2019年9月20日公開の「Cypher」は、先天性四肢欠損症として生まれ、様々な苦労を乗り越えて人生を軌道に乗せた男性の半生を描いた映画である。成長後の姿は本人自身が出演して演じており、自伝映画と呼ぶにふさわしい。
監督はサーガル・パータク。主人公パレーシュ・バーヌシャーリーを演じるのはパレーシュ・バーヌシャーリー自身である。先天性四肢欠損症であり、両手が途中からない。幼少期のシーンは複数の子役俳優たちが特殊メイクによって先天性四肢欠損症を表現している。他に、クレジットを見ると、彼の兄カーンティーをカーンティー・バーヌシャーリー自身が演じている。
パレーシュとカーンティー以外の役はプロの俳優が演じている。ムケーシュ・バット、ヴィクラム・ゴーカレー、パリークシト・サーニー、ラージェーシュ・シャルマー、シシル・シャルマー、ディヴィヤー・ジャグダーレー、ターニヤー・メヘターなどである。
題名の「Cypher」とは「ゼロ」という意味である。小学校のときにパレーシュは教師から「お前は無能だ」という意味でこのあだ名を付けられた。
グジャラート州在住のジャイトラール・バーヌシャーリー(ムケーシュ・バット)とラクシュミー(ディヴィヤー・ジャグダーレー)の間に生まれたパレーシュ(パレーシュ・バーヌシャーリー)は生まれつき両手がなかった。だが、両親は彼に一人で何でもこなすことを教えた。なかなか小学校に入学させてもらえなかったが、祖父(ヴィクラム・ゴーカレー)と母親が彼を教え、同年齢の生徒たちよりも賢い子に育てた。教師もパレーシュを入学させないわけにはいかなかった。
パレーシュは学校でいじめられることもあったが、順調に育ち、親しい友人もできた。10年生の試験で高得点を取り、理系への進学を希望するが、手がなくて実験ができないため、どの学校も入学させてくれなかった。だが、何年もかけて何とか理系に進学する。
パレーシュは大学で薬学を専攻した。そして優秀な成績で卒業する。パレーシュにはマーンスィーという恋人がいた。卒業と同時にマーンスィーにプロポーズするが、マーンスィーからは拒絶されてしまう。パレーシュは落ち込む。両親はパレーシュの結婚相手を探し始める。
パレーシュは自分の薬局を開いた。近くに病院ができるとの噂を聞いて場所を定め、多額の借金をしての開業だった。ところが病院は一向にできず、財政的に苦しくなる。お見合いもうまくいかなかった。またも挫折を覚えるが、以前にお見合いをしたディーパー(ターニヤー・メヘター)から返事が来て、縁談がまとまった。パレーシュの薬局の近くに病院もでき、商売が上向いた。
ディーパーは妊娠し、健康な子供が生まれた。資産を築いたパレーシュは、あらゆる子供が学べる学校を建てた。
障害があっても自分の可能性を信じ、夢を実現させた人物の半生を描いた、インスパイアリングな物語だった。なにしろ主題になっている本人が自分で主役を演じているのだ。強力な説得力がある。伝記映画はたくさんあるが、自伝映画というのは初めて観たかもしれない。
ただ、そのデメリットも感じられた。ネガティブな描写ができないのである。終始パレーシュの美化が行われており、その周囲の人々も基本的には好意的に描写されていた。よって、聖人伝のような映画になっており、面白味に欠けるのである。もしかしたら実話なのかもしれないが、大学に入学したパレーシュがカバッディーで先輩たちと戦うような無茶なシーンもあった。パレーシュとディーパーの結婚もかなりオブラートに包んで語られていたように感じた。
全体的には低予算映画の作りであり、映像的な豪華さは望めない。パレーシュの幼少時を演じた子役の特殊メイクにチープさが顕著に出てしまっていた。ドローンを多用して撮影が行われていたが、既に高価な技術ではなくなっており、逆に蛇足に感じた。
もっとも疑問に感じたのは、パレーシュとディーパーの間に生まれた子供の扱いである。この映画は、手がないというパレーシュの障害を、弱みではなく強みとして描いていた。その裏にはパレーシュの家族の強い信念があった。パレーシュは健常者ではないかもしれないが、健常者に劣っていないという信念である。それがパレーシュの前向きな性格や行動を育んだといえる。だが、パレーシュに子供ができるとなると、家族は、その子にちゃんとした手があるか、心配する。先天性四肢欠損症は遺伝する病気ではないようで、パレーシュの子供には正常な手があった。それを見てパレーシュを含めて皆胸をなで下ろすが、この最後の部分でやはり障害をハンディキャップとして捉える普通の価値観が露になってしまっていた。
「Cypher」は、先天性四肢欠損症を題材にした映画であるが、本人が主人公として出演している自伝映画である点がユニークだ。彼の苦労や、彼を支えてくれた周囲の人々の温かさが身にしみ、自分の可能性を自分で抑え込んでしまいがちな我々を鼓舞する内容になっているが、チープさは否めない。無理して観る必要はない映画だ。