
2020年12月25日に公開された「Shakeela」は、2000年代にマラヤーラム語映画を中心に南インド映画界で人気を博したセクシー女優シャキーラーの伝記映画である。ただし、主にヒンディー語のセリフで構成されたヒンディー語映画である。
監督はインドラジト・ランケーシュ。著名なジャーナリスト兼映画メーカー、Pランケーシュの息子であり、カンナダ語の週刊誌「ランケーシュ・パトリケー」の出版業者でもある。これまでカンナダ語映画を作ってきたが、「Shakeela」は彼にとって初のヒンディー語映画になる。
主役シャキーラーを演じるのはリチャー・チャッダー。他に、パンカジ・トリパーティー、ラージーヴ・ピッライ、エスター・ノロンハ、カージョル・チチャグ、シーヴァー・ラーナーなどが出演している。
マラヤーラム語映画界でソフトポルノ映画に出演し人気を博していたシャキーラー(リチャー・チャッダー)であったが、レイプ事件が多発したことで、彼女に責任を求める抗議活動が起こった。おかげでシャキーラーの映画は上映禁止になってしまった。しばらく鳴りを潜めていたシャキーラーであったが、彼女の映画を撮ってきたラージャン・ピッライ監督に説得され、復帰することを決める。ピッライ監督は彼女の伝記映画を作る企画を思い付く。シャキーラーは著名な脚本家アリーに自身の生い立ちを話し始める。
ケーララ州の片田舎で生まれ、貧しい生活を送ってきたシャキーラーは、大好きだった父親の死後、母親と5人の妹たちと共にコーチンに出て、母親の指示に従い、ソフトポルノ映画に出演して一家を支えるようになる。当時、南インド映画界ではスーパースターのサリーム(パンカジ・トリパーティー)とポルノスターのシルク・スミター(シーヴァー・ラーナー)が大人気で、シャキーラーもこの2人の大ファンだった。シャキーラーはサリームから見出されるものの、彼からの誘惑を断る。また、撮影現場でシルクと出会うが冷遇されショックを受ける。シャキーラーが自殺を考えたそのとき、シルクが自殺したという報道が流れる。シャキーラーはシルクに変わってセクシー女優として人気になる。
シャキーラーはいろいろなことがあった後でもサリームを変わらず敬愛していたが、サリームはシャキーラーの追放を画策していた。サリームはレイプ事件とシャキーラーの映画を結びつけて彼女の映画を上映禁止にすることを思い付き、それを実行に移す。そういうわけでシャキーラーの映画は上映禁止になってしまった。シャキーラーはプロデューサーから出演予定作のギャラとして受け取っていた金を返す。だが、これがきっかけで母親と不仲になる。シャキーラーは自身の代役スハーナー(エスター・ノロンハ)と暮らし始める。
シャキーラーの映画に掛けられていた上映禁止が解け、ピッライ監督は再び彼女の主演作を撮ろうとする。それが彼女の伝記映画「My Story」であった。そのためにシャキーラーはアリーに生い立ちを話していたのだった。だが、サリームはまたも妨害に乗り出し、「My Story」のスポンサーに資金を引き揚げさせる。企画は資金難に陥ったが、シャキーラーの幼馴染みアルジュン(ラージーヴ・ピッライ)の支援もあって、何とか映画は完成にこぎ着ける。
「My Story」の公開日はサリーム主演作「Police Story」と重なる。初速は「Police Story」の方が良かったがすぐに失速し、代わって「My Story」の人気が沸騰する。シャキーラーは喜ぶが、映画を観たアルジュンから失望される。彼女が映画館で「My Story」を観てみると、スハーナーの身体を使ったラブシーンのあるソフトポルノ映画になっていた。シャキーラーはスハーナーとピッライ監督に詰め寄るが、ラブシーンのない彼女の映画にはスポンサーも配給業者も興味を示さず、苦肉の策でラブシーンを入れたと説明される。また、自身の映画の不調に怒ったサリームは刺客を雇ってシャキーラーを暗殺しようとするが、誤ってスハーナーが襲撃され、瀕死の重傷を負ってしまう。
記者から詰め寄られたシャキーラーは、社会のダブルスタンダードを厳しく糾弾する。
