Param Sundari

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Param Sundari
「Param Sundari」

 2025年8月29日公開の「Param Sundari」は、デリー在住の道楽息子がソウルメイトを探してケーララ州を訪れるという筋書きの南北ロマンス映画である。「Param Sundari」を直訳すると「最高の美女」だが、これは同時に主人公の名前、パラムとスンダリーも表している。

 プロデューサーは、「Stree 2: Sarkate Ka Aatank」(2024年)や「Chhaava」(2025年)などを立て続けに当て、現在ヒンディー語映画界トップのヒットメーカーに躍り出ているディネーシュ・ヴィジャーン。監督は「Dasvi」(2022年)のトゥシャール・ジャローター。音楽はサチン=ジガル。

 主演はスィッダールト・マロートラーとジャーンヴィー・カプール。他に、サンジャイ・カプール、レンジ・パニカル、スィッダールタ・シャンカル、マンジョート・スィン、アビシェーク・バナルジー、イナーヤト・バルマー、ゴーピカー・マンジュシャー、タンヴィー・ラームなどが出演している。

 デリー在住、大富豪の息子パラム・サチデーヴ(スィッダールト・マロートラー)は、父親パルミート(サンジャイ・カプール)の金を使って起業しては失敗を繰り返していた。父親の信用を取り戻すため、開発者シェーカル(アビシェーク・バナルジー)からプレゼンを受けたマッチング・アプリ「ソウルメイツ」を成功させようとする。「ソウルメイツ」はAIによって男女のマッチングを行うアプリであった。パルミートから資金を引き出すためには、パラムが1ヶ月以内に自分のソウルメイトを見つけなければならなかった。パラムは「ソウルメイツ」にサインアップし、100%マッチする女性を探した。見つかったのは、ケーララ州アーラップラー県にある田舎町ナンギヤールクランガーラに住むテッケパットゥ・スンダリー・ダモーダラン・ピッライ(ジャーンヴィー・カプール)であった。スンダリーのアカウントはSNS上になかったが、彼女の家ではゲストハウスをしていることが分かった。パラムは早速、親友ジャッギー(マンジョート・スィン)を連れてケーララ州へ向かう。

 パラムはスンダリーのゲストハウス全室を予約してジャッギーと共に宿泊する。パラムはスンダリーに一目惚れし、彼女との距離を縮めようとする。スンダリーはモーヒニヤッタムの舞踊家であったが、両親の事故死をきっかけにゲストハウスを経営して生計を立てていた。彼女の後見人である叔父のバールガヴァン・ナーイル(レンジ・パニカル)はマラヤーリー文化に誇りを持つ堅物で、パラムのことを不審な目で見ていた。パラムがスンダリーに愛の告白をしようとした矢先、バールガヴァンは自分の息子ヴェーヌ(スィッダールタ・シャンカル)とスンダリーの婚姻を発表する。ヴェーヌとスンダリーは幼馴染みであり、ヴェーヌは最近、海外留学から帰ってきたばかりであった。

 父親から提示された1ヶ月の期限が迫っていた。しかも、シェーカルが詐欺師だったことが分かり、パラムが払った前金を持ってトンズラしてしまっていた。マッチング・アプリ「ソウルメイツ」も偽物だった。それでも、パラムはスンダリーを真のソウルメイツだと考えていた。パラムはスンダリーに、ケーララ州までやって来た理由を正直に話すが、スンダリーはアプリの実験台にされたと知ってショックを受け、パラムを避けるようになる。パラムはオーナム祭の競技会に参加し村人たちから信頼を勝ち取ろうとするが失敗する。それでも、怪我人の代役としてボートレースに参加し優勝に貢献する。

 ヴェーヌとスンダリーの結婚式の日、パラムは空港へ向かっていた。だが、父親から説得されたパラムは引き返し、結婚式の準備中だったスンダリーに気持ちをぶつける。村人たちはパラムを捕まえようとするが逃げ出し、彼は川に飛び込む。それを救ったのがスンダリーだった。そして二人は川の上でキスをする。

 北インド人と南インド人の恋愛や結婚を描いた映画は過去に時々作られており、「Chennai Express」(2013年/邦題:チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー誕生)や「2 States」(2014年)がその例として挙げられる。だが、一般的に「南インド人」といった場合、ヒンディー語映画界ではタミル人であることがほとんどだ。確かにタミル人は南インドの代表を自負しているところがあるが、南インド人は大まかにタミル人、テルグ人、カンナダ人、ケーララ人(マラヤーリー)と分かれており、彼らは相互に一緒にされることを嫌う。「Param Sundari」に登場する南インド人とはマラヤーリーであり、その点は厳密に区別されていた。むしろ、北インド人が南インド人を区別しないことを揶揄するようなセリフの応酬もあり、ネタにされていた。ケーララ州やマラヤーリーがクローズアップされたのは、近年マラヤーラム語映画が力を持ってきたこととも無関係ではないだろう。

 主人公のパラムはデリー在住の北インド人である。彼は、自分の会社を救いプライドを保持するという利己的な目的のため、投資対象の開発者が開発したマッチング・アプリで指定された100%マッチングの女性と会いにケーララ州を訪れる。同じインドではあるが、北インド人にとって南インドはほとんど異国であることが分かる描写が多い。言語が違うのは当たり前で、風景も違えば文化も違う。パラムがケーララ州やマラヤーリーを眺める視線は外国人の我々のものとそう変わらない。

