
2023年5月26日公開の「Chal Zindagi(さあ行こう、人生)」は、それぞれ悩みを抱えた人々がハーレーダビッドソンのバイクに乗ってラダックを目指すというロードムービーである。インド最北部のラダックは、当地でロケが行われた「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)などのヒットによって人気観光地となり、特にインドのバイク乗りの間では「聖地」とあがめられている。ラダックは標高3,000m以上にあり、高山性砂漠気候およびチベット文化圏であって、メインランドとは異なる風景や景観が広がっている。
監督はヴィヴェーク・シャルマー。音楽はザ・ロスト・シンボルズ。
キャストは、シャノンK、ヴィヴェーク・ダヒヤー、サンジャイ・ミシュラー、ミーター・ヴァシシュト、ヴィヴァーン・シャルマー、ラーケーシュ・パーンデーイ、ヴィクラム・プラタープ、サンディープ・ガウル、アショーク・ヴィヤース、ニシャーント・クマール、アミト・シャルマー、ヴァンダナー・チョープラーなどである。
この中でもっとも有名なのは曲者俳優サンジャイ・ミシュラーだ。出番は少ないが、ミーター・ヴァシシュトもベテラン女優である。若手に視線を移すと、まず目立つのがシャノンKだ。彼女は著名なプレイバックシンガー、クマール・サーヌーの娘である。ムンバイー出身のはずだが米国での生活が長いようで彼女の英語の発音は完全に米国訛りになっている。彼女自身もミュージシャンであり、この映画の中でも自分で歌を歌っている。主演格のヴィヴェーク・ダヒヤーは基本的にTVドラマ俳優であり、映画では過去に「State of Siege: Temple Attack」(2021年)に出演したことがあった。
ラージャスターン州ウダイプル在住の年金生活者サダーナンド(サンジャイ・ミシュラー)は、息子の妻によって老人ホームに放り込まれそうになり、退職金をはたいて憧れていたハーレーダビッドソンのファットボーイを購入して、親友ラームバーブー(ラーケーシュ・パーンデーイ)と共に家を飛び出す。
ムンバイーの裕福な家庭に生まれ育ったミュージシャン志望のサナー(シャノンK)は、継母との関係に悩んでいた。インド各地を巡って音楽の視野を広げたかったサナーは、父親の所有物で埃をかむっていたハーレーダビッドソンのファットボーイに乗って旅に出る。
アハマダーバードの工科大学を卒業したサーヒル(ヴィヴェーク・ダヒヤー)は、卒業後の進路に悩んでいた。元恋人の新しい彼氏アクシュ(ショウリヤ・スィヤール)からハーレーダビッドソンのファットボーイを奪い、親友チャンダン(ヴィクラム・プラタープ)と共に逃げ出す。
サナーはラージャスターン州のホテルに泊まる。そこで彼女は楽士の子供チョートゥー(ヴィヴァーン・シャルマー)と出会う。チョートゥーの両親は事故で既に亡く、叔父ナルパト・ラーナー(ニシャーント・クマール)に育てられていた。サナーは、チョートゥーがナルパトから暴行を加えているのに気付く。サナーはチョートゥーをバイクに乗せ逃げ出す。ナルパトたちに追いつかれてしまうが、そこへサーヒルとチャンダンが通りがかり彼女たちを救う。サーヒル、チャンダン、サナー、チョートゥーは警察署へ向かう。
警察署ではサダーナンドが警察官サチン・グッジャル(アショーク・ヴィシャース)から尋問を受けていた。サーヒルは警部の息子だと嘘を付いてグッジャルの気を引き、サチンを釈放させた他、ナルパトの逮捕も依頼する。ナルパトが逮捕されるまで、サナーがチョートゥーの面倒を見ることになった。ちょうど彼らはハーレーダビッドソンの同じバイクに乗っていた。しかも目的地が定まっていなかった。そこで彼らは一緒にラダックを目指すことになる。
彼らが道路を走っていると、強盗団に襲われる。強盗団は銃も持っていた。だが、強盗団は謎の男によって全員射殺される。その男はシャクティ・スィン(サンディープ・ガウル)と名乗った。シャクティもバイクに乗っており、彼もサーヒルたちに同行することになる。
サーヒルたちはマナーリーに到着した。他の人々がラフティングを楽しんでいる間、サダーナンドはとある学校を訪ねる。その学校の校長を務めるサードナー(ミーター・ヴァシシュト)は、彼の大学時代の恋人だった。サードナーは独身だった。サダーナンドはサードナーとひとときの楽しい時間を過ごす。
天気予報では、ラダックの主都レーの辺りの天候が5日後から悪化しそうだった。サーヒルとチャンダンはケンカし、ラームバーブーも天気予報に怖じ気づいた。マナーリーからラダックに向かったのはサーヒル、サナー、チョートゥー、サダーナンドの4人になった。だが、心配したチャンダンとラームバーブーも後から追いついた。
最終的に彼らはパンゴン湖に到着し、この世のものと思えないその美しい光景の中で、それぞれの人生に新しい意義を見つけ出す。サーヒルとサナーは一緒に世界中を旅することを決める。サナーはチョートゥーを弟として家に連れ帰る。また、継母への気持ちも整理することができた。サダーナンドはサードナーと一緒に住むことを決めた。もうすぐラームバーブーも合流する予定だった。サーヒルは今回の旅行を本にまとめ、「Chal Zindagi」と題して旅行記を出版した。その本はベストセラーになった。
