Machine

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Machine

 ヒンディー語映画界において、いい意味でチープなスリラー映画を安定的に送り出している監督デュオがアッバース・マスターンである。いかにもインド人庶民層が好きそうなB級臭プンプンの映画を作り続けており、すっかりオシャレになってしまったヒンディー語映画界では貴重な存在だ。彼らの作品はうまくはまるとヒット作に化ける。

 2017年3月17日公開の「Machine」もアッバース・マスターン監督のスリラー映画である。主演はキヤーラー・アードヴァーニーとムスタファー・ブルマンワーラー。ムスタファーはマスターン監督の甥にあたる。他に、新人イシャーン・シャンカル、ローニト・ロイ、シャラト・サクセーナー、ジョニー・リーヴァル、ダリープ・ターヒル、カーラー・デニスなどが出演している。

 舞台は北インド。大学生のサラー・ターパル(キヤーラー・アードヴァーニー)は道端で偶然ラーンシュ(ムスタファー・ブルマンワーラー)と出会い、恋に落ちる。サラーにはアーディティヤ(イシャーン・シャンカル)という親友がおり、彼もサラーに片思いしていたが、アーディティヤは交通事故で死ぬ。アーディティヤの恋のライバルだったヴィッキーの運転する自動車に轢かれたのだった。ヴィッキーもこの交通事故で崖から落ちて死ぬ。

 ラーンシュは、サラーの父親バルラージ(ローニト・ロイ)と会い、結婚を認めてもらう。こうしてラーンシュとサラーは結婚するが、結婚式から一夜明けた朝、サラーはラーンシュに崖から突き落とされる。サラーの遺体は見つからなかったが、死んだものとみなされた。

 ところがサラーは生きていた。サラーを助けたのは、アーディティヤの弟ラージ(イシャーン・シャンカル)だった。ラージとサラーはラーンシュへの復讐に動き出す。ラーンシュはレースに出場するためにジョージアにいたため、二人はジョージアへ飛ぶ。

 ラーンシュは、今度は大富豪クリス・アルター(ダリープ・ターヒル)の娘セリーナ(カーラ・デニス)と結婚しようとしていた。ラーンシュはクリスを殺し、財産の9割の相続権を得る。

 ラーンシュは実はバルラージの実の息子だった。バルラージは、大富豪だったサラーの祖父ターパルの下で働いており、彼の遺産を狙っていた。ところが、ターパルの息子に娘が生まれ、全財産がサラーの手に渡ってしまうようになった。そこでバルラージはサラーの両親を事故に見せかけて殺し、ショックで病床に伏したターパルから、サラーの育ての親になって欲しいと頼まれる。以後、バルラージはサラーの父親として彼女を育ててきたのだった。そして、サラーが21歳になって全財産を相続する前に、息子のラーンシュを使って彼女と結婚し、彼女を殺して、財産を奪い取ろうとしていた。ラーンシュはバルラージの言いなりだった。

 サラーとラージは、バルラージとラーンシュの関係を調べ上げ、まずはバルラージのところへ行き、彼を焼き殺す。そして、そこへ駆けつけたラーンシュはバルラージの死に打ちひしがれる。ラージはラーンシュを打ちのめし、彼の胸にナイフを刺す。だが、サラーはまだラーンシュを愛していた。瀕死の重傷を負いながらもラーンシュはサラーを郊外に連れ出し、そこで自らを崖から投じて自殺する。

 全編ジョージアで撮影された映画で、終盤は実際にジョージアが舞台ということになっていたが、その前までは北インドという設定になっていた。背景にはジョージア人が映っており、ジョージアの旗まではためていているので、どう見てもインドには見えないのだが、力技でインドということにしてしまっていた。その辺りはご愛敬と受け止めればいいだろう。

 おそらくジョージアで撮影されたひとつの理由は、映画の中にサーキットでのレースシーンを入れたかったからだと思われる。インドにもブッダ・インターナショナル・サーキットという国際レベルのサーキットがあるが、多くのレーシングカーを使ってレースシーンを撮ろうとするとまだ技術的に問題があるのだろうか。序盤と終盤にレースシーンがあったが、どちらもジョージアのサーキットで撮影されており、遜色ないレベルだった。ジョージアでの撮影は、欧米諸国の中ではコストが安そうだ。

 サーキットでのレースシーンは前面に押し出されているため、題名の「Machine」とはレーシングカーのことかと思ってしまう。だが、これはアッバース・マスターン監督一流の引っ掛けである。前半は、レースシーンを除けばあまり大きな事件もなく進むが、ラーンシュがサラーを崖に放り投げたところからアッバース・マスターン監督らしいサスペンス展開になってくる。そして、ロマンチックヒーローかと思われていたラーンシュが一気に悪役に転落する。

 しかしながら、どんでん返しはこれで収まっていなかった。実はラーンシュを影から操る黒幕がいた。それがサラーの父親であるはずのバルラージであった。ヒンディー語映画界でトップクラスの迫力ある演技をするローニト・ロイを起用していた理由はこれであった。実はバルラージはサラーと血のつながりがなく、ラーンシュの実の父親であった。彼は、サラーが21歳になったら相続するはずの莫大な財産を狙い、息子をサラーに接近させていたのだった。ラーンシュは幼い頃から父親の洗脳を受けていて言いなりで、まるで「マシーン」のような存在だった。これが題名に隠された真の意味である。

 単純にラーンシュとバルラージが成敗される終わり方だったらまだいつものアッバース・マスターン監督作品ということで納得できたのだが、変にメロドラマを入れてしまったために狂ってしまった。サラーが、なんと殺人未遂レベルの裏切りに遭ってもまだラーンシュのことを愛していることになっていたのである。そしてエンディングは意味不明の感涙シーンを押しつけられる。

 マスターン監督の甥ムスタファー・ブルマンワーラーが非常に重要な役を与えられていたが、スター性があるわけではなく、演技力に秀でているわけでもない。残念ながら消えて行く運命にあるだろう。まだアーディティヤとラージのダブルロールを演じた新人のイシャーン・シャンカルの方が見込みがあった。キヤーラー・アードヴァーニーはとても輝いていた。

 「Machine」は全体として非常にチグハグした映画で、B級映画の多いアッバース・マスターン監督の作品の中でも完成度は非常に低い。全編ジョージア・ロケの映画で、サーキットで撮影された2つのレースシーンが見所だが、それらにいまいち必然性を感じなかった。観るべき映画ではない。