの原型が出来上がっていた。現在、リード・ヘイスティングスは会長になっており、テッド・サランドスとグレッグ・ピーターズが共同CEOを務めている。

 一見すると完全な米国企業に見える。米国企業であることには変わりがない。だが、現在のNetflixの躍進は、「イカゲーム」(2021年~)の世界的大ヒットなどからも分かるように、非英語言語で作られたローカルコンテンツが主導している。この部門を率いているのが2016年にNetflixに入社し、現在はコンテンツ主管を務めるベーラー・バジャーリヤーというインド系女性なのである。

 ベーラーは1970年、ロンドンにて、グジャラート人の両親の下に生まれ、その後ザンビアを経て米国に移住し、教育を受けた。彼女は学生時代にミスコンに出場し、最終的に1991年のミス・インディア・ワールドワイドに輝いている。

 大学卒業後の彼女はパラマウント傘下のTV・ラジオ局CBSに就職し、ワーナー・ブラザースで一時働いた後、再びCBSに戻って昇進を重ねた。最終的にはTV部門のトップに就任したが、2016年にNetflixに移っている。そして、コンテンツの責任者として、「ストレンジャー・シングス」(2016年~)、「Sacred Games」(2018年/邦題:聖なるゲーム)、「Delhi Crime」(2019年/邦題:デリー凶悪事件)、「Indian Matchmaking」(2020年/邦題:今ドキ!インド婚活事情)、「イカゲーム」、「Heeramandi」(2024年/ヒーラマンディ ダイヤの微笑み)などを成功に導いた。いつしか彼女は「ストリーミングの女王」と呼ばれるようになった。

 バジャーリヤーはNetflix入社以来、自身のルーツであるインドの市場攻略に全力を注いできた。彼女は、インドをひとつの市場ではなく、「何百もの市場の集合体」だと考えているという。そしてそれぞれの市場が独自の言語、伝統、語りのリズムを持っている。ひとつひとつの市場をピンポイントで狙い撃ちすることで、その市場の人々の琴線に触れると同時に、そのローカル性を国際市場でのアピール力に変換する戦略を採っている。彼女がNetflixに入社した2016年にはインド市場向けコンテンツはほとんどなかったが、ヒンディー語や南インド諸言語のオリジナルコンテンツを次々に送り出すことでインド市場で急速にシェアを拡大してきた。

 現在、Netflixは毎年20タイトル以上のインド市場向けコンテンツを制作している。バジャーリヤーはインドの映画産業にもネットワークを広げ、劇場用映画の制作と共存するエコシステムを構築した。

 これは余談になるが、Netflixにパーキスターン発のコンテンツがほとんどないのは、インド系であるバジャーリヤーが要職を握っているからだと噂されている。パーキスターンの娯楽産業はドラマ制作で定評があるのだが、Netflixではほとんど顧みられていない。

 NetflixのようなOTTプラットフォームの隆盛とコロナ禍は世界中の映画産業に大きな影響を与えているが、少なくとも米国とインドでは映画産業の明暗がはっきりと分かれているようである。

 米国では、2024年になっても映画館のチケット売上高がコロナ禍前の水準に戻っておらず、観客数は2010年代半ばに比べて40%も落ち込んでいるという。OTTからの収入が映画制作資金回収の大部分を占めるようになり、中規模予算の映画が映画館をバイパスして直接OTTリリースされることも多くなった。映画館で公開されるのはシリーズ物の大予算映画に限られるようになり、市場の空洞化が進行している。

 一方、インド市場では既に映画館のチケット売上高がコロナ禍前を超えている。インドではコロナ禍は完全に過去のものとなり、市場はコロナ禍による低迷期を乗り越えて力強く成長していることが確認できる。同時に、OTT市場も活況で、やはり映画館での収入額よりもOTT配信権の売却額の方が高くなるケースも珍しくなくなった。つまり、映画館とOTTが競い合い、相乗効果を上げながら、同時に成長している好ましい状態である。

 もしNetflixによるWBD買収が成功し、引き続きバジャーリヤーが同社のコンテンツ制作を主導し続けるならば、世界の娯楽産業の重心が変わることが予想されている。それは米国や西洋から離れ、より広い世界、そして無数の言語に分散されることになる。そして、その中心には必ずインドがいることになるだろう。