インド映画の最大の特徴は何かと問われれば、それは歌と踊りを重視した映画作りと答える以外ないだろう。もちろん、インド各地で多様な映画作りが行われており、歌と踊りに対するスタンスもそれぞれなのだが、一般的にいって、他国の映画に比べて映画中に歌曲が差し挟まれる割合が多く、さらに、歌にダンスが伴うことが多いのは、インド映画に共通する特徴だ。
この認識は日本のみならず、既に世界共通のものになっている。インド人自身も、進んで歌と踊りがインド映画の特徴だと捉えている。
ただ、この点に関し、インド人とそれ以外の人の間で、主に2つ、認識のズレがある。
ひとつめは、映画というメディアは歌と踊りが入らない形式が標準で、インド映画はそれに蛇足的に歌と踊りを追加している、という世間一般の認識である。インド人はそう考えていない。映画には歌と踊りが入るのが標準で、海外の映画はそれらあるべきものを残念なことに削ってしまっている、というのがインド人の見方だ。
もうひとつは、インド映画には歌と踊りが「突然」入るという認識である。特にインド映画に疎い人がインド映画を色物のカテゴリーに押し込めるためにそう信じ込んでいる節があるが、インド人の考えは違う。歌と踊りは必要だから挿入されるのである。その入り方もある程度パターン化されており、インド映画の文法に慣れれば、「突然」とは感じない。
なぜ歌って踊るのか
インド映画に歌と踊りが入る理由について、主に2つの説明の仕方がある。ひとつは文化的な背景からの説明であり、もうひとつはビジネスの観点からの説明である。
インドでは元々、演劇と歌と踊りは不可分のものと考えられてきた。歌にも物語があり、動きがある。インド舞踊はほとんどが神話をなぞる演劇であり、歌を伴う。演劇に歌と踊りが入らないのは考えられない。三者は一体であり、その考え方は、20世紀初頭にインドで国産映画が作られるようになった後も当然のように映画に引き継がれた。当初は無声映画しかなかったが、そのときでもインドでは踊りに満ちた映画作りが行われた。映画館には弁士に加えて楽士が控えており、映画の進行に合せて歌や伴奏が加えられた。トーキー映画が始まったことで、ますます歌と踊りは映画に不可分の要素となり、その後もカラー化、ワイドスクリーン化、音源のマルチトラック化など、映画に技術革新が起こるたびに、映画と歌と踊りの結びつきはさらに強まっていった。
無声映画「Kaliya Mardan」(1919年)にも踊りがある
BGMは後付け
また、インド社会とインド文化そのものが歌と踊りに満ちている点も見逃せない。インドには多様な宗教、多様な地域があり、多様な祭典があって、それぞれが歌と踊りで彩られる。結婚式にも歌と踊りは付きものだし、雨季(モンスーン)の最初の雨の中でも人々は踊り狂う。現代社会では選挙ですら歌と踊りで勝利が祝われる。インド文化を知らない人には、道端で人が踊っているのは非現実的に思えてしまうかもしれないが、リアリズムを追求することでかえって歌と踊りを映画の中に入れなければならなくなってしまうのがインドなのである。
映画は芸術であると同時に商業であり、商業的に成り立たない映画が広く世に知れ渡る可能性は無に等しい。映画プロデューサーは映画を多くの人に観てもらって少しでもチケット売り上げを伸ばそうと努力するわけだが、インドでは映画の販促のために歌と踊りが有効活用されてきた。挿入歌は映画公開前からカセットやCDなどの形で売り出されるのが通例であったし、ラジオでも積極的に流された。TVの普及後はダンスシーンも販促材料として重視されるようになり、予告編の代替としてダンスシーンが切り出されて盛んに放映されるようになった。2010年代以降はYouTubeがプロモーションに大いに活用されている。
当然のことなら、音楽がヒットすると本体の映画もヒットする確率が高くなるし、たとえ映画が興行的に失敗に終わったとしても、一曲でもいい曲があれば、その曲を通して映画も未来永劫記憶してもらえる。よって、インド映画では歌曲に多大なエネルギーが費やされるのである。
また、音楽配給権はプロデューサーにとって大切な収入源である。莫大な予算を掛けて作られた映画ほど、歌と踊りにも力を注ぐことで、映画の製作費回収が容易になる。現在はCDが売れる時代ではなくなっているが、新たにYouTubeなどの動画配信サイトが収入源となっている。たとえば、ダンスシーンの配信に注力する大手音楽配給会社T-SeriesのYouTubeチャンネルは世界最大のフォロワー数を誇っており、これだけでYouTubeから莫大な収入があるのではないかと予想する。
映画本編とは関係ない、セクシーで踊りの上手な女優が、特定のアップテンポなダンスシーンのみに特別出演して踊りを披露するアイテムガールも業界では定着しているが、これも歌と踊りで話題性を作り出し、映画の価値を高める戦略の一環である。
歌と踊りの貢献
