Gandhi Godse Ek Yudh

3.5
Gandhi Godse Ek Yudh
「Gandhi Godse Ek Yudh」

 1948年1月30日、「インド独立の父」と呼ばれたマハートマー・ガーンディーは、独立からわずか半年後に、ヒンドゥー教至上主義を信奉する狂信的な青年ナートゥーラーム・ゴードセーによって暗殺された。ゴードセーは現行犯逮捕され、死刑判決を受けて、1949年11月15日に執行された。

 2023年1月26日公開の「Gandhi Godse Ek Yudh(ガーンディーとゴードセー、ある戦い)」は、ガーンディーが1月30日の暗殺事件で生き残ったとしたらどうなっていたか、という「if」を着想源にし、ゴードセーと対峙させて二人を思想的に戦わせるという歴史フィクション映画である。ヒンディー語作家アスガル・ワジャーハトの戯曲「Godse@Gandhi.com」(2022年)を原作としている。

 監督は「Halla Bol」(2008年)などのラージクマール・サントーシー。彼は「Phata Poster Nikla Hero」(2013年)以来、鳴りを潜めていたため、これは10年ぶりの復帰作となる。音楽監督はARレヘマーン。キャストは、ディーパク・アンターニー、チンマイ・マンドレーカル、タニーシャー・サントーシー、アヌジ・サーイニー、パワン・チョープラー、ムクンド・パータク、ガンシャーム・シュリーヴァースタヴなど。有名な俳優はいない。

 1947年8月15日、インドは独立を達成したが、パーキスターンとの分離を伴い、国境の両側では暴力の連鎖が起こった。マハートマー・ガーンディー(ディーパク・アンターニー)はインド国内でのイスラーム教徒に対する暴力を止めようとハンガーストライキを始める。パーキスターン建国後もイスラーム教徒に肩入れする姿を見て、ヒンドゥー教過激派のジャーナリスト、ナートゥーラーム・ゴードセー(チンマイ・マンドレーカル)はガーンディーの暗殺を計画する。

 1948年1月30日、デリーのビルラー・ハウスに滞在中だったガーンディーは、礼拝集会に向かう途中にゴードセーに撃たれ倒れる。病院に緊急搬送されたガーンディーは一命を取り留め、回復する。ガーンディーは刑務所に服役するゴードセーに会いに行き、話をする。

 その後、ガーンディーはビハール州へ行きアーシュラムを開く。ガーンディーの活動はしばしば役人たちと対立し、ガーンディーは反逆罪に問われるようになる。ガーンディーは逮捕されるが、服役先として自らゴードセーと同じ刑務所を希望する。ガーンディーはゴードセーと同じ部屋に住むことになる。

 ガーンディーとゴードセーは会話をする中で思想を戦わせることになる。ゴードセーは、ガーンディーがイスラーム教徒だけを優遇しているわけではないことを理解し、ガーンディーも自分の厳しい規律が周囲の人々から自由を奪っていることを自覚する。一方、ガーンディーには新たな刺客が迫っていた。

 ガーンディーは、自分を慕って刑務所まで付いてきたスシュマー(タニーシャー・サントーシー)が恋人のナレーン(アヌジ・サーイニー)と結婚することを許す。その結婚式の日、刺客がガーンディーを殺そうとするが、それをゴードセーが止める。ガーンディーとゴードセーは同時に釈放となり、それぞれの支持者に迎えられながら出所する。

 「インド独立の父」と呼ばれるガーンディーは、インド独立達成からわずか半年後に暗殺され、国造りに大きな足跡を残すことなくこの世を去ることになった。もしガーンディーがしばらく生きていたら、インドはどのような国になっていたのだろうか。インドの現代史において時々語られる大きな「if」である。だが、ガーンディーは融通の利かない一面もあり、もしかしたら何らかの政策での相違を巡ってジャワーハルラール・ネルー首相などと対立することになっていたのかもしれない。

 「Gandhi Godse Ek Yudh」でまず興味深いのは、1948年以降もガーンディーが生きていた場合に起こっていたであろうことが想像されていることだ。非常に示唆的なのは、インド国民会議派(INC)の解散提案である。ガーンディーは、独立を達成したのだからINCは使命を終えたと主張し、ネルー首相らにINCの解散を提案する。もちろん、独立インドの国造りをこれから始めようとしていたネルー首相以下の政治家たちは簡単には承諾できない。幹部会議でガーンディー案は却下され、これがきっかけでガーンディーはINCと袂を分かつことになる。

 ガーンディーは、「インドの魂は農村にある」という持論の下、村の自治に向けて活動を始める。だが、彼の草の根の活動はモダンな国家の建設を目指すネルー首相の政策とはしばしば衝突した。たとえばネルー首相はエネルギーの自給自足を重視し、発電所の建設を推し進めるが、ガーンディーは開発が自然を破壊し農村を疲弊させるとして反対する。このような対立は、ガーンディーが長生きしていた場合、確かに避けられなかったものかもしれない。

 ただ、「Gandhi Godse Ek Yudh」の本題はガーンディーとゴードセーの思想的な対決である。ただ単にガーンディーが1948年以降も生きているという「if」設定だけでなく、彼がゴードセーによる暗殺事件を乗り越えて生き残ったと設定することで、この二人の因縁を維持し、その上で対決に臨ませている。自分を暗殺しようとした人物にわざわざ会いに行くというのは、いかにもガーンディーが取りそうな行動である。しかも、終盤でガーンディーは反逆罪で逮捕され、自ら望んでゴードセーと同じ刑務所に入り、しかもゴードセーと同じ部屋で過ごすようになる。これで二人は思う存分思想を戦わせることが可能となった。たとえばゴードセーが「インドはヒンドゥー教徒たちの国だ」と主張すると、ガーンディーは「インドはあらゆる宗教の人々が共に作り上げてきた国だ」と反論する。このような形でガーンディーとゴードセーがお互いの主張をぶつけ合う姿を映し出し、インドという国がどうあるべきかを現代の観客に問い掛ける仕掛けになっている。

 当然、ヒンドゥー教至上主義化を強める現代のインドに対する警鐘にもなっている。ラージクマール・サントーシー監督の立場は明らかに宗教共存と寛容主義の側である。ガーンディーを殺そうとしたゴードセーがガーンディーを暗殺から救うという最後は、ゴードセーの改心とヒンドゥー教至上主義からの脱却を意味している。

 「Gandhi Godse Ek Yudh」は、もしガーンディーが暗殺事件を生き抜いてゴードセーと対峙したらという歴史フィクション映画である。ヒンドゥー教至上主義に感化されてガーンディー暗殺を実行したゴードセーの存在は、2014年から中央政権を牛耳るインド人民党(BJP)を象徴している。単なる時代劇ではなく、現代の文脈で読み取るべき作品だ。とても意義のある佳作である。