スィンドゥール

 インドの既婚女性は、一目で既婚であることが分かるような既婚の印を身に付けることが多い。その代表がスィンドゥールである。ヒンディー語では「सिंदूर」と書く。インド人女性の額の上、髪の真ん中の分け目に赤い線が引いてあるのを目にするが、これがスィンドゥールである。

Sindoor
スィンドゥール

 スィンドゥールは、辰砂しんしゃという鉱物を砕いた粉、ターメリック、白檀、ライム汁などを混ぜて作られる赤い粉である。少量の水銀が混ぜられることもある。この粉は「कुमकुमクムクム」とも呼ばれる。髪の分け目に付ける他、額の中央部に円形を描くこともある。いわゆる「बिंदीビンディー」である。

 スィンドゥールは既婚女性の証であるため、未婚女性や未亡人は付けることを許されていない。スィンドゥールには、夫の健康と長寿の願いが込められているともされる。結婚式においては、婚姻が成立した直後、その証として花婿が花嫁の額にスィンドゥールを付ける「सिंदूरदानスィンドゥールダーン」という儀式がある。それ以降は、基本的には朝起きると自分でスィンドゥールを付けるようになる。

 ヒンディー語映画においてスィンドゥールといえば、「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)以外にない。この映画でディーピカー・パードゥコーン演じる主人公シャーンティプリヤーが、スィンドゥールについて以下のような古風な台詞を言う。

Ek Chutki Sindoor Ki Keemat | Om Shanti Om | Scene | Shah Rukh Khan, Deepika Padukone

एक चुटकी सिंदूर की क़ीमतエーク チュトキー スィンドゥール キ キーマト
तुम क्या जानो, रमेश बाबू।トゥム キャー ジャーノー ラメーシュ バーブー
ईश्वर का आशीर्वाद होता है,イーシュワル カ アーシールワード ホーター ハェ
एक चुटकी सिंदूर।エーク チュトキー スィンドゥール
सुहागन का सर का ताज होता है,スハーガン カ サル カ タージ ホーター ハェ
एक चुटकी सिंदूर।エーク チュトキー スィンドゥール
हर औरत का ख़्वाब होता है,ハル アォラト カ カーブ ホーター ハェ
एक चुटकी सिंदूर।エーク チュトキー スィンドゥール

ひとつまみのスィンドゥールの価値が
あなたに分かって?ラメーシュさん?
神様の祝福が
ひとつまみのスィンドゥールよ。
既婚女性の冠が
ひとつまみのスィンドゥールよ。
全ての女性の夢が
ひとつまみのスィンドゥールよ。

 かなり冗談めかした演出ではあるのだが、ここで語られているスィンドゥールの価値は、実際に考えられていることからそう遠くはない。

 映画中のセリフや歌詞にスィンドゥールが出て来た場合、それは何らかの形で結婚について話題が進行していることになる。例えば「Devdas」(2002年)において、ドゥルガープージャー祭のシーンにて踊られる「Dola Re Dola」に、以下のような歌詞がある。

8K Remastered - Dola re Dola | Madhuri Dixit, Aishwarya Rai | Devdas

उनसे कभी न हो दूरウンセ カビー ナ ホー ドゥール
हाँ माँग में भर लेना सिंदूरハーン マーング メン バル レーナー スィンドゥール

彼から決して離れないで
そう 額にスィンドゥールを付けて

 これは、アイシュワリヤー・ラーイ演じるパーローが、マードゥリー・ディークシト演じるチャンドラムキーに語りかけた言葉になっている。ここでいう「彼」とは、二人の女性が愛情を注ぐ男性デーヴダースのことである。パーローはチャンドラムキーに「額にスィンドゥールを付けて」と言うことで、チャンドラムキーに対して、デーヴダースと結婚してあげて欲しいと頼んでいるのである。

 スィンドゥールの科学的な効果も認められている。スィンドゥールの成分のおかげで、ストレスが和らいだり、記憶力が増進されたり、集中力が高まったり、生理の周期が安定したり、さらには性的機能が活発化されたりするとされている。ただし、ローダミンBや鉛丹などが混ざった安物の既製品スィンドゥールも市場には出回っており、それらは肌に有害である。

 既婚女性に外見上の印を付けて区別するこの習慣に対しては、フェミニストなどから批判も多い。ただ、大半のインド人女性は結婚後に好んでスィンドゥールを付ける。田舎ではなるべく目立つようにベッタリと付ける傾向にあるが、都会では額と髪の境目にチョンと付けるだけがオシャレという感覚があるようである。

 既婚女性の印としては、スィンドゥール以外にも、先ほど挙げた額の装飾「ビンディー」、手首や腕に付けるブレスレット「कंगनカンガン」や「चूड़ीチューリー」、首に掛けるネックレス「मंगलसूत्रマンガルスートラ」、足首に付けるアンクレット「पायलパーヤル」、足の指に付けるトーリング「बिछियाビチヤー」などがある。ただ、これらの多くは未婚女性もファッションとして身に付けていることがある。だが、スィンドゥールを付ける未婚女性はいない。よって、スィンドゥールが既婚女性の印の代表といえるだろう。


 2025年、スィンドゥールは世界的な認知度を得た。同年4月22日にジャンムー&カシュミール準州の風光明媚な観光地ペヘルガーム(Pahalgam)で観光客を狙ったテロ事件があった。この事件で26名の民間人が殺害された。しかも、テロリストはヒンドゥー教徒男性だけをわざわざ抜き出して射殺した。ペヘルガームは新婚旅行先として人気の場所であり、被害家族には新婚夫婦が多く、中には結婚式から1週間も経たない内に寡婦になってしまった女性もいた。テロリストがパーキスターン領内から侵入してきたことは明らかだった。

 ナレーンドラ・モーディー首相は報復を宣言し、5月7日未明にパーキスターン領内およびパーキスターン領カシュミール(POK)にあるテロリスト拠点9ヶ所に攻撃を行った。これを機に印パ間でミサイルやドローンによる攻撃の応酬が始まり、5月10日の停戦まで続いた。核保有国同士の衝突であるため、このまま核戦争に発展するのではないかと、世界中が固唾を呑んでその動向を注視した。

 インド側はこれを「スィンドゥール作戦(Operation Sindoor)」と呼んだ。スィンドゥールは既婚女性の証であると同時に夫が存命であることを示す印でもあるため、夫に先立たれた後はスィンドゥールを付けられなくなる。この作戦はペヘルガームで夫を殺された女性たちのための弔い合戦であることを「スィンドール」で象徴させる巧みな作戦名であった。政府の狙い通り、スィンドゥール作戦は国民の共感を呼んだ。また、作戦の指揮を執ったのが2人の女性軍人であることも話題になった。ソフィア・クライシー陸軍大佐とヴョーミカー・スィン空軍中佐である。これも女性のための作戦であることを強調した。さらに、名前からはソフィアがイスラーム教徒、ヴョーミカーがヒンドゥー教徒であることが分かる。これもインドが宗教の境なく一丸となって国家的危機に対応している様子を世に示す巧みなイメージ戦略であった。