Crazxy

3.0
Crazxy
「Crazxy」

 ソーハム・シャーは、成功した実業家でありながら俳優の夢も追い、「Ship of Theseus」(2013年)や「Tumbbad」(2018年)といった名作をプロデュースし自ら主演も果たしてきた変わり種の人物である。2025年2月28日公開の「Crazxy」は、そんな彼が新たに製作・主演した作品だ。今回はスリラー映画に挑戦している。

 監督は「Kesari」(2019年/邦題:KESARI/ケサリ 21人の勇者たち)で脚本を務めたギリーシュ・コーリー。彼にとっては初監督作となる。主演はソーハム・シャー。ほとんど彼しか登場せず、場面もほとんど彼が運転するSUV車の中のみで展開するが、ティーヌー・アーナンド、ニミシャー・サジャヤン、シルパー・シュクラー、ピーユーシュ・ミシュラー、ウンナティ・スラーナーがキャスティングされている。

 外科医のアビマンニュ・スード(ソーハム・シャー)は現金5,000万ルピーを勤務する病院に届けるところだった。アビマンニュは手術で失敗して患者を死なせてしまい、遺族から訴えられていた。それはその示談金だった。だが、病院に向かう途中、謎の人物から電話が掛かってきて、娘を誘拐したと伝えられる。アビマンニュは離婚した妻ボビー(ニミシャー・サジャヤン)との間にヴェーディカー(ウンナティ・スラーナー)という一人娘がいた。だが、ヴェーディカーはダウン症児であり、それが離婚の原因になっていた。アビマンニュは自分の子供がダウン症児であることを認められなかったのである。誘拐犯は5,000万ルピーを要求してきた。ちょうど示談金と同額であった。

 当初アビマンニュはそれを悪戯だと考える。ボビーに電話をし確認するが、ヴェーディカーに異変はなさそうだった。だが、学校に確認したボビーはヴェーディカーがいないことを知り、焦って彼に連絡してきた。誘拐犯はアビマンニュにビデオ電話もしてきて、ヴェーディカーが嘔吐して倒れている姿を見せる。いったんは示談金を届けに病院に到着したアビマンニュだったが、それを見て考えを変え、誘拐犯の指定する場所へ直行することになる。

 アビマンニュは誘拐犯の声に聞き覚えがあった。彼はそれがヴェーディカーの通う学校の教師グルダット・プラサード(ティーヌー・アーナンド)であることを思い出す。だが、プラサードはそれを指摘されてもひるまず、逆にヴェーディカーの容体が悪化していると伝えてくる。また、アビマンニュは病院の院長ニハール・チャタルジー(ピーユーシュ・ミシュラー)から示談金を届けなかったことで解雇される。患者の手術も入るが、彼は後輩の医師に託し、ビデオ通話によって遠隔で手術のサポートをする。

 アビマンニュは日没までに5,000万ルピーをプラサードに届けようと自動車を走らせる。途中でパンクし、それを修理しなければならなくなるが、何とか指定のトンネルまで行き、金を置く。だが、ガス欠になり、彼は走ってヴェーディカーの待つ場所まで行く。途中で彼は自動車にはねられるが、それでも起き上がって前へ進む。実はこの誘拐はヴェーディカーがプラサードの協力を得て行った狂言誘拐であったが、ヴェーディカーは自分を救うためにボロボロになってやって来てくれた父親に感服し、彼に手を差し伸べる。

 映画の大部分は主人公アビマンニュの運転するSUV車の中で進行し、携帯電話を介して数々の相手と会話することで刻一刻と状況が変化していく。低予算で作られた映画であることは明らかだが、それによって映画の楽しさが減じているという感覚は全くなかった。ソーハム・シャーらしいコンテンツ重視の映画である。

