
2013年12月3日に投票が行われたデリー州議会選挙にて、創立されたばかりの新政党、庶民党(AAP)が大躍進したことはインドの選挙史において一種の奇跡として記憶されている。それまでデリーはシーラー・ディークシト率いるインド国民会議派(INC)が15年間与党の地位にあり、それを打ち負かすのは困難に思えた。また、デリーの選挙は事実上、長い間、INCとインド人民党(BJP)の二大政党制となっており、第三政党の進出を許してこなかった。それを打破したのがAAPとその党首アルヴィンド・ケージュリーワールであった。
ケージュリーワールの台頭は2011年の汚職撲滅運動から始まった。この運動を率いたのは社会活動家アンナー・ハザーレーであり、ケージュリーワールは彼の右腕であった。デリーでは1998年から、中央では2004年からINCの政権が続いていたが、昔からINC政権時代には汚職が増えるのは人々の間で知れ渡った事実であり、このときも次々に巨額の汚職が明らかになってきていた。ハザーレーは、抑止力のあるロークパール(オンブズマン)の設置を求め、運動を始めた。この汚職撲滅運動は人々の支持を受け盛り上がった。ハザーレーは政治とは距離を置いていたが、ケージュリーワールは政治を変えなければ何も変わらないと考え、新政党を立ち上げたのだった。そのデビュー戦が2013年のデリー州議会選挙だったわけだが、そこでいきなり70議席中28議席を獲得する目覚ましい成果を挙げたのである。
2016年9月11日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2017年11月17日に公開されたドキュメンタリー映画「An Insignificant Man」は、アルヴィンド・ケージュリーワールのAAP立ち上げから2013年のデリー州議会選挙前後までを描いた作品である。監督はクシュブー・ラーンカーとヴィナイ・シュクラー。ラーンカー監督は「Ship of Theseus」(2013年)の脚本を担当しており、シュクラー監督は「Victory」(2009年)で助監督を務めたことがある。また、「Ship of Theseus」のアーナンド・ガーンディー監督がプロデューサーの一人になっている。
「An Insignificant Man」を観てまず驚かされるのは、カメラがAAPの最深部に入り込んでいることだ。ケージュリーワールはもちろんのこと、ヨーゲーンドラ・ヤーダヴ、マニーシュ・シソーディヤー、クマール・ヴィシュワース、プラシャーント・ブーシャン、アーティシー・マールレーナーなど、AAP幹部の面々も見える。映し出されるのは決して栄光のエピソードばかりではない。候補者を巡る内部争いなど、AAPとしてはあまり表に出してほしくはないような映像までしっかり捉えられており、本編にも使用されている。だが、多くは理想を政治の世界に持ち込もうと頑固に直進し続けるケージュリーワールの奮闘ぶりを伝えており、彼の戦いに自分も参加しているような気分にさせられる。とはいっても、当時AAPの勝利は誰も予想できなかったはずである。おそらく監督自身もストーリーの具体的な構想なしにAAPの内部に入って撮影を始めたのだろう。それがたまたま2013年のデリー州議会選挙における歴史的な勝利を間近で捉えた貴重な映像になったというのがこの作品の本当の成り立ちであると予想される。
可能な限り、政治的中立性を保ちながら作品を作り上げようとしていたと思われるが、映画の構造上、どうしてもAAPひいきになってしまうのは避けられない。INCやBJPの政治家たちも映し出されていたが、彼らがAAPを過小評価していた様子がよく分かるような映像が使われていたため、悪役に見えてしまう。
AAPの内部映像以外にも、選挙管理委員会が開票作業をしている場面を中から撮影しているシーンがあったことに驚かされた。と同時に、非常に貴重な映像だと感じた。インドでは電子投票機(EVM)を使った選挙が行われているが、その舞台裏を少しだけのぞき見ることができる。
「An Insignificant Man」は、活動家から政治家に転身し、AAPを立ち上げたアルヴィンド・ケージュリーワールが、2013年のデリー州議会選挙で歴史的な勝利を収める前後を、AAP内部に入り込んで撮影した映像によって作り上げられた迫力あるドキュメンタリー映画である。当時の世相をそのまま真空パックして保存したような作品である。特にインドの政治に関心がある人にはうってつけの作品だ。