インドにおいて、「バイクでラダックまでツーリングする」というと、そのバイクとして真っ先に思い浮かぶのはロイヤルエンフィールドのバイクになる。特に同社が販売しているヒマーラヤ(Himalaya)というバイクは、ラダックの悪路を走破するために作られたことを売りにするアドベンチャーバイクだ。だが、「Chal Zindagi」ではあえてハーレーダビッドソンのバイクが登場する。インドにハーレーダビッドソンのイメージはあまりないかもしれないが、インドでは2009年に既に同社のディーラーがオープンしていた。インドの物価からすると同社のバイクはハイエンド・セグメントの超高級バイクに分類されるが、金さえ出せば同社のバイクを購入することができる。よって、インドにおいてハーレーダビッドソンのバイクに乗ってツーリングをするというのは現代では全く非現実的ではなくなっている。ただ、3台のハーレーダビッドソンが一堂に会するというのは偶然が過ぎる。
主要キャラは、サンジャイ・ミシュラー演じる老人サダーナンド、ヴィヴェーク・ダヒヤー演じる大学生サーヒル、そしてシャノンK演じるミュージシャン、サナーだ。彼らはそれぞれの人生の中でそれぞれの悩みを抱えている。
サダーナンドは、今まで息子の幸せのために苦労して働いてきた。貯め込んだ財産も全て息子に託して死ぬつもりでいた。だが、引退後の彼は息子夫婦から次第に邪魔者扱いされるようになり、彼を老人ホームに入れる相談までしていた。それに落胆したサダーナンドは、貯金を自分のやりたいことのために散在することを決意し、かねてから憧れていたハーレーダビッドソンのバイクを購入して旅に出たのである。また、彼には、大学時代の恋人サードナーとの再会という密かな願望もあった。彼にとって、悩みとは主に息子夫婦との関係であった。
サーヒルは、親の言い付けに従って工科大学を卒業したはいいものの、その後の人生の方向性を見失っていた。しかも恋人を、高価なバイクに乗ったボンボン、アクスにかすめ取られていた。そこでサーヒルはアクスからバイクを盗んで逃げ出す。このバイクもハーレーダビッドソンのバイクであった。彼が抱えていたのは、自分が人生において何をしたいのか分からないという若者らしい悩みであった。
サナーは9歳の頃に母親を事故で亡くしていた。10歳の頃に父親は再婚したが、サナーは継母のことを嫌っていた。ミュージシャン志望のサナーは、自身の音楽性を広げるため、父親が若い頃に乗っていたハーレーダビッドソンのバイクを借りて旅に出る。彼女の悩みの中心にあったのは継母であった。
そんな彼らが出会い、道連れになりながら、ラダックを目指す。もちろん、この旅の中で彼らはそれぞれの答えを見つけ出すのだが、これはどんなロードムービーにも見られるお決まりの展開だ。ただ、冷静になって考えてみれば、彼らの抱える問題はそれほど深刻なものではなかった。どこかお遊びにも見えた。悩みが深刻でないために、重石が外れていきなりパッと解放されるような爽快感がほとんどなかった。旅の途中にケンカもあるのだが、それも大したものではなく、すぐに仲直りしていた。ラダックの悪路を進んでいる割には、ストーリーにアップダウンが乏しいのである。
ツーリングの過程でいくつか特筆すべきものがあった。まずはラージャスターン州パーリー県のオーム・バンナー。これはいわゆる「バイク寺院」であり、バイクが本尊として祀られている。車種はロイヤルエンフィールドの代名詞ブレットだ。1988年にオーム・スィン・ラートールという人物がブレットに乗って移動していたところ、コントロールを失って木に激突し命を落とした。警察が、現場に倒れていたブレットを移動させたところ、そのブレットはいつの間にか事故現場に勝手に戻ってしまった。その奇跡を見て地元の人々はブレットを崇拝するようになり、やがて寺院となったのである。
マナーリーからラダックへ向かう途中、アタル・トンネルを通っていた。アタル・トンネルはマナーリーとラーハウルを結ぶ全長9kmのトンネルであり、2020年に開通した。アタル・トンネル開通前は、マナーリーからラーハウルを通ってラダックへ行くために、標高3,980mのロータン峠を越えなければならず、難所であった。ただ、それはそれでツーリングの醍醐味でもあった。筆者がラダックまでバイクで行ったのは2012年であり、まだアタル・トンネルは完成していなかった。よって、ロータン峠を越えなければならなかった。便利な世の中になったものだ。
ツーリングの最終目的地はパンゴン湖だ。「3 Idiots」で一躍有名になった高山湖である。標高4,225mの高さにある真っ青な湖で、インドでもっとも美しい光景のひとつだ。バイクで行くことも可能である。
「Chal Zindagi」は、ハーレーダビッドソンのバイクに乗る、見知らぬ男女3人がたまたまラージャスターン州で出会い、そのまま一緒にラダックを目指すというロードムービーである。発想は良かったし、バイクでラダックまで行った経験があるので格別な思い入れもあったが、脚本の詰めが甘く、冒険映画に必須のハラハラドキドキ感や、どうしようもない障害を乗り越えていこうとする力強さが足りなかった。インドでバイクに乗ってツーリングすることに憧れのある人には多少魅力的に映る作品だろうが、それ以上のものはない。