シャキーラーは現在も存命の実在する人物である。そればかりか2021年にはインド国民会議派(INC)に入党し、政治家への道も目指そうとしている。映画の中にも実在する人物が本名で登場する。だが、彼女の人生を忠実に再現しようとした作品ではなく、適宜フィクションが加えられている。
シャキーラー以外で映画に登場するもっとも有名な人物はシルク・スミターだ。1980年代から90年代に掛けて、南インド映画界を中心にセックスシンボルの名をほしいままにしたセクシー女優であり、「The Dirty Picture」(2011年)のモデルにもなった。ただし、曲者俳優パンカジ・トリパーティーが演じ、映画の中でシルクと並び称せられていたスーパースターのサリームは、そのまま実在する人物ではなさそうだ。むしろ、マラヤーラム語映画界に君臨する複数のスーパースターたちの特徴を融合させたキャラクターだと捉えるべきである。
伝記映画の脚本を書いてもらうため、シャキーラーが自白剤を使って脚本家に自身の生い立ちを話す現在のシーンと、彼女が語る過去の回想シーンを往き来しながらストーリーが展開する。過去の出来事が出尽くすと、現在のシーンから先に話が進み始める。このような構造であるが、筋書きは単純であり、それほど溜めや上下があるわけではない。よって、ストーリーテーリングには観客を引き込むグリップ力が欠けていた。
ただし、映画が伝えようとしたメッセージは明確であり、強烈なものでもあった。サリームのような男性スターは、インド社会のモラルの守護者を自称し、家族向け映画を作っていると自負している。よって、公衆の面前ではシャキーラーの主演映画のようなソフトポルノ映画に極めて批判的な見解を表明している。ところが、裏では、映画業界にいる女性たちを手込めにして回っている。表の顔と裏の顔が全く異なるのである。
そのダブルスタンダードは男性スターに限らない。一般の男性たちも、シャキーラーの官能的な肢体をもてはやしなめ尽くし、彼女をスターに持ち上げておきながら、インド社会においてレイプが大きな問題になると彼女に責任をなすりつけ、真面目な顔をしてシャキーラーを社会から追い落とそうとする。ポルノ映画を撮っているのも男性、観ているのも男性、レイプをするのも男性であるにもかかわらず、シャキーラーのような女性に責任転嫁されるのである。
シャキーラーは、男性たちのダブルスタンダードを厳しく見抜き、自分は裏表なく堂々と映画作りをしてきたと胸を張る。
この映画が作られた背景には、ヘーマー委員会の結成があると思われる(参照)。2017年にマラヤーラム語映画女優バーヴァナーが誘拐され集団強姦されるという事件が発生し、有力な男優ダリープの関与が浮上する。それをきっかけにマラヤーラム語映画界にはびこる女性搾取や性差別が取り沙汰され、その調査のために立ち上げられたのがヘーマー委員会であった。「Shakeela」でも、サリームがシャキーラーをファームハウス(別荘)に呼んで手込めにしようとしたり、それを拒否した彼女を業界から追放しようとしたりする場面があったが、これらのエピソードは、後に提出されたヘーマー委員会報告書の内容と合致するものであった。
主演リチャー・チャッダーは演技力のある女優であるが、それに加えて彼女の豊満な肉体がシャキーラーに似ており、起用されたものと思われる。キャリア初期の頃と比べてだいぶ太ってしまい、通常のヒロインを演じにくくなってしまったが、太ったら太ったなりに出番があるもので、しかも主演である。
サリーム役を演じたパンカジ・トリパーティーはOTT時代に入って急速に評価を上げた曲者俳優であり、本作でも持ち味のねちっこい怪演を見せていた。シャキーラーの幼馴染みアルジュン役を演じたラージーヴ・ピッライはもっと出番があってもよかったと思うのだが、落ち着いた演技に好感が持てた。スハーナー役を演じたエスター・ノロンハには画面を明るくする力があり、今後の活躍に期待したい。
「Shakeela」は、シルク・スミター亡き後、2000年代に南インド映画界で多数のソフトポルノ映画に出演して人気となったシャキーラーの伝記映画である。一応ヒンディー語映画ではあるが、セリフがヒンディー語であるだけで、その主題も舞台も南インドとの関連性の方が高い。安っぽさは否めないが、ポルノに対する男性のダブルスタンダードを鋭く突いている。地味だが一見の価値がある作品だ。