2021年6月18日からNetflixで配信開始されたタミル語映画「Jagame Thandhiram(世界は手強い)」は、ギャングの抗争から始まり難民問題に帰着する野心的なアクションスリラー映画だ。元々は劇場公開用に作られ、2020年には完成もしていたが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により公開が延期され、結局NetflixでのOTT配信になった。しかしながら、そのおかげでヒンディー語を含む多言語展開となり、字幕も日本語を含む多くの言語が付いて、より広い観客層に門戸が開かれた。邦題は「トリッキー・ワールド」になっている。
監督は「Pizza」(2012年)や「Jigarthanda」(2014年)のカールティク・スッバラージ。主演はダヌシュ。他に、アイシュワリヤー・ラクシュミー、ジョージュ・ジョージ、カライヤラサン、ディーパク・パラメーシュ、ガジャラージ、ジェームズ・コスモなどが出演している。
ロンドンを拠点にするギャングのドンで白人至上主義のピーター(ジェームズ・コスモ)は、最近タミル人ギャングのドン、シヴァダース(ジョージュ・ジョージ)が勢力を拡大しているのを見て、インドのマドゥライで幅を利かせる地元ギャング、スルリ(ダヌシュ)を多額の報酬で釣ってロンドンに呼び寄せる。スルリは早速シヴァダースの情報を集め、彼が資金を作る手口などを調べ上げる。そして、シヴァダースの部下ラージャンを殺す。
シヴァダースはスルリを誘拐し、彼を二重スパイにする。そしてピーターとの和平会談をでっち上げ、そこで彼を抹殺しようとする。だが、スルリはピーターに再び買収されており、裏切られたシヴァダースは殺される。こうしてシヴァダースのギャングは、ディーパン(カライヤラサン)やダラニ(ディーパク・パラメーシュ)などの残党を除き崩壊する。ピーターは褒美としてスルリにロンドンの一角を与える。スルリはそこにリトル・マドゥライを築き上げる。
スルリはロンドンで出会ったタミル系スリランカ人女性アティラー(アイシュワリヤー・ラクシュミー)とデートをしている間に、ディーパンやダラニに襲われ重傷を負うが一命を取り留める。目を覚ましたスルリは、アティラーが襲撃の手引きをしたことを知る。だが、アティラーは逆に、なぜ彼女がシヴァダースを敬愛していたかを話し出す。
2009年にアティラーはスリランカ内戦で夫を失い、兄と兄の子ディーランと共にロンドンを目指した。その道中で兄は警察に捕まり、アティラーとディーランのみがロンドン入国に成功した。ロンドンで惜しげなく難民の支援をしていたのがシヴァダースだった。彼は難民支援の資金を作るために武器や金塊の密輸を行っていた。だが、ピーターとスルリによってシヴァダースが殺されたことで、難民たちは困難に直面していた。しかも、英国では難民や不法移民を強制的に国外追放するバイコア法が成立しようとしていた。それを後押ししていたのがピーターだった。それ故にアティラーはスルリを殺そうとしたのだった。
スルリはピーターからバイコア法に反対する議員の暗殺を命じられる。一旦は請け負ったものの、母親やアティラーから裏切り者扱いされ考えを変える。ピーターは部下にリトル・マドゥライを襲撃させ、レストランで皿洗いをしていたムルゲーサン(ガジャラージ)を殺す。スルリはピーターに従う振りをして彼の部下を殺し、ピーターの邸宅に突入する。そしてピーターを捕まえる。
スルリはピーターをイラン、イラク、シリア、アフガーニスターンの国境地帯に送り、架空の国のパスポートを持たせ、難民にしてしまう。バイコア法は否決され、英国に住む難民たちは安堵のため息をついた。
