ヒンディー語には、日本語や英語などにはない能格(ergative)という格があり、初学者を悩ませる要因になっている。能格のある言語はヒンディー語の他にもあり、それらはまとめて「能格言語」と呼ばれている。
能格言語とは、「自動詞の主語と他動詞の目的語が同列に扱われ、他動詞の主語だけが別の扱いを受ける性質をもつ言語」のことである。ヒンディー語の標準文法では、完了形の動詞を述語とする文において、自動詞の主語と他動詞の目的語には何も付かないが、他動詞の主語だけには能格を示す後置詞「ने」が付く。いわゆる「ने」構文である。
ヒンディー語文法を全く知らない人はもうここまでで読むのを止めてしまっていると思うので、これ以上詳しく説明する必要はないと思うが、念のために例文を掲載しておく。下の4つの文の内、4番目が能格構文であり、その中の赤字にした部分が、能格後置詞「ने」である。
- 自動詞 未完了形
मैं घर जाता हूँ।
Main Ghar Jaata Hoon.
(私は家に行く。) - 他動詞 未完了形
मैं घर देखता हूँ।
(私は家を見る。)
Main Ghar Dekhta Hoon. - 自動詞 完了形
मैं घर गया है।
Main Ghar Gaya Hai.
(私は家に行った。) - 他動詞 完了形
मैंने घर देखा है।
Maine Ghar Dekha Hai.
(私は家を見た。)
ヒンディー語の「ने」構文には、意味上の主語と文法上の主語の分離などの、もっと厄介な問題も付随してくるのだが、ここではあまり関係ないので割愛する。
一方、ヒンディー語には「को」という後置詞がある。第一義的な用法では対格「~を」や与格「~に」を示す後置詞であるが、「~が必要だ」「~がしたい」「~すべきだ」などのモダリティ(法性)を含む文、つまり動詞不定詞+コピュラ動詞などで構成される文においては意味上の主語に付く。例えば以下のような文になる。赤字にした部分が、意味上の主語を示す「को」である。ちなみに、「को」が付くことで意味上の主語は文法上の主語としての役割を失う。
- मुझको घर जाना है।
Mujhko Ghar Jaana Hai.
(私は家に行かなければならない。)
近年、この用法の「को」が「ने」に置き換わる現象が報告されている。つまり、5番の文は以下のようになる。
- मैंने घर जाना है।
Maine Ghar Jaana Hai.
(私は家に行かなければならない。)
ヒンディー語映画を観ていても、時々この用法を耳にする。文法的には完全な間違いであるが、市井ではかなり市民権を得つつあるように感じる。ただ、とりあえずは誤用として扱っておく。
台詞ならばまだ聞き間違いかと思うのだが、台詞のみならず、映画音楽の歌詞にもこの誤用が使われ始めると、慣用として扱う必要が出て来るものだ。例えば、「Lakshya」(2004年)タイトルソングの冒頭の一節に誤用の「ने」と思われるものが使われている。それを検証してみたい。
हाँ यही रास्ता है तेरा
तूने अब जाना है
हाँ यही सपना है तेरा
तूने पहचाना है
そうだ、これこそがお前の道だ
お前は今、行かなければならない
そうだ、これこそがお前の夢だ
お前は気付いた
4行目の「ने」は標準的な用法である能格後置詞だが、赤字で示した部分、2行目の「ने」が誤用の「ने」に見える。
しかし、ここでは2行目の動詞「जाना」の解釈がポイントになる。「行く」という意味の自動詞「जाना」の不定形と取ると、「तूने」の「ने」は誤用の「ने」ということになるが、「知る」という意味の他動詞「जानना」の完了形と解釈すれば、「तूने」の「ने」は正用の「ने」だ。よって、2行目の訳は「お前は今知った」になる。4行目で使われている他動詞「पहचानना」は「जानना」と似た意味の動詞であり、詩としての座りも「जानना」として解釈した方がいい。よって、実際にはこちらの方が正しい解釈であり、誤用ではない。
しかしながら、インド人がこの歌詞を訳したものを検索すると、以下のように、「行く」またはそれに類する意味で解釈しているものが見られる。1行目に「行く」と結びつきの強い「道」という単語が使われているので、ますますそう聞こえてしまうのだろうが、やはり「ने」と「को」の混同は水面下で進んでいるものと思われる。
例1
Yes, this is the way you ought to take
Now you have realized this
引用元:Bollynook
例2
Yes this the path I have to go
Now I have realized it
※本当は主語は「I」ではなく「You」である。
引用元:Reality Views
上記の例は誤用に見えて誤用ではなかったというものだが、「Tarla」(2003年)の「Rang Khilein」はどうだろうか。この歌の歌詞には以下のような一節がある。
आँखों ही आँखों में जो वादे किए
हमने निभाने भी हैं
目と目で交わした約束を
私たちは守らなければならない
この「ने」は完全に「को」の置き換わりと考えることができる。別に「को」にしても韻律上問題ないはずだが、わざわざ「ने」にしているのは、もはやこちらの用法も既に市民権を得ていると考えていいのではなかろうか。ただし、「हमने」は前の「वादे किए」の方に掛かっていると考えれば、標準文法的から逸脱していないことになる。とはいっても、歌い方を見ればその説明に説得力がないことが分かるだろう。
誤用の「ने」は、どうやらパンジャーブ地方でよく見られるもののようである。パンジャービー語の「ने」にあたる単語には、能格後置詞としての役割の他に、不定詞+コピュラ動詞などの文において、意味上の主語(主に3人称)に付くことがある。ヒンディー語での誤用に似た使い方であり、説得力のある説である。
一方で、この「ने」の用法はヒンディー語またはウルドゥー語が成立しつつあった昔からずっとあったとの説もある。もっとも古い文献では、17世紀の文学者ムッラー・アサドゥッラー・ワジヒー著の「Sabras」(1635年)にその用例があるとされている。もしかしたら時代の流れの中で廃れていった用法が、パンジャービー語などの影響で復活しているのかもしれない。
誤用の「ने」が慣用化しつつある上に、厄介なことに、正用の「को」との使い分けも生まれているようだ。これらは微妙にニュアンスが異なるとされている。例として、もう一度5番と6番の文を引っ張り出してみよう。
- मुझको घर जाना है।
Mujhko Ghar Jaana Hai.
(私は家に行かなければならない。) - मैंने घर जाना है।
Maine Ghar Jaana Hai.
(私は家に行かなければならない。)
標準文法では、5番が正用で6番が誤用のはずだが、6番が市民権を得つつあることで、両者の間でニュアンスの違いが生まれ、使い分けが行われるようになっている。どう違うかというと、まだ完全に確定していないため、話者の主観も入るのだが、どうも6番の方がより能動的で、強い願望を示していると感じられるようである。5番が義務的な「行かなければならない」だとすれば、6番には「行きたい」という強い願望が込められるということだ。おそらく「ने」が他動詞完了形の意味上の主語を示すマーカーの役割を果たしているため、その連想から、「ने」を伴う名詞が強調される効果が誤用の6番の方に派生して生じつつあるのであろう。
参考文献:Word Reference