見逃されがちなのが、歌と踊りが映画の質を向上させる効果である。特に歌詞はストーリーと一体であり、優れた映画になると必ず、歌詞がストーリーを引き立て、ストーリーが歌詞を引き立てる相乗効果を見出すことができる。
字幕に頼ってインド映画を観ている人には残念ながら完全に入り込めない世界なのだが、インド人観客は耳で歌詞を聴いてその味を噛み締めながら映画を鑑賞しており、この相乗効果を存分に楽しんでいる。歌詞の完全な翻訳は、字数制限の厳しい字幕では不可能に近いし、本格的な詩文になると韻文学の知識も要するので、この楽しみを一般の日本人に説明するのは困難だ。上で挙げたアイテムガールが出演する「アイテムナンバー」などは、言葉遊びを多用したナンセンスな歌詞であることが多いのだが、ダンスが控えめのシーンでは必ずといっていいほど美しい歌詞が添えられている。インド映画は歌物語である、というのはかねてからの主張である(参照)。
ストーリーを踏まえた上で歌詞が作られ、メロディーに乗せられ、そして必要に応じてダンスの振り付けが行われているため、インド映画のこの独特の文法に一度慣れてしまえば、歌と踊りが「突然」差し挟まれるような印象は、ごく一部の映画を除き、ほとんど感じなくなる。
多くの場合、登場人物の感情が高まったときに歌と踊りのシーンに移行するが、それ以外にも時間の経過や場面の転換など、いくつかの効果を狙って歌や踊りが使われる。そこには一定のパターンが見受けられる。
インド映画のダンスシーンには現実と空想が入り交じる点も注意が必要である。多くの歌と踊りのシーンでは登場人物の感情の表出が最優先される代わりに、その他の事物にはしばしば空想や想像力を最大限に活かした映像的な飛躍が観察される。たとえばどこからともなくバックダンサーが登場したり、場所が急に移動したりする。映像の中で男女が語らっているように見えても、それは片方が相手に一方的に感情を吐露し、相手の反応を自分に都合良く妄想しているだけで、実際には何も進んでいないということもありえる。
歌や踊りのシーンで映し出される映像の全てを現実として捉えていては、映画の中で迷子になってしまう。この独特の表現にも慣れるべきである。そして、それが自然に受け入れられるようになった暁には、インド映画の歌と踊りは全く「突然」の産物ではなくなり、映画のストーリーに密接に織り込まれた不可分の要素だと肌で実感できるようになる。
踊りのないインド映画
インドでは多様な映画作りが行われており、元々歌や踊りのない映画も作られていた。ただ、たとえダンスシーンがなくても、主題歌のような形で歌だけは入れようとする傾向にある。その場合、歌曲は劇中でBGMとして流されたり、タイトルクレジットシーンやエンドクレジットシーンで使われたりするパターンが一般的だ。娯楽映画の範疇に入る映画には何らかの形で歌と踊りが入ることがほとんどだが、とはいえ、歌も踊りもない娯楽映画も存在する。
よって、ダンスシーンのないインド映画を、その特徴だけでもって、取り立てて特別扱いする必要はない。ましてや、特定のインド映画を紹介する際に、歌と踊りがないことを「成熟」とか「進化」という文脈で語るのは全くの間違いである。それは監督がたまたまそういう選択をしただけで、大きな意味を持つものではない。
映画中に差し挟まれるダンスシーンの数については明確な変化および地域性が出て来ている。かつては娯楽映画といえば、どこの言語でも一本の映画に5~10曲くらいのダンスシーンが挿入されていたものだが、21世紀以降、ヒンディー語映画を中心にダンスシーンの数が減少傾向にある。たとえば、1990年代から2020年代にかけて活躍する映画監督サンジャイ・リーラー・バンサーリーの作品を時系列に沿って眺めてみると、かつては「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年/邦題:ミモラ)や「Devdas」(2002年)など、1作品に10曲以上を詰め込んでいたが、最近の「Padmaavat」(2018年/邦題:パドマーワト 女神の誕生)では6曲に抑えられていることに気付く。一方、南インド映画界ではまだまだ多くのダンスシーンが挿入される傾向にある。
また、ヒンディー語映画では、ダンスシーンの減少に伴って上映時間が短くなっている。世間では「インド映画は長い」というイメージが広まってしまっているが、最近のヒンディー語映画の上映時間は2時間前後に収まっている。3時間以上ある映画はもはや稀である。
まとめ
一般的なインド映画にとって歌曲は不可欠な要素であるし、それを映像で提示する際に踊りを伴うことも自然な成り行きである。その裏には文化的な背景もあるし、ビジネス上の必要性も認められるが、もっとも重要なのは、歌と踊りが映画の質を高めている点である。インド各地の映画メーカーたちは、頑なに映画の娯楽性を追求する中で、歌と踊りを映画に織り込む技術を洗練させてきた。近年ではヒンディー語映画を中心にダンスシーンの減少も見受けられるが、依然として歌と踊りはインド映画が世界に誇る最大の特徴といっていいだろう。