 果たして、パラムは100%マッチングしているという女性スンダリーに一目惚れしてしまう。アプリにレコメンドされたから恋に落ちたのか、それとも本当にマッチングしていたのか、それは分からない。だが、パラムはスンダリーに激しく恋をしてしまった。こんなことは今までなかった。スンダリーもパラムに特別な感情を抱くようになる。だが、スンダリーには死んだ両親が決めた許嫁ヴェーヌがいた。そして、パラムの目の前でヴェーヌとスンダリーの結婚が発表されてしまう。さらに、アプリが偽物だったことも発覚する。スンダリーに正直にケーララ州まで来た理由を話したことで、スンダリーからも避けられるようになってしまう。もはやこの恋は終焉を迎えたかに見えた。

 「Param Sundari」は、南北インドの融和を訴える以上に、デジタル・ネイティブのZ世代に対するアンチテーゼでもあった。現代の若者たちは、買い物、食事、観光先からデートの相手まで、アプリがレコメンドするものを受け入れて行動しがちだ。だが、本来ならば自分の好みは心が決めるものである。確かに詐欺師シャンカルが開発したマッチング・アプリ「ソウルメイツ」は偽物だったかもしれないが、パラムがスンダリーを初めて見たときに感じた心臓の鼓動は本物だった。それを自覚したとき、パラムはスンダリーに向かって突進した。ヴェーヌとの結婚に疑問を感じていたスンダリーもパラムの愛を受け入れた。

 「Ghajini」(2008年)辺りを皮切りとして、ヒンディー語映画界では長らくアクション映画優勢の時代が続いたが、2025年にはロマンス映画復権の兆しが見られている。その象徴的な作品となっているのが「Saiyaara」(2025年)であるが、「Param Sundari」も十分にその兆候を持続させる力を持っている。北インド人と南インド人を結びつけたこと、また、アプリ依存症のZ世代に対する批判が込められていたことなど、現代的な要素も加えられていたが、大筋は伝統的なロマンス映画のフォーマットに則っている。長い期間、こういうシンプルなロマンス映画が極度に不足していたため、新鮮に感じる。

 南北インド融和とはいいつつも、「Param Sundari」は、ヒンディー語映画に一般的に見られる南インド映画に対するバイアスが全くない映画ではなかった。そのバイアスをネタにする方に舵を切って開き直っている感もあった。たとえば、パラムとジャッギーはスンダリーの前でラジニカーントの話を始める。ラジニカーントはタミル語映画界のスーパースターである。マラヤーリーからの支持がないわけではないが、マラヤーリーにはマンムーティーやモーハンラールなど独自のスーパースターがいる。おそらく、マラヤーリーがこの映画を観たらむずがゆい思いがすることであろう。ケーララ州の文化を映す視点も、完全に外国人のそれであった。バックウォーター、カラリパヤットゥ、オーナム祭のボートレース、チャイニーズフィッシュネットなど、ケーララ州観光のポイントがまるでチェックリストをひとつひとつチェックしていって撮影したかのように網羅され、エキゾチックさを最大限に映像に収めようとしていた。しかしながら、マラヤーリーを見下すような下心は感じられず、あくまで南北インドの距離を縮めようとする努力が先に立っていると感じた。

 ちなみに、オーナム祭はケーララ州限定の祭礼であり、8-9月に開催される。マラヤーラム暦の新年にあたり、日本の正月に近い。約10日間に渡る祭礼であり、この時期、パレードや舞踊などさまざまな文化行事が催される。中でも有名なのはヴァッラムカリと呼ばれるボートレースである。「Param Sundari」にもボートレースが使われていたが、クライマックスというわけでもなく、扱いは意外に小さかった。

 一部、マラヤーラム語映画の楽曲が使われていたものの、「Param Sundari」で引用されていたのはほとんどがヒンディー語映画である。ヒンディー語映画をよく観ている人なら、セリフの中に「Deewaar」(1975年)、「Tezaab」(1988年)、「Baazigar」(1993年)、「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)などからの引用があることに気付くだろう。ボートレースのときにパラムが歌い出したのは「Pardes」(1997年)の「Yeh Dil Deewana」である。これは失恋の歌であり、スンダリーから愛想を尽かされたパラムの気持ちも込められている。

 主演スィッダールト・マロートラーはヒンディー語映画界のトップスターの一人に目されてはいるものの、意外に寡作であり、主演作は少ない。1年に1作のペースで俳優をしており、2025年は今作のみとなりそうだ。「Param Sundari」では、今までの彼のイメージの延長線上にある役柄を無難に演じていたが、そろそろ新境地を拓きたいところである。

 ヒロインのジャーンヴィー・カプールは、母親が南インド人ということもあってか、今回はマラヤーリー女性役として抜擢された。スィッダールトとジャーンヴィーの共演は初である。古典舞踊モーヒニヤッタムの舞踊家という設定であったため、舞踊を披露するシーンもあったが、おそらく希代の踊り手であった母親シュリーデーヴィーとは異なり、古典舞踊もあくまで役作りや嗜み程度にしか訓練してこなかったはずである。ポーズはしっかり決めていたものの、カットが短かったため、編集でごまかしているように見えた。もし彼女に本当にそこそこの古典舞踊スキルがあれば、こういう編集はしなかったであろう。

 「Param Sundari」は、デリー在住の北インド人男性がケーララ州を訪れてマラヤーリー女性と恋に落ちるというロマンス映画である。さまざまな装飾で彩られてはいるが、基本的には直球のロマンス映画だ。国内の興行成績は悪かったようだが、海外市場では上々だったとされている。エキゾチックさが受けたのか、それともこういうシンプルなロマンス映画が求められていたのか。どちらにしろ、これからもこのくらいの気軽に鑑賞できるロマンス映画がコンスタントに作られるようになってほしい。