1978年5月5日公開の「Trishul」は、「Deewaar」(1975年)を大ヒットさせたプロデューサー、監督、脚本家、そして俳優が再結集して作られた作品である。プロデューサーはグルシャン・ラーイ、監督はヤシュ・チョープラー、脚本家はサリーム=ジャーヴェード、そして主演はアミターブ・バッチャンである。基本的には復讐劇であるが、企業映画の側面もある。
音楽はカイヤーム。キャストは、アミターブ・バッチャンの他には、シャシ・カプール、サンジーヴ・クマール、ヘーマー・マーリニー、ラーキー、プーナム・ディッローン、サチン、ワヒーダー・レヘマーン、プレーム・チョープラー、イフテカール、ギーター・スィッダールト、マンモーハン・クリシュナ、ユーヌス・パルヴェーズなどである。
題名の「Trishul」とは、シヴァ神が持つ三叉戟トリシュールのことだ。この映画では、アミターブ・バッチャン演じるヴィジャイ、シャシ・カプール演じるシェーカル、そしてサンジーヴ・クマール演じるラージの三人を表していると考えていいだろう。この三人は血縁関係にありながらお互いに反目し合うことになる。
サリーム=ジャーヴェードのドキュメンタリー・シリーズ「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」(2024年)を観て、彼らの作品を見返してみたくなり、2024年9月6日に鑑賞しこのレビューを書いている。
デリー在住のラージクマール・グプター(サンジーヴ・クマール)は、恋人のシャーンティ(ワヒーダー・レヘマーン)と結婚しようとしたが、勤め先の社長セート・ディーンダヤール(マンモーハン・クリシュナ)の娘カーミニー(ギーター・スィッダールト)との縁談を持ちかけられ、母親の強い勧めもあって、シャーンティを捨ててカーミニーとの結婚を選ぶ。ラージは建設会社の共同経営者となり、ディーンダヤールの死後は単独の社長になった。彼のRKグプター&サンズはデリーを代表する建設会社になった。
ところで、捨てられたシャーンティはラージの子供を身籠もっていた。シャーンティはデリーを捨てて田舎へ行き、そこで男児を産む。その子はヴィジャイ(アミターブ・バッチャン)と名付けられ、工事現場で働きながらたくましい青年に育った。シャーンティの死をきっかけにヴィジャイはデリーに戻り、ラージへの復讐を開始する。
ヴィジャイはまずラージに取り入り、RKグプター&サンズ所有のとある土地が抱えていたトラブルを解決し、その土地を手にする。彼はシャーンティ・コンストラクションズを立ち上げ、RKグプター&サンズが狙っていた公共事業を次々に横取りして入札する。ラージは反撃のため、公共事業を司る役人PLヴァルマー(イフテカール)にヴィジャイの名前で贈賄をし、彼の信頼を失わせるが、そうして入札した事業を今度はヴィジャイが妨害し、ラージに大きな損害を与える。
また、ヴィジャイはラージの家族も標的にした。ラージの息子シェーカル(シャシ・カプール)はロンドン帰りの好青年で、RKグプター&サンズで働いていた。シェーカルは、ヴァルマーの娘シータル(ヘーマー・マーリニー)と付き合っていたが、ヴィジャイは二人の間に割って入ろうとする。これは失敗に終わるが、今度はシェーカルの妹バブリー(プーナム・ディッローン)にも目を付けた。バブリーは、RKグプター&サンズで働くラヴィ(サチン)と付き合っており、結婚を考えていた。だが、二人の仲が知れると、ラージはラヴィを解雇してしまった。ヴィジャイはラヴィとバブリーに近づき、二人を駆け落ち結婚させようとする。
元々ラージの下で働いていた有能な秘書ギーター(ラーキー)は、ラージから濡れ衣を着せられて解雇され、ヴィジャイに雇われていた。ギーターは、ヴィジャイがラージの息子であることを知り、それをシェーカルに伝える。ヴィジャイを敵視していたシェーカルは、一転して彼を兄扱いするようになると同時に、父親に幻滅する。シェーカルとバブリーはラージの元を去って行く。
ラージは、バルワント・ラーイ(プレーム・チョープラー)にヴィジャイ暗殺を依頼する。ところがラージもヴィジャイが自分の息子だと知る。そのとき、ラヴィとバブリーの結婚式が行われようとしていた。バルワントはラヴィを誘拐し、ヴィジャイを誘い出す。シェーカルの乱入により乱闘となるが、ヴィジャイとシェーカルは捕まってしまう。そこでラージが駆けつける。ラージはヴィジャイを助け、バルワントを警察に逮捕させる。だが、乱闘の最中にラージは銃弾を受け、ヴィジャイに許しを請いながら息を引き取る。