 物語の軸になっているのはアビマンニュの娘ヴェーディカーの誘拐事件である。アビマンニュは既に離婚しており、元妻ボビーとも別居していて、娘とも長らく会っていなかった。ヴェーディカーはダウン症児であり、アビマンニュはそれを不名誉に感じていた。アビマンニュとボビーの離婚の原因もヴェーディカーにあった。この点が物語の伏線になっている。最終的に発覚するのは、ヴェーディカーの誘拐事件はヴェーディカーが自ら発案した狂言誘拐だったということだ。ヴェーディカーは、父親がダウン症児は知能が低いと決め付けており、見返すために狂言誘拐を仕組んだという種明かしになっていた。ヴェーディカーを演じたウンナティ・スラーナーは実際にダウン症児である。ダウン症の俳優が映画に出演したのは「Ahaan」(2019年/邦題:アハーン)以来ではなかろうか。アビマンニュはヴェーディカーを助けるために全てを犠牲にし、ボロボロになって駆けつける。ヴェーディカーはそれを見て満足し、「私にとっては父親が賢くなくても父親だ」とつぶやく。最後にヴェーディカーが父親に手を差し伸べることで映画は感動的に幕を閉じていた。

 これにて父娘の関係改善は示唆されるが、それ以外に浮上していた問題の解決はされていなかった。もっとも大きな問題は、アビマンニュが関わった医療事故だ。アビマンニュは時間内に遺族に示談金を渡せなかったため、彼は有罪になって服役しなければならなくなる可能性がある。また、これは単なる医療事故ではなかった。アビマンニュは優秀な外科医であったが、この医療事故が起こったとき、彼は薬物を摂取しており、それが彼にとって非常に不利に働いていた。彼が直面していた人生最大の危機はヴェーディカーと仲直りしたことによって全く解決していなかった。勤務する病院から彼は解雇もされてしまっていた。ヴェーディカーの誘拐事件はボビーによって警察沙汰にもなっており、今後、プラサードやヴェーディカー自身が警察に逮捕される可能性も否定できない。

 アビマンニュにはジャーン(シルパー・シュクラー)という恋人的な女性がおり、彼女からも頻繁に電話が掛かってきていた。ジャーンはボビーやヴェーディカーのこともよく知っていた。アビマンニュが彼女よりもボビーやヴェーディカーを優先しようとするのを見て、彼女はアビマンニュから離れていく。

 それでも、彼はビデオ電話によって後輩医師の手術をサポートし、その手術を成功させるという離れ業をやってのける。しかも彼は誘拐犯プラサードとの会話をしながら後輩医師の手術も観察し、同時にパンクしたタイヤの交換もしていた。火事場のクソ力ともいえるが、アビマンニュが優秀かつ経験豊富な外科医師であることの証明でもあっただろう。

 「Crazxy」は、ソーハム・シャーが自らプロデュースし、自ら主演をした映画で、まさに彼のためにあるような作品だ。なぜ彼がこの映画を作ろうと思ったのか分からないが、自身がダウン症児の子供を抱えているからというわけでもなさそうである。前作「Tumbbad」はかなり気合の入った大がかりなホラー映画だったため、その延長線上の野心的な作品が期待されていた側面もあるが、今回は意外に低予算でこぢんまりとまとめられており、正直にいえば期待外れに感じたところもあった。一般的にダウン症児の知能は低いとされており、それゆえにダウン症児による狂言誘拐というオチが意外性を生むという考えからこのようなストーリーが構築されたとすれば、問題もあるように感じる。

 「Crazxy」は、本業の不動産業でもうけた資金を映画に注ぎ込んでいる変わり種のプロデューサー、ソーハム・シャーの最新作であり、彼自身が主演を務めている。今回挑戦したのは、脚本を最重視し、予算を抑えて作られたスリラー映画であるが、ダウン症児を使って物語にツイストと感動を生み出そうとしており、それがあざとくも感じられた。やはりソーハム・シャーには「Tumbbad」のようなぶっ飛んだ作品を期待してしまう。悪い映画ではなかったが、期待外れという印象は否めなかった。