南アジアには「邪視」という考え方がある。ヒンディー語では「नज़र」または「बुरी नज़र」といい、英語では「Evil Eye」という。日本には完全にあてはまる概念がないので説明が難しいのだが、「嫉妬や悪意を含む視線」とすれば分かりやすいだろうか。邪視は南アジアに限らず、ヨーロッパから中東にかけて、かなり広い範囲で信じられている民間信仰である。
誰かの身に何かめでたいことが起きたとき、当人の周囲にそれを祝福してくれる人ばかりであれば何も問題ないのだが、残念ながら、それを羨み、僻み、妬む者がどうしても出て来る。そういう人々が、めでたいことが起きた者に対して向ける、悪意ある視線を「邪視」という。そこには、視線が向けられた者を不幸に陥れる力があるとされている。
インド文化の端々からは、なるべく邪視を避けようと工夫する様子が見て取れる。例えばインドでは誕生日を迎えた人がパーティーを主催し、家族や友人に御馳走やケーキを振る舞わなければならない。バースデーボーイ/ガールがとことんもてはやされる日本の考え方とは真逆である。これは一般的には、「喜びは分かち合うことで増す」という美しい価値観に基づくものと説明されるが、裏を返せば、「喜びを独占すれば痛い目に遭う」という、恐ろしいが的を射た現実認識によるものである。
誕生日ならば毎年待っているだけで巡ってくるが、他にも人生において、結婚、出産、昇進など、慶事は多い。そういうときに、ただ慶事を祝うだけでなく、邪視の対策をすることが求められる。
邪視を避けるひとつの有力な手段は、おめでたい事物にわざと不完全さを加えることである。例えば、インド人の赤ちゃんの顔には、わざと黒い点や丸が付けられていることがある。これは正に邪視除けである。赤子の出産はそれ自体が邪視を引きつけやすいイベントだ。その子が世にも可愛らしい天使のような赤ちゃんだったら、尚更のことである。だが、赤ん坊の顔にホクロに見えるものを加えて、少し欠点を作り出すことで、邪視の直撃を避けることができる。
この黒い点や丸は、赤ちゃんに限らず、未婚の女性など、守らなければならない対象にもよく付けられる。インド人女性は化粧の一種として「カージャル」と呼ばれるアイライナーを付けているが、それを目から取って、自分が可愛がっている娘などの顔に黒い点や丸を付ける場面は、インド映画でもよく見られる。その際、「नज़र न लग जाए」(邪視が付かないように)や「चश्म-ए-बद दूर」(邪視が遠くへ行くように)などの、おまじないの言葉を伴うことも多い。また、その人に降りかかる邪視を肩代わりするためのおまじないとして、相手の頭から何かを取って自分の頭に掛けるような仕草をすることもある。
インドの街角では、多くの邪視除けのアイテムを見つけることができる。例えば足に関する事物は邪視除けに効果があるとされており、靴はポピュラーな邪視除けのアイテムだ。トラックの後部などに靴をモチーフにした絵が描かれているのをよく見る。また、馬の蹄に装着する蹄鉄も伝統的な邪視除けのアイテムであり、家の玄関に飾られていることがある。
トルコには邪視除けのために「ナザル」と呼ばれる青い円形のアイテムがあり、お土産としても有名だが、インドではあまり見ない。インドに特徴的な邪視除けのアイテムとして「नज़रबट्टू」が挙げられる。角を生やして黒い肌をした、日本の鬼や角大師に似たデザインの顔である。家の壁やトラックの後部などに付けられていたりする。「बुरी नज़र वाले तेरा मुँह काला」(邪な視線を持つ者よ、お前の顔が黒くなるように)というおまじないの言葉が添えられていることもある。
「नींबू मिर्च」も邪視除けのアイテムである。青唐辛子とライムを束にして吊したアイテムで、やはり家の玄関や自動車などに付けられているのをよく見る。
「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年/邦題:ミモラ)の名曲「Nimbooda Nimbooda」も、邪視除けアイテムとしてのライムについて歌った曲である。
「Nimbooda Nimbooda」の中盤には下記のような歌詞があり、ライムを使ってどのように邪視除けをしたらいいか助言されている。
दीवानों की बुरी नज़र से
बचना हो तो सुन लो
अरे खट्टो खट्टो नींबू
तेज़ छुरी से सर पे काटो
फिर छोटा छोटा नींबूड़ा
क्या जादू करेगा देखो
कि बुरी नज़र वह
खट्टी होएगी
फिर चार रास्ते पे
वह उतर गिरेगी
恋に狂った人の邪視から
逃れたいなら聞いて
酸っぱい酸っぱいライムを
鋭い小刀で頭から切って
小さな小さなライムが
どんな魔法をするか見て
その邪視は
酸っぱくなって
四つ辻に
落っこちるでしょう
インドの自動車のリアウィンドウなどに、クリケットボールが当たってガラスが割れたような意匠のステッカーが貼ってあることがある。興味深いことに、これも邪視除けの一種である。自動車の購入も、その家の経済力を周囲に見せつけるイベントであり、邪視を引きつけやすい。その自動車に敢えて欠点を加えることで、邪視を避けているのである。
もっとも、邪視というコンセプトを知らなくても、インドを旅行すると、周囲のインド人から痛いほどの視線を感じるだろう。インド人には、日本人に比べて、何か変わったものをじっと凝視するという国民的な癖があるように感じる。インドにいる限り、日本人はその視線にさらされ続けることになる。逆に日本人は変わったものから目を逸らす傾向にある。この辺りが、日本において邪視というコンセプトが育たなかった要因かもしれない。