2012年にデリーで発生した集団強姦事件以来、女性の治安問題がインドの最重要課題として浮上し、ヒンディー語映画界でもレイプを題材にした映画が相次いで作られている。2017年11月24日に公開された「Ajji」は、レイプはレイプでも、未成年の少女に対するレイプを題材にした、低予算だが迫真の映画である。
監督は、過去に「Black Friday」(2007年)の助監督などを務めたことのある、デーヴァーシーシュ・マキージャー。主演はスシュマー・デーシュパーンデー。他に、アビシェーク・バナルジー、スミター・ターンベー、シャルヴァニー・スーリヤヴァンシー、サディヤー・スィッディーキー、ヴィカース・クマール、シュレーヤス・パンディトなどが出演している。
舞台はムンバイーのスラム街、物語は、10歳の少女マンダー(シャルヴァニー・スーリヤヴァンシー)が地元政治家の息子ダーウレー(アビシェーク・バナルジー)にレイプされたところから始まる。マンダーの父親ミリンド(シュレーヤス・パンディト)は工場で超過勤務をし、母親(スミター・ターンベー)は営業許可なしにスナックを売り歩いて生計を立てていた。警察官(ヴィカース・クマール)が捜査に入るが、犯人がダーウレーであることが分かると、急に態度を変える。警察官は、事件を口外しないように口止めして去って行く。 マンダーの祖母アッジー(スシュマー・デーシュパーンデー)は、ダーウレーの居場所を突き止め、知り合いの肉屋からナイフさばきを教えてもらう。そして、機会をうかがい、売春婦に扮してダーウレーに接近し、彼の男性器を切り取る。
強姦事件が起きると、ネット上では「レイプ犯の男性器を切り取るべきだ」という意見がよく飛び出す。被害者が未成年である場合は尚更である。「Ajji」は、そんなインド国民の願いを具現化した映画であった。しかも、それを実行したのが、少女の祖母であるから特異である。
アッジーは、膝を悪くして、歩くのもままならない老婆である。だが、マンダーのことをとても可愛がっていた。アッジーは仕立屋をして日銭を稼いでいたが、強気に値引きをして来る客に対し、マンダーが言い返し、彼女の稼ぎを守ってくれていた。そんなゴールデンコンビだったのだ。
マンダーの両親は合法的な働き方をしていなかったために被害届を警察に出すこともできず、そもそも警察も、犯人が権力者の息子であるため、全く頼りにならなかった。そこでアッジーが自ら強姦犯に私刑を下す決意をしたのである。
映画は、アッジーの歩みのごとく、ゆっくりとゆっくりと進む。アッジーの意図はかなり早い段階で観客にも伝わる。だが、なかなか好機は訪れない。その間、アッジーはまるで有能な暗殺者のように、刃を研ぎつつ、その時を待つ。最終的には、売春婦に扮して犯人に近づき、男性器を切断する。
アッジーはほとんど感情を表情に表さず、ただ行動のみが先へ先へと進んで行く。その動きは、まるで故障した殺人ロボットのようで、それがかえって怖さを演出していた。しかも、彼女が行った制裁は、全ての男性たちにとっては見るだけで激痛が走るような一撃であった。
アッジーのそんなポーカーフェイスの復讐と対比するかのように、孫娘マンダーの純真さがまた心に重くのしかかる。マンダーはまだ幼すぎて、自分の身に何が起こったのかよく分かっていなかった。アッジーからは以前から、女性器から出血したら大人になると聞かされており、これで大人になれたのだと勘違いまでしていた。そんなマンダーをレイプした犯人にますます憎悪が募る。
「Ajji」では、ムンバイーのスラム街に住む人々がいかに無力で、その女性たちは特に性暴力の被害に遭いやすい現状が、静かな、しかし怒りのこもった映像により映し出される。だが、彼らは全く無力ではなかった。アッジーは、既に老齢ながら立ち上がり、行政や司法に頼らず、犯人に私刑を下す。その結末には賛否があるだろうが、インドの一般的な国民感情としては、アッジーに拍手喝采と言ったところであろう。潜在的なレイプ犯に対して無言の警鐘を鳴らす作品である。