Siya (2022)

3.5
Siya
「Siya」

 2022年9月16日公開の「Siya」は、2012年のデリー集団強姦事件以来、ヒンディー語映画界に増えた、レイプを主題にした映画である。ただし、「Siya」は特定の事件にもとづいて作られた映画ではなく、複数のレイプ事件に似たパターンを抽出してひとつの物語にまとめたものになっている。

 監督はマニーシュ・ムーンドラー。これまで「Masaan」(2015年)や「Newton」(2017年)などの社会派娯楽映画を製作してきたプロデューサーで、自らメガホンを取るのは今回が初である。キャストは、プージャー・パーンデーイ、ヴィニート・クマール・スィン、ローヒト・パータク、アンシュ・パーンデーイなどである。

 ウッタル・プラデーシュ州デーヴガンジの農村に住む17歳の少女スィーター・スィン、愛称スィヤー(プージャー・パーンデーイ)は、地元州議会議員アルノーダイ・プラタープ・スィン(ローヒト・パータク)の甥バッチャン(アンシュ・パーンデーイ)に嫌がらせを受けていた。デリーで弁護士をするマヘーンダル・マッラー(ヴィニート・クマール・スィン)がちょうど村に帰ってきており、スィヤーは彼に、村を出てデリーに行きたいと相談する。

 その日からスィヤーは行方不明になる。マヘーンダルは、スィヤーの父親シャンカルらを連れて警察署へ行くが、まともに取り合ってもらえなかった。それから1週間以上も帰ってこず、警察の動きも鈍かった。しかし、この事件が新聞で取り上げられたことでやっと警察も動く。バッチャンとその仲間たちが逮捕され、スィヤーは救出される。この間、スィヤーはバッチャンたちによって繰り返し強姦をされていた。

 バッチャンたちは牢屋に入れられ、スィヤーの取り調べも行われた。スィヤーはデリーへ行って新しい人生を始めるが、バッチャンたちが釈放されたことを知り憤る。スィヤーはマヘーンダルに相談し、法廷で徹底的に戦うことを決意する。

 それ以来、アルノーダイ議員による脅迫や暴力がスィヤーたちの家族を脅かすようになる。まずはシャンカルが殴打された上に殺され、マヘーンダルの家は燃やされる。デーヴガンジのレイプ事件は全国ニュースになり、州警察ではなくCBI(中央捜査局)が捜査を担当することになる。捜査によって、バッチャンの前にアルノーダイ議員がスィヤーをレイプしていた事実が発覚する。彼は警察を使ってそのことをもみ消そうとしていた。バッチャンは再び逮捕され、アルノーダイ議員も捕まる。

 スィヤーはマヘーンダルや母親などと共に自動車で移動していたが、そこへトラックが突っ込み、マヘーンダルたちは死ぬ。しかしスィヤーは生きており、病院に搬送される。

 レイプを扱った映画ではあるが、まず押さえておくべきであるのは、主人公のスィヤーや、彼女を支える弁護士マヘーンダルがカースト制度上で最下層に位置づけられる不可触民であることだ。マヘーンダルやスィヤーの家族が警察署の部屋に入ろうとすると、警察官から「履物を脱げ」と言われるが、これは彼らのカーストが低いからである。また、スィヤーの両親が、娘が行方不明であることを訴えると、警察官は「チャマール(皮革業カースト)の女にはよくあることだ」と差別発言をする。マヘーンダルも、職業は弁護士であったが、名字はマッラー(船頭カースト)であった。一方で、レイプをしたアルノーダイやバッチャンはラージプート(地主階級)であり、完全なる上位カーストだ。しかもアルノーダイは州議会議員であり、政治的な力もあった。

 スィヤーがレイプのターゲットになったのも、何か惹きつけるものがあったというよりも、彼女のカーストが低く、何をしてもいいと考えられていたからだといえる。スィヤーはカースト制度でがんじがらめになった村の生活に閉塞感を感じ、デリーに行きたいと常日頃から考えていた。

 また、スィヤーは17歳という設定だった。インドには児童性犯罪保護法(POCSO)があり、18歳未満の未成年者が関わる各種の性犯罪に厳罰で対処できるような体制が整っている。よって、スィヤーを集団強姦した犯人たちには逃げ道がないはずだった。それでも、アルノーダイ議員は警察を意のままに操ることができたため、バッチャンたちは一度まんまと釈放されてしまう。

 アルノーダイ議員は、選挙のこともあって、まずは事件を穏便に処理しようとし、スィヤーの家族に示談を持ちかける。その内容は、スィヤーをバッチャンと結婚させ、結婚式の費用も彼が持つというものだった。インドではこのような事件が起こったとき、実際に被害者と加害者を結婚させて済まそうとするオファーがよく出されるようである。だが、スィヤーはそれを断固拒絶し、司法の場で戦って、レイプ犯たちに引導を渡そうとする。

 当然、アルノーダイ議員は今度は権力や暴力を使って保身しようとする。まずはスィヤーの父親が殺され、マヘーンダルの家が燃やされ、最終的には交通事故を装って母親やマヘーンダルも殺されてしまう。ただし、その交通事故でスィヤーだけは生き残った。映画は、病院で昏睡状態のスィヤーが目を覚ますところで終わる。今後彼女がどのような行動に出るかは観客の想像に任された形である。説教臭いメッセージがあるわけでもない。オープンなエンディングによって、インド人観客に対し、インド社会をどのようにしていくのか、問いが出されている。

 バッチャンたちによる集団強姦まではすんなり理解できたのだが、アルノーダイ議員によるスィヤーの性的暴行は唐突だった。しかも彼の妻がスィヤーを家に招き入れており、もう少し説明が欲しかったところである。

 レイプ被害者のスィヤーを演じたプージャー・パーンデーイは、実際にレイプの被害にあった女性たちにインタビューをし、役作りをしたようだ。彼女が表現しようとしていたのは、ステレオタイプの泣きわめく被害者ではなかった。拉致・監禁されて集団強姦され、救出された女性の精神状態は、まず放心状態という形で表現されていた。そして、犯人たちが保釈されたことで、逆に闘志を燃やし、徹底的に戦うことを決意する。

 弁護士マヘーンダルを演じたヴィニート・クマール・スィンは「Mukkabaaz」(2018年)で知名度を獲得した演技派の男優だ。見た目は地味だが、シリアスな映画に似合う。今回の役もはまっていた。

 なぜか排泄シーンが何度か出てきた。冒頭のシーンも、スィヤーが夜中に家の外に出て、畑の中で小便をするというものだった。それが何かの伏線になっていたわけでもない。バッチャンたちに監禁されていたときのシーンでもスィヤーはベッドの上から小便をしていた。なぜそんなに排泄にこだわるのか、監督の趣味であろうか。

 「Siya」は、農村の権力者一家によってレイプされた少女が、事件をもみ消そうとする圧力に果敢に立ち向かうという筋の映画だ。しかしながら、一切の理想主義は排除されており、かなり現実に近い結末が待っている。おそらく監督はそのリアルを観客に見せたかったのだろう。後味は悪いが、それは映画として悪いものではなく、社会への警鐘と受け止めるべきである。