Gaganachari (Malayalam)

3.5
Gaganachari
「Gaganachari」

 2024年1月7日にケーララ州コチでプレミア公開され、6月21日に一般公開された「Gaganachari(天空人)」は、低予算ながら高品質な映画を送り出すことで定評のあるマラヤーラム語映画界から飛び出たSF映画である。2050年のケーララ州を舞台にしている。

 監督はアルン・チャンドゥー。過去に「Saajan Bakery Since 1962」(2021年)などを撮っている。音楽はシャンカル・シャルマー。キャストは、KBガネーシュ・クマール、ゴークル・スレーシュ、アジュ・ヴァルギーズ、アナールカリ・マリカールなど。

 ヴィクター・ヴァースデーヴァン少佐(KBガネーシュ・クマール)は、地球を侵略してきたエイリアンとの戦争で活躍した退役軍人であった。彼のドキュメンタリーを撮ろうと撮影班がケーララ州にある彼の邸宅を訪れる。ヴィクターは使用人のアレン(ゴークル・スレーシュ)とヴァイバヴ(アジュ・ヴァルギーズ)と共に住んでいた。また、ヴィクターの家では、禁止されているAIが稼働していた。AIの名前はラーガヴァンといった。

 あるときヴァイバヴはバーで女性の姿をしたエイリアン(アナールカリ・マリカール)と出会い、彼女をヴィクターの家に連れてきてしまう。彼らは彼女をアリヤンマーと名付けた。アレンはアリヤンマーに惚れてしまい、彼女との結婚を夢見るようになる。当初、アリヤンマーは言葉をしゃべれなかったが、ヴァイバヴが翻訳器を修理し、話せるようになる。だが、その声は年配の女性のものだった。それでもアレンはアリヤンマーが好きだった。

 ヴィクターの家を頻繁に訪れていた警察官二人組がいた。彼らはヴィクターの家に新しく住み始めた女性がエイリアンであると気付き、あるとき彼女を拘束する。だが、アレンが彼女を救い出す。中央政府を牛耳るアジャヤ・セーナーの党員たちが襲ってくるが、アリヤンマーは彼らを軽々と撃退する。

 アリヤンマーは故郷に帰ると言い出す。ヴィクター、アレン、ヴァイバヴは彼女を宇宙人の居住地であるポータルまで送り届ける。その後、アレンは頻繁に彼女にメッセージを送っていたが、返信は来なかった。

 SFの本質は文明批判であるが、この一風変わったSF映画「Gaganachari」にもさまざまな風刺が込められていた。たとえば2050年のケーララ州はほぼ水没していた。地球温暖化による海面上昇によるものかと思ったが、映画の中ではエイリアンとの戦いの中でダムが決壊し水没したようなことも語られていた。インドは、「アジャヤ・セーナー」と呼ばれる政党によって支配され、監視社会かつ不自由な社会になっていた。警察は人々の家の合鍵を持っており、いつでも家宅捜査をすることができた。牛肉食は禁止となり、鶏肉と犬肉を掛け合わせた「Geef」なる人工肉が人々によって食されていた。これらの細かい設定は明らかに現在政権を握るインド人民党(BJP)を暗に批判している。

 一般的なSF映画はスケールが大きいものだが、「Gaganachari」は極度にローカルである。ほとんどヴィクターの家の中でストーリーが進行する。ヴィクターの家には、先の大戦で戦績を上げて国民的英雄となったヴィクター大佐の他に、アレンとヴァイバヴが使用人として住み込んでいた。アレンはオタクっぽい外見でなかなか恋人ができず悩んでいた。そんな彼の目の前に魅力的な女性エイリアン、アリヤンマーが現れ、彼の心を奪ってしまう。文明批判や社会風刺はあったものの、「Gaganachari」の基本は人間とエイリアンのラブストーリーである。

 「Gaganachari」が描く未来のインド、未来のケーララ州は、いわゆるディストピアであるが、ブラックコメディー風味に味付けされており、それほど悲観的には感じない。ヴィクター以下、皆のほほんと生きている。エイリアンの住む「ポータル」と呼ばれる円盤状の浮遊物が世界各地に浮かぶが、既にエイリアンは人類とは全面戦争を終えており、共存のフェーズに入っている。終末にもかかわらず諦観的ともいえない妙な明るさが漂う雰囲気は、ヴィム・ヴェンダース監督の「夢の涯てまでも」(1991年)を想起させるものだ。ところどころにはケーララ的スタイルのアニメーションだったり生成AIによって作られたと思われる動画だったりが差し挟まれており、サイバーパンクな演出となっている。多額の予算を掛けて作られた映画ではないことは作品の端々から分かるが、それでも面白い。発想から面白く、細かい小ネタも効いている。マラヤーラム語映画の強みがよく出た作品になっていた。

 「Gaganachari」は、マラヤーラム語映画の良さがにじみ出た、低予算ながらよくできたSF映画である。エイリアンと人類のラブストーリーをブラックコメディー風味に描きだした上に、文明批判や社会風刺が織り込まれ、楽しく鑑賞することができる。佳作である。