インド映画に歌と踊りは欠かせず、インドの映画スターは踊りが踊れなければ務まらないが、実は歌は下手でも構わない。なぜならインド映画業界には「プレイバックシンガー(Playback Singer)」というシステムが定着しているからである。
インド映画を観ると、さも俳優たちが踊りながら見事な歌声で歌っているように見えるが、実は俳優たちは口パク(Lip Sync)をしているだけであり、歌を歌っているのは別の人物である。インド映画業界で俳優たちの代わりに歌を歌っている職業歌手たちのことをプレイバックシンガーという。
映画がトーキー化して以来、インド映画には声と共に歌も入ることになったが、必ずしも当初からプレイバックシンガーが存在したわけではなかった。トーキー映画が一気に普及した1930年代以降、KLサイガルやヌールジャハーンなど、歌も歌えて演技もできるマルチタレントなスターが人気だった。
プレイバックシンガーのシステムが誕生したのは偶然からといわれている。「Achhut Kannya」(1936年)の撮影中、喉の調子が悪かった女優の代わりに別の女性が歌を歌って吹き替え録音をしたことで、業界に新たな選択肢が生まれたのである。徐々にプレイバックシンガーによる歌の吹き替えが浸透していく。また、1942年にはインドの国宝プレイバックシンガーであるラター・マンゲーシュカルが12歳でデビューする。
1947年にインドはパーキスターンと分離独立する。これを機に、インドの映画界で活躍していた人々の内、イスラーム教徒の一部がパーキスターン移住を選ぶことになった。このときパーキスターンに移住してしまった人気スターが先述のヌールジャハーンであった。また、印パ分離独立の直前にKLサイガルも死去していた。歌えるスターが次々にインド映画界から消えたことで、プレイバックシンガーの需要が高まり、俳優と歌手の分業が定着したのである。
どうも外国人観客は、俳優が実際に歌を歌っていないことをインド映画の弱点と捉える傾向にあるようだが、インド人観客はプレイバックシンガーの存在を当然のものと受け止めており、流れてくる歌声がスクリーンに映っている俳優の声でないことは重々承知で映画を楽しんでいる。時々、俳優自身が歌声を披露することもあるが、9割以上の俳優はプレイバックシンガーに全面的に歌を任せている。
プレイバックシンガーでもっとも有名なのは、先ほども名前を挙げたラター・マンゲーシュカルである。12歳でデビューして以来、2022年2月6日に92歳で死去するまで、5万曲以上の歌を歌った。これはギネス世界記録である。彼女の甘いソプラノの歌声は何十年にもわたってインド人の心を捉え続け、いつしか「インドのナイチンゲール」と呼ばれるようになった。
ラターが代表的だが、著名なプレイバックシンガーはスターに勝るとも劣らない人気を誇る。名画は名曲と共に記憶されることが多く、名曲の顔は俳優ではなくむしろ声の主であるプレイバックシンガーであるため、結局一番寿命が長いのはプレイバックシンガーといえないこともない。ラターに加え、ムケーシュ、ムハンマド・ラフィー、キショール・クマールなど、既に死去したプレイバックシンガーたちは現代に至るまで、そして彼らの死後に生まれた若者たちからも、不思議なほど熱烈に支持されている。
プレイバックシンガーの世界も非常に奥が深い。耳からインド映画に親しんでいく道も十分にありだろう。