ロンドンで白人ギャングとタミル人移民ギャングの間で抗争があり、そこに飛び込んだのが主人公スルリであった。白人ギャングのドン、ピーターは人種差別主義者であり、難民を毛嫌いしていたが、タミル人ギャングのドン、シヴァダースに対抗するために、インドからタミル人ギャングを呼び寄せるという矛盾した行動を取っていた。だが、その秘策は功を奏し、スルリは瞬く間にシヴァダースのギャングを追いつめていく。
前半の山場となるのは、ピーターとシヴァダースが和平交渉をするために対峙する場面だ。このときまでにスルリはシヴァダースに買収されており、土壇場でピーターを裏切ると思われていた。だが、スルリはさらにピーターに再買収されており、罠にはまるのはシヴァダースの方で、この失敗により彼は殺されてしまう。
スルリがどちらに付くか分からない緊迫したシーンで、360度回転するカメラでピーター、シヴァダース、スルリの顔が流れるように映し出され、彼らの表情や行動が逐一提示される。斬新な映像表現に定評のあるカールティク・スッバラージ監督がこの映画でまず見せたかった場面であろう。
ここまでは単なるギャング映画に見えるが、その後、スルリが恋人のアティラーの裏切りによって殺されそうになったところから、物語のスケールが一気に大きくなる。関係してくるのはスリランカ内戦である。
スリランカでは多数派のシンハラ人と少数派のタミル人の間で1983年から内戦が続いていた。タミル人による独立国家建設を目指して戦っていたのがタミル・イーラム解放の虎(LTTE)であり、そのリーダーがプラバーカランだった。だが、2009年にスリランカ軍による攻撃でプラバーカランは殺害され、LTTEは敗北を認めた。こうして四半世紀以上にわたって続いた内戦は終結したのだが、内戦の被害を受けたタミル系スリランカ人の中には、シンハラ人によって完全に掌握されたスリランカに留まることを悲観し、難民となって海外に流出する者が出た。「Jagame Thandhiram」の中でも、ムルゲーサンとアティラーがタミル系スリランカ人難民であった。そして、殺されたシヴァダースは難民支援という大義のために密輸業で金稼ぎをしていた義賊であったことも分かる。
さらに、タミル系スリランカ人難民を起点にしながら、英国において広がる、難民や移民に対する排外主義が問題とされていた。これは直接的には英国のボリス・ジョンソン首相と彼の政策を念頭に置いているのだろうが、もちろん、米国のドナルド・トランプ大統領も視野に入っているだろう。
難民に絞っていえば、我々日本人は、難民になる側というよりも難民受け入れをどうするか考える側にいる。その際、難民の立場から、なぜ難民にならざるをえない者がいるのか、そして、各国が難民の受け入れに消極的になるとどうなるのか、この「Jagame Thandhiram」は訴えかけをしている。難民の排斥をしていたピーターに対する復讐として彼自身を難民にしてしまうというオチは映画的過ぎると感じたが、ギャング映画をここまで大きな話に発展させる脚本には感心した。
主演のダヌシュは変幻自在の演技を見せていた。ギャングにしては貧相な身体ではあるが、マドゥライの田舎ギャングという雰囲気はよく出せており、ロンドンに移ってからは、その怪しげな風貌と予測不可能な言動がマッチしていた。
悪役から一転して義賊に祭り上げられるシヴァダース役を演じていたのはマラヤーラム語映画俳優のジョージュ・ジョージだ。彼にとっては初のタミル語映画出演になる。アティラー役のアイシュワリヤー・ラクシュミーもマラヤーラム語映画を本拠地とする女優である。
「Jagame Thandhiram」は、凝った脚本に立脚した優れたスリラー映画を作ることで定評のあるカールティク・スッバラージ監督がコロナ禍の直撃を受けたために劇場公開できず、OTT配信を選ぶことになった曰く付きの作品である。単なるギャング映画に留まらず、スリランカ内戦や難民問題についても話が広げられており、十分に劇場公開に値する出来の映画だ。Netflixで配信されたおかげで最初から日本語字幕も付いている。必見の映画である。