Agra

3.5
Agra
「Agra」

 2023年5月24日にカンヌ映画祭でプレミア上映された「Agra」は、その生々しい性描写のために映画ファンの間で「もっとも物議を醸すインド映画」として知られている作品である。あまりに生々しく、乳首の露出もあるため、インドでの上映は難しそうだ。カウシク・ムカルジー(Q)監督の「Gandu」(2010年)などと並ぶ問題作だといえる。

 監督は「Titli」(2015年)のカヌ・ベヘル。「Mukti Bhawan」(2017年/邦題:ガンジスに還る)に出演していたベテラン俳優ラリト・ベヘルの息子である。キャストは、モーヒト・アガルワール、ヴィバー・チッバル、ラーフル・ロイ、ソーナール・ジャー、ルーハーニー・シャルマー、アーンチャル・ゴースワーミー、プリヤンカー・ボース、アーディラージ・シャルマーなど。

 コールセンターで働く24歳のグル(モーヒト・アガルワール)は、ウッタル・プラデーシュ州アーグラーのムスタファー・クォーターにある2階建ての家に家族と住んでいた。父親のプラカーシュ(ラーフル・ロイ)は11年前に愛人(ソーナール・ジャー)を連れ込んで妻(ヴィバー・チッバル)と同居させていた。プライベートな空間が欲しかったグルは、屋根の上に自分のための部屋を作るように要求していたが、母親はそこにグルの従姉弟で歯科医のチャヴィ(アーンチャル・ゴースワーミー)のために診療所を作ろうとしていた。プラカーシュには外に3人目の女性もいた。

 性的な衝動を抑えきれないグルは、同じ職場で働くマーラー(ルーハーニー・シャルマー)に対して妄想を膨らませ、自殺未遂まで起こす。出会い系アプリで出会いを探すがうまくいかず、チャビを押し倒そうとする。あるときグルは、ネットカフェを経営する女性プリーティ(プリヤンカー・ボース)と出会い、彼女とセックスをするようになる。プリーティは二度結婚し、2人目の夫とは死別していると語っていた。

 プリーティと結婚することを決めたグルは彼女を家族に紹介し、屋根の上に部屋を作って一緒に住むと言い出す。だが、チャヴィは恋人プルキト(アーディラージ・シャルマー)と共にチャヴィの身辺調査をし、彼女の夫はまだ存命で、ネットカフェの不動産を巡って係争中だということが分かる。チャヴィに真実を聞かされるがグルはプリーティとの結婚を諦めなかった。

 グル、プラカーシュ、プリーティは建築業者アショークと交渉し、自宅の土地に5階建ての建物を建てる契約を結ぶ。グルはようやく自分の部屋を手に入れ、プリーティとセックス三昧の毎日を過ごす。だが、マーラーの夢を見る。

 「Agra」でまず強烈なのは性描写である。劇中では、油が混ざり合うようなモヤモヤとした映像が頻繁に表示されるが、これは主人公グルの衝動的な性欲を表現していると思われる。彼は寝ても覚めてもセックスのことばかりを考えており、その異常な精神状態が具体的な映像と共に提示される。特にインパクトが強いのは冒頭の妄想だ。グルは、職場の同僚マーラーに一方的な性欲を抱いており、彼女と食卓の上でセックスする夢を見ていた。だが、彼が気付くとセックスの相手はリスに代わっていた。どうやらそのリスは、家族が檻の中で飼っているものであった。

 彼がこのように異常な性欲を抱くきっかけになったのは、家族と家の環境にあると考えていいだろう。まず、父親は愛人を自宅に住まわせていた。2階建ての建物の2階に父親と愛人が住み、1階に母親とグルが住んでいた。こんな状況が11年も続いていた。父親が愛人を連れて来たのはグルがまだ13歳くらいの頃だった計算になる。当然、グルの母親は愛人を「チュライル(魔女)」と呼んで忌み嫌っていた。

 父親が自分の性欲を満たすために愛人と家の2階部分を占拠してしまっていたため、グルは自分のプライベートな空間を持つことができなかった。それが年頃の彼に性的な抑圧を与えており、性的な妄想に取りつかれる原因になっていたと思われる。ムラムラしてくると彼はトイレに閉じこもり、出会い系アプリでセクスティング(エロトーク)をしながら自慰をしていた。だが、自慰だけでは飽き足らず、生身の女性とのセックスを求める。それがうまくいかないと、同居中の従姉弟チャヴィを押し倒そうとする。

 いかにもグルの倒錯し鬱屈した精神がクローズアップされるが、これはなにもグルが特別異常だということをいいたいわけではないだろう。インド人の一般的な家では、映画で描かれている以上に各人のプライバシーが確保されておらず、年頃の若者から新婚の夫婦まで、強い性的な抑圧を感じながら過ごしていることが予想される。よって、プライバシーと性欲の問題は多くのインド人に共通する問題として提示されていると受け止めるべきであろう。

 自分の部屋が欲しいというグルの願望は、映画の終盤で急転直下かなってしまう。2階建てだった家は取り壊され、新たに5階建ての家が建った。おかげでグルは自室を持つことができ、結婚したプリーティとセックス三昧の毎日を過ごすことができるようになった。ようやくグルの顔から焦燥感が消えた。最後にグルは、建築中のマンションでマーラーと出会う夢を見る。それが何を意味しているのかは観客の解釈に委ねられている。

 グル役を演じたモーヒト・アガルワールやチャヴィ役を演じたアーンチャル・ゴースワーミーはまだ無名であるが、プリーティ役を演じたプリヤンカー・ボースやプラカーシュ役を演じたラーフル・ロイなどは一定の知名度のある俳優だ。どの俳優も迫真の演技をしていたが、特に女優たちが濡れ場や肌見せもいとわない体当たりの演技をしていたのが印象的だった。プリヤンカー・ボースは乳首まで見せて激しいセックスシーンを演じていた。行為そのものも生々しかったのだが、全体的に汗の表現が秀逸で、インドの空気感が伝わってきた。

 舞台がアーグラーでなくてはならない理由はあまり感じなかった。題名にもなっているが、その割にはアーグラー名物のタージマハルも登場せず、いわれなければアーグラーだとは気付かない。北インドの中規模都市ならどこでもよかったと思われる。

 「Agra」は、インドの都市部に住む多くの中産階級が抱えるプライバシーと性欲の問題を、超インド映画級の性的描写と共に、生々しく描き出した問題作である。乳首の露出があり、インドでのこのままの上映は困難と思われるが、インド映画の新たな地平を開拓する意欲作であることには変わりがない。インドというよりも国際的な価値基準の中で評価してほしい作品である。