
2018年10月11日公開のテルグ語映画「Aravinda Sametha Veera Raghava(アラヴィンダが一緒にいるヴィーラ・ラーガヴァ)」は、アーンドラ・プラデーシュ州のファクショニズム(派閥抗争)問題を取り上げ、その平和的解決を訴えるメッセージ性の強い娯楽アクション映画である。
ファクショニズムとは主に農村において敵対する豪族同士の流血を伴った抗争のことで、アーンドラ・プラデーシュ州ではラーヤラスィーマー地方と呼ばれる南部4県(クルヌール、アナンタプル、カダパー、チットゥール)で特に深刻かつ根深い抗争が続いているとされる。豪族はファクショニストと呼ばれる。テルグ語映画でも題材として取り上げられやすい。「Aravinda Sametha Veera Raghava」は単にこのファクショニズム問題をアクション映画の下敷きにするだけでなく、それを解決するにはどうしたらいいのかを提案する意欲的な作品になっている。
監督はトリヴィクラム。音楽監督はSタマン。主演はNTRジュニア、ヒロインはプージャー・ヘーグデー。他に、ジャガパティ・バーブー、ナヴィーン・チャンドラ、ナーゲーンドラ・バーブー、スプリヤー・パータク、デーヴァヤーニー、イーシュワリー・ラーオ、イーシャー・レッバー、スニール、ラーオ・ラメーシュ、スバーレーカー・スダーカルなどが出演している。
2023年にJaiHoにて日本語字幕付きで配信されたときに「アラヴィンダとヴィーラ」という邦題が付けられ、後に日本のAmazon Primeでも配信された。
アーンドラ・プラデーシュ州カダパー県では、ナラッパ・レッディーを領主とするコッマッディ村と、バーシ・レッディーを領主とするナッラグディ村の間で30年にわたり抗争が繰り広げられていた。もともとはバーシが賭博で5ルピー負けたことを巡って口論になって相手を殺したことから始まった。この抗争により、ナラッパの父親とバーシの父親が殺され、現在まで抗争が続いていた。
ナラッパの息子ヴィーラ・ラーガヴァ(NTRジュニア)がロンドン留学から帰ってきた。その途端、待ち伏せしていたバーシとその手下たちに襲撃され、ナラッパは殺される。怒ったヴィーラは一人で敵をなぎ倒し、バーシにも襲い掛かる。ヴィーラはバーシを殺し、その息子バーラ(ナヴィーン・チャンドラ)は復讐を誓う。
ヴィーラは、祖母(スプリヤー・パータク)に暴力の連鎖を終わらせるように説得され、これ以上の流血を避けるため、コッマッディ村を去り、ハイダラーバードに流れ着く。そこで彼はメカニックのニーランバリ(スニール)と仲良くなり、彼のガレージに住まわせてもらうことになる。
ハイダラーバードでヴィーラは弁護士サラディ(ナレーシュ)の娘アラヴィンダ(プージャー・ヘーグデー)と出会い、恋に落ちる。アラヴィンダは大学でファクショニズム問題を研究していたが、ヴィーラは自分の正体を明かさなかった。一方、ナッラグディ村では死んだと思われていたバーシが生きており、ヴィーラの行方を探していた。アラヴィンダの弟プラティークが書いたエッセイから足がついてしまい、バーラの手下たちがハイダラーバードにやって来る。彼らはアラヴィンダとプラティークを誘拐するが、平和的解決を望んでいたヴィーラは誘拐犯たちを電話で脅すだけで彼らの解放を引き出した。それを見ていた政治家クリシュナ・レッディー(ラーオ・ラメーシュ)はヴィーラをファクショニズム終結の救世主と考えるようになる。
クリシュナからヴィーラのことを聞いた政治家スダルシャン・レッディー(スバーレーカー・スダーカル)は、ヴィーラとバーラを引き合わせ、和平を結ばせようとする。バーラはこの機にヴィーラを殺そうとするが、ヴィーラは辛抱強くバーラを説得する。ヴィーラはバーラに謝罪し、議席をバーラに譲ると約束する。とうとうバーラもヴィーラと和平を結ぶことに合意する。
