「Girls Will Be Girls」はサンダンス映画祭で2024年1月20日にプレミア公開された印仏合作映画である。言語は基本的に英語だが、部分的にヒンディー語とマラヤーラム語が入る。校則が厳しいインドの全寮制高校を舞台にした、シリアスな味付けの青春ロマンス映画である。インドの劇場では公開されておらず、2024年12月18日からAmazon Prime Videoで配信開始された。
監督はシュチ・タラーティー。過去に何本か短編映画を撮っているが、長編映画の監督は初である。どういう経緯かは分からないが、女優のリチャー・チャッダーがプロデューサーを務めている。彼女が映画をプロデュースするのは初だ。
キャストは、新人のプリーティ・パーニーグラヒー、ケーシャヴ・ビノイ・キロン、カニ・クスルティ、カージョル・チュグ、アマン・デーサーイー、アーカーシュ・プラマーニク、ジャティン・グラーティー、デーヴィカー・シャハーニーなどが出演している。
ミーラー(プリーティ・パーニーグラヒー)は全寮制高校の成績優秀な生徒で、栄えある監督生長に任命された。女性が監督生長になるのは初のことであった。同校の卒業生でもある母親アニラー(カニ・クスルティ)もそれを喜んだ。ミーラーはアニラーが自宅にいるときは自宅に帰り、留守のときは寮に住んでいた。
ミーラーは、香港のインターナショナルスクールから転校してきたシュリーニヴァース(ケーシャヴ・ビノイ・キロン)と仲良くなる。アニラーは娘にボーイフレンドができたことを敏感に察知し、彼を自宅に招待する。アニラーもシュリーニヴァースを気に入り、二人が自宅で勉強することを許す。だが、若いシュリーニヴァースとミーラーは隙を見て性的な欲求を満たそうとし始める。
シュリーニヴァースの誕生日にアニラーは彼を自宅に招待し、誕生日会を開く。そのまま彼は泊まることになった。ミーラーはこの日に彼と初めてセックスしようと計画していたが、アニラーの妨害とシュリーニヴァースの怠慢により実現しなかった。ミーラーはすっかりすねてしまうが、その後山の中にいって二人はセックスをする。
ティーチャーズ・デーになり、ミーラーは校長になって生徒たちに訓示をする。だが、日頃からミーラーを気に入っていなかった男子生徒たちに妨害される。ミーラーは彼らに追いかけられ女子寮に逃げ込む。電話を受けたアニラーが助けに来て彼女を連れ出す。
序盤は、高校生の主人公ミーラーの中で自身の性や異性への関心が目覚める一方で、彼女を厳しい校則や母親の監視が抑え付け、その葛藤の中で過ごす青春時代のような映画かと思われた。だが、ミーラーの母親アニラーの存在がユニークであり、映画は予想とは少し異なる方向へ進んでいく。
アニラーは先輩女性として娘ミーラーの性的欲求の高まりを察知し、彼女に完全な自由を許さない代わりに、許容範囲は広く持ち、ミーラーのボーイフレンドであるシュリーニヴァースを自宅に招待するなど、理解ある態度も取っていた。ただ、一枚上手なのはアニラーの方で、ミーラーが隙を見てシュリーニヴァースと情事をしようとするのを巧みに止めていた。
映画中でアニラーの年齢は明かされていないが、かなり若い内に結婚したことは確かで、下手したらまだ30代ということになるだろう。よって、母親でありながらミーラーとも年齢が近く、行動にも若さが見られた。アニラーはシュリーニヴァースを気に入り、彼と同じベッドに入って寝るなど、かなり大胆な行動も取っていた。ミーラーは次第にアニラーとシュリーニヴァースの距離が気になり始め、嫉妬すら覚え始める。
だが、シュリーニヴァースも十分に大人びた少年だった。彼は、ミーラーに近づくためにアニラーに必要以上に親しく接していた。それを知ったミーラーは少し安心する。と同時に母親に対して多少の同情も感じ始める。
さらに、ティーチャーズ・デーで一悶着があり、クラスの男子生徒たちから追われることになったミーラーを助けてくれたのはアニラーだった。彼女は男子生徒たちに対して毅然とした態度を取り、ミーラーとシュリーニヴァースの仲を質問した教師に対しても「私の家に誰を呼ぼうと私の勝手だ」と言い切ってミーラーを守った。ミーラーとアニラーの仲は決して良好ではなかったのだが、これらの事件を通して母娘は絆を深めることになる。
青春ロマンス映画の体裁は取っているが、どちらかといえば母娘の映画であり、女性と女性の微妙な関係を非常に繊細に描いた作品だった。
インドの全寮制高校の内側をよく見せてくれている映画だとも感じた。マサーラー映画のように大袈裟に表現されておらず、かなり写実的にどのようなことが行われているのかを見せてくれる。中でも監督生長(Head Prefect)は興味深い制度だ。上級生の中で成績優秀な模範生が任命される役職で、教員の代わりに校則を守れていない生徒の指導に当たったりするようである。また、インドの学校には「ティーチャーズ・デー(先生の日)」という行事がある。毎年9月5日がティーチャーズ・デーであり、その祝い方はそれぞれであるが、「Girls Will Be Girls」の学校では、上級生たちが教師になって、本物の教師の代わりに授業をしたりするようである。
局部の露出はないものの、性描写は過激な部類だ。ミーラーが自分の性器を鏡に映してのぞき込んだり、マスターベーションをしたり、シュリーニヴァースを手こきしたりするシーンがある。また、ミーラーとシュリーニヴァースは山の中に敷物を敷いてそこで初めてセックスをする。ただ、女性監督の作品なので、いやらしい表現にはなっていない。
明記はなかったが、時代は現代(2020年代)ではないように思われる。ダイヤル式の電話が現役であったし、携帯電話も存在しない。場所もはっきりしない。ハリドワールやムンバイーといった実在の地名は出て来るのだが、この映画の舞台になっている学校がどの州のどの地域にあるのかはよく分からない。山の中にあることだけは確かである。英領時代にヒルステーション(避暑地)として開発された町にはこのような全寮制学校がいくつかあるので、それらのどこかだと思われる。アニラーが一瞬だけマラヤーラム語を話す場面があるので、もしかしたら南インドなのかもしれない。
近年、「All We Imagine As Light」(2024年)などのパーヤル・カパーリヤー監督に代表されるように、インド人女性映画監督の躍進が目覚ましいが、「Girls Will Be Girls」のシュチ・タラーティー監督もそのリーグに入ってきそうな逸材である。言語別に分断されていた従来のインド映画産業とは全く別次元のところで映画を作っているように感じる。インド映画らしさはないかもしれないが、世界の映画に近いところに位置している。「Girls Will Be Girls」自体、とても素晴らしい映画だったが、タラーティー監督の今後にも期待を抱かされた作品であった。