Master (Tamil)

3.5
Master
「Master」

 2021年1月13日公開のタミル語映画「Master」は、少年院で教える教師になった飲んだくれの主人公が、巨大な悪事を暴く英雄になるまでを描いたアクション映画である。

 監督はローケーシュ・カナガラージ。音楽監督はアニルド。主演はタミル語映画界のタラパティ(大将)、ヴィジャイである。タミル語映画界のスーパースターというと、長らくラジニーカーントが絶対的な地位を保持していたが、彼ももう70歳になり、世代交代が進んでいる。新世代のスーパースターとして人気なのがヴィジャイであり、既にラジニーカーントを凌ぐスターパワーを身に付けているとの声もある。

 ヴィジャイに加えて、これまたタミル語映画界で高い人気を誇るヴィジャイ・セートゥパティが悪役を務めている。ヴィジャイとヴィジャイ・セートゥパティの共演はこれが初である。

 他に、マーラヴィカー・モーハナン、シャンタヌ・バーギヤラージ、アンドレア・ジェレミア、アルジュン・ダース、ゴウリー・G・キシャン、ナーサルなどが出演している。また、ローケーシュ・カナガラージ監督が最後に一瞬だけカメオ出演している。

 多言語展開されており、オリジナルのタミル語版の他にテルグ語版、カンナダ語版、ヒンディー語版も作られた。鑑賞したのはテルグ語版であり、英語字幕を頼りに観た。

 2002年、ナーガルコイル。バヴァーニー(ヴィジャイ・セートゥパティ)は父親のライバルから父親殺しの濡れ衣を着せられて少年院に入れられ、そこで暴行を受ける。バヴァーニーは復讐を胸にその仕打ちを耐え抜き、出所後はトラック組合を支配するマフィアとなって力を付ける。そして2019年には組合長を決める選挙に出馬すると同時に、父親のライバルを抹殺する。バヴァーニーは犯罪を犯しても少年院の少年たちに罪をなすりつけ、無傷でいた。

 ジョン・ドゥライラージ、通称JD(ヴィジャイ)は大学の生徒指導部長をする人気教師であったが、飲んだくれで奇行が目立ったため、同僚からは煙たがられていた。唯一、最近大学に教師として赴任したチャールラター(マーラヴィカー・モーハナン)だけはJDの力を認めていた。しかしながら、JDは学生自治会選挙に関してミスを犯し、辞職することになる。彼は3ヶ月間、ナーガルコイルの少年院で教えることになる。

 当初、JDは全くやる気がなく寝てばかりいたが、彼を頼って助けを求めて来た少年たちを見殺しにしてしまったことで、心を入れ替える。少年たちの殺人の裏にはバヴァーニーという地元マフィアがいることに気付き、バヴァーニーに宣戦布告をする。だが、バヴァーニーもJDの教え子たちを標的にし反撃する。

 バヴァーニーと密通していた少年ダース(アルジュン・ダース)は少年院の子供たちを誘拐して連れ出す。だが、JDは追い掛け、逆にダースを説得して、バヴァーニーのところへ向かわせる。JDはバヴァーニーのアジトに乗り込み、彼と戦って殺す。そして、バヴァーニー殺人の罪を自ら引き受けて刑務所に入る。

 スターシステムに立脚した典型的なマサーラー映画であり、見事なヒーロー振りを見せるヴィジャイを中心にストーリーが組み立てられている。ヴィジャイは教師役を務めたのは初とのことだが、彼が大学生や少年院の少年たちに勉強を教えるシーンはほとんどない。代わりに、次々に襲い掛かってくる悪漢たちを打ちのめすアクションシーンが目白押しだ。そしてヴィジャイの活躍のおかげで最後はお約束のハッピーエンドを迎える。

 「Master」が通り一遍のマサーラー映画になっていなかった一番の理由は悪役のキャラも立っていたことが大きい。ヴィジャイ・セートゥパティ演じるバヴァーニーも丁寧にキャラ作りがされており、ダークヒーローとして魅力があった。もちろん、ヴィジャイ・セートゥパティが独特の身振り手振りによってバヴァーニーに個性を付けて魂を吹き込んでいたことも勝因のひとつだ。ヴィジャイとヴィジャイ・セートゥパティという二人のスターがいたからこそ成り立った娯楽映画である。

 今回初共演したヴィジャイとヴィジャイ・セートゥパティだが、対極にある俳優ではないと感じた。どちらもキュートさがあるのである。ただ、種類は異なる。ヴィジャイはどう見ても童顔であり、丸っこい顔や丸っこい瞳がキュートだ。言わば外観的なキュートさである。一方のヴィジャイ・セートゥパティは、外観的なキュートさというよりも仕草に魅力がある。悪役をしていても、どこか愛嬌があり、それを醸し出せるのがヴィジャイ・セートゥパティという俳優の特性なのだと感じる。この二人を対峙させるという起用法には興味津々である。

 基本的には娯楽映画なのだが、ヴィジャイが劇中で語る台詞の中には、社会的なメッセージも含まれていた。例えばヴィジャイは飲んだくれだったが、途中で事件をきっかけに断酒をし、以後は完全なヒーローとして君臨する。この辺りは飲酒に対する警告だといえる。また、宗教やカーストによる社会の分断を批判する内容の発言もあった。ただ、映画のストーリー自体がそれを支持するものではなかった。

 悪役バヴァーニーの生い立ちは劇中で割と詳細に語られるのだが、JDの生い立ちは実は映画が終わってもよく分からないままだ。どうも孤児のようなのだが、それ以上のことは意図的にベールに包まれている。本名すらも映画の最後にやっと明かされる。また、彼が自分の過去について語り出すシーンが何回かあったのだが、彼はその度に映画のストーリーを聞かせて肩透かしをしている。南インド映画がほとんどなので、どの映画を引き合いに出しているのか特定できないが、唯一「タイタニック」(1997年)だけは分かった。

 「Master」の公開はコロナ禍の直撃を受けた。監督は劇場公開にこだわり、コロナ禍が小康状態になるまで公開を待ち続けた。確かにアクションシーンやダンスシーンが盛りだくさんのコテコテのマサーラー映画の作りなので、映画館との相性がいい。監督のこのこだわりは功を奏し、公開と同時に記録的な大ヒットとなって、コロナ禍で経営が傾いた映画館にとって福音になった。

 「Master」は、タミル語映画界の二大スターであるヴィジャイとヴィジャイ・セートゥパティが初共演し、それぞれ善玉と悪玉に分かれて激突するアクション映画である。様々な要素がてんこ盛りの、コテコテのマサーラー映画であり、タミル・ナードゥ州では記録的な大ヒットになっている。