ところがバーシは平和など望んでいなかった。バーシはバーラを殺し、その罪をヴィーラになすりつけた。コッマッディ村とナッラグディ村の間で衝突が起こる。また、バーシはたまたま彼の家に宿泊していたアラヴィンダとニーランバリを人質に取る。ヴィーラとバーシは、バーシが30年前に賭博で負けた広場で相対する。バーシはアラヴィンダとニーランバリをナイフで刺し、ヴィーラの暴力を引き出そうとするが、ヴィーラは応じない。バーシの部下たちは和平を望み、バーシを裏切って二人を病院に連れて行く。ヴィーラはバーシを殺し、遺体を燃やす。バーラの妻は、ヴィーラと共に衝突の現場へ駆けつけ、バーラを殺したのはバーシであり、バーシは逃亡したと宣言する。ヴィーラは彼女を立候補者にする。
テルグ語映画はインド各地の映画の中でもっとも暴力的であるといわれる。首が飛んだり手足が切断されたりする極端な映像をこれ見よがしに見せるのはテルグ語映画がやたらとこだわっていることで、特にアクション映画では必ずといっていいほどそのようなグロテスクなシーンが盛り込まれる。「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)にも主人公バーフバリがセクハラ男性の手を切断するシーンがあった。本来ならばテルグ語映画は暴力シーンが苦手な人にはあまりおすすめできない。
テルグ語映画の暴力性はグロテスクな映像に限ったことではない。映画が発信するメッセージも、悪を容赦なく成敗し、暴力で物事を解決することを礼賛する内容である傾向が、他地域の映画よりも強めである。そんな中、「Aravinda Sametha Veera Raghava」は珍しく、非暴力主義的なトーンで物語が始まる。確かにファクショニズムを扱った映画であるが、主人公ヴィーラは祖母や恋人から、争いを暴力ではなく話し合いで解決することを教わり、それを実践しようとする。おかげで、NTRジュニア演じるヴィーラは、テルグ語映画としては異例なほど自制的なキャラである。
ただ、どうせ最後は怒り爆発して暴力に訴えるのだろうと思って観ていた。その予想は半分当たり、半分外れた。ヴィーラの主な敵は2人、バーシとバーラの親子であった。ヴィーラはバーラとの和平締結には成功する。やはり若い世代は物分かりがよかった。だが、バーシは絶対にライバル・ファクショニストとの和平を認めようとしなかった。平和を嫌う彼は、ヴィーラと手を結んだ実の息子まで自ら殺し、抗争をあおり維持しようとする。それはまさに老害そのものであった。バーシがいる限り、故郷に平和は訪れないと悟ったヴィーラは、バーシを殺す。だが、ヴィーラはバーシが逃げたことにし、バーラの妻を抱き込んで、ファクショニズムに終止符を打つことに成功する。確かに大部分は話し合いによって解決した。だが、バーシの説得には失敗し、彼を殺すしかなかった。おそらくあまりに平和的に解決してしまうと、血生臭い結末を期待する観客を満足させられないと考えたのだろう。暴力と非暴力が不思議な形で共存するまとめ方をしており、そこにテルグ語映画の限界も感じたし、同時に挑戦も感じた。
女性の描き方にも特徴があった。この映画の中で血で血を洗う抗争を繰り広げるのは男性たちである一方、女性たちはたとえ愛する人を失っても恨まず、ひたすら耐え続けていた。ヴィーラは女性たちに平和の鍵を見つけ、女性たちが政治に参画することで地域に平和をもたらすと信じていた。
ファクショニズムが政治と結びつき、いいように利用されている現状にも触れられていた。ライバル政党の政治家たちが、敵対するファクショニストを候補者として擁立して戦わせようとしていた。政治家にとっては、争いがあるほど利用価値がある。これも封建主義的なファクショニズムがいつまでも終わらない原因になっていた。だが、ヴィーラのような「トーチベアラー」が現れたことで状況が改善する希望が生まれ、政治家たちも彼に味方する。この救世主主義も、テルグ語映画に顕著に見られる特徴である。
「Aravinda Sametha Veera Raghava」は、テルグ語映画が好んで取り上げるファクショニズムにもとづいたアクション映画であるが、決してテルグ語映画にありがちな暴力礼賛一辺倒の映画ではなく、むしろ非暴力的な手段で積年の抗争を終わらせる手段を模索することを訴えかける作品になっていた。ただ、そこに全く暴力がなかったわけではなく、そのメッセージは曖昧になってしまっていた。