インドでは一般的に恋愛結婚は認められておらず、社会的な慣習に従って、適切な相手とのアレンジドマリッジが行われる。適切な相手というのは、同じ宗教、同じカースト、そして異なるゴートラの相手ということである。ゴートラというのは分かりにくいが、氏族のようなもので、同じゴートラに属する人々は大きな意味での家族親戚だと考えられており、その中での結婚が認められないのである。もし、宗教、カーストを超えた結婚をしようとしたり、同じゴートラの中での結婚をしようとしたりしたら、最悪の場合、名誉殺人という結果を招く。不適切な結婚を認めるぐらいならば、家族の名誉、コミュニティーの名誉を守るために、当人たちを殺してしまうのである。
2015年7月3日公開の「Guddu Rangeela」は、名誉殺人を主題にしながらも、ブラックコメディータッチで作られた映画である。監督は「Phas Gaye Re Obama」(2010年)や「Jolly LLB」(2013年)のスバーシュ・カプール。コメディー映画を得意とする映画監督だ。主演はアルシャド・ワールスィー、アミト・サード、アディティ・ラーオ・ハイダリー。悪役をローニト・ロイが演じる他、シュリースワラー、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ、ブリジェーンドラ・カーラー、アチント・カウル、アミト・スィヤール、ラージーヴ・グプター、ヴィーレーンドラ・サクセーナーなどが出演している。
グッドゥー(アミト・サード)とランギーラー(アルシャド・ワールスィー)の兄弟は、ハリヤーナー州で楽団をしながら、盗賊の手先としても働く小悪党たちだった。あるとき、バンガーリー(ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ)から誘拐の仕事を引き受ける。チャンディーガルから一人の女の子をデリーまで連れて行くという内容だった。警察への賄賂のために100万ルピーが必要だったグッドゥーとランギーラーは標的の女性ベイビー(アディティ・ラーオ・ハイダリー)を首尾良く誘拐するが、急に作戦変更となり、デリーの代わりにシムラーの隠れ家にしばらく捕まえておくことになった。隠れ家の管理人はチュンニーラール(ブリジェーンドラ・カーラー)といった。 ところが、実はこれは狂言誘拐で、誘拐の依頼主はベイビー自身であった。ベイビーの姉婿ビッルー・ペヘルワーン(ローニト・ロイ)は暴力と恐怖で支配する政治家で、彼女の姉を殺し、再婚していた。ベイビーはビッルーの家に隠しカメラを仕掛け、彼に都合の悪い映像を集めていた。その映像を使ってビッルーを脅迫しようとしていたのである。また、10年前にランギーラーはバブリー(シュリースワラー)と異カースト間結婚をしたが、ビッルーによって妻と父親を殺されてしまっていた。グッドゥー、ランギーラー、ベイビーの3人は、ビッルーに復讐するために一緒に計画を練り始める。 しかし、バンガーリーのヘマのせいで居所がばれてしまい、バンガーリーは捕まってしまう。ビッルーの一味がシムラーに向かっている間にグッドゥーとランギーラーはバンガーリーを助け出す。一方のビッルーは、ランギーラーの正体を知る。実はバブリーは生きており、ビッルーはバブリーを使ってランギーラーたちをおびき出そうとする。 ランギーラーとバブリーは10年振りに再会する。だが、グッドゥーとベイビーも捕まってしまい、四人は郊外で殺されそうになる。そこへ武装したチュンニーラールとバンガーリーが駆けつけ、反撃に出る。グッドゥーは負傷するが、ベイビーとバブリーはビッルーを殺す。
ハリヤーナー州の農村で横行する名誉殺人、その判決を下す村落会議カープ・パンチャーヤト、そしてコミュニティーの尊厳を守るという口実の下に暴力と恐怖で地域