RKグプター&サンズとシャーンティ・コンストラクションズは合併してシャーンティ&ラージ・コンストラクションズと改名し、ヴィジャイとシェーカルが共同で経営することになった。
いわゆる復讐劇であるが、単純な仇討ちではない点が興味深い。主人公のヴィジャイは、富と名誉のために母親を捨てたラージに復讐しようとするが、彼を殺すことが最終目標ではなかった。彼は、ラージが築き上げた建設会社RKグプター&サンズや、新たに作った家族を破壊することでラージへの復讐を果たそうとするのである。ヴィジャイはRKグプター&サンズと競合するシャーンティ・コンストラクションズを立ち上げ、採算度外視でラージのビジネスを妨害し始める。
しかしながら脚本はかなり乱れており、細かい突っ込み所が満載だ。たとえば、ろくに教育も受けていないはずのヴィジャイがいきなり建設会社を立ち上げて成功するというのはいきなり非現実的だ。ラージの目の前に現れたヴィジャイは、RKグプター&サンズが長年抱えていた土地問題の解決を「15日以内」という短い期限を自ら設定して請け負う。土地問題とは違法占拠である。自分の土地に知らない人が勝手に住み始め立ち退こうとしない。これは「Khosla Ka Ghosla!」(2006年)でも描かれていたインド特有の土地トラブルである。ヴィジャイがこれをどのように解決するのか、何か秘策でもあるのかと期待して観たが、結局占拠していた悪党たちをたった一人で打ちのめして追い出すという完全な力技であった。シェーカルの恋人シータルが途中から全く姿を消すし、ラージの妻カーミニーもほとんどストーリーに絡んでこなかった。
この時代の娯楽映画は、編集が荒くてシーンとシーンが急に切り替わったりし、観ているとストレスを感じることが多いのだが、「Trishul」におけるヤシュ・チョープラー監督の映像表現には現代の映画と遜色ない成熟かつ安定したものを感じた。ストーリー展開が雑に感じたのは、おそらく上映時間を切り詰めるためにカットせざるをえないシーンが多くあったからであろう。
「アングリー・ヤングマン」として人気絶頂期にあったアミターブ・バッチャンは、今回も不幸な出自を背負い、自分を捨てた父親への復讐に突き進むダークヒーローを演じた。ただ、会社を起業して大儲けし、高級車に乗ったり派手な服を着たりしており、決して終始一貫して貧しいヒーローではなかった。
この映画でもっとも優れていたのは、ヴィジャイが一方ではラージへの復讐に燃えながら、一方では他人がラージを侮辱するのを許せないという、複雑な葛藤であった。インド社会では、父親の侮辱は最大限の侮辱のひとつである。ヴィジャイはラージを恨みながらも、父親として最低限の尊敬は払っていた。この相反する感情のせめぎ合いがあるからこそ、インド人観客もヴィジャイの復讐を素直に応援できたのだと思う。
さらに、ヴィジャイが自分の息子であることを知った後のラージの反応も、インド社会の規範に沿うものだった。ラージは一旦はヴィジャイの暗殺を依頼してしまうが、真実を知った後は一転してヴィジャイ救出に動く。そしてヴィジャイに向けて放たれた弾丸を、我が身を犠牲にして受け、彼の命を救った上に、ヴィジャイに見守られながら死んでいく。死ぬ間際にラージはヴィジャイに許しを請う。この父と子のドラマは「Trishul」の核心である。
ただ、題名が「3」を示唆していることを考えると、これにシェーカルが加わることになる。はっきりいってシェーカルの存在はラージとヴィジャイに比べたら軽かった。シェーカルがいたから物語が盛り上がったという場面は少なく、彼がいなくても成立した映画なのではないかと感じた。この辺りも元を正せば脚本の弱さに起因する。
デリーが主な舞台になっている。映画の製作も映画の舞台も何から何までボンベイが中心だった当時のヒンディー語映画としては珍しいのではなかろうか。ローディー・ガーデンやプラガティ・マイダーンなど、1970年代のデリーの風景が垣間見られて個人的には嬉しく感じた。
「Trishul」は、ヤシュ・チョープラー監督、サリーム=ジャーヴェード脚本、アミターブ・バッチャン主演の、当時としてはヒット間違いなしの布陣で作られた作品だ。興行的にも大ヒットし、1978年の2番目にヒットした映画となった。しかしながら細かい部分で粗が目立ち、決して彼らの最高傑作とはいえない。興行的な成功が先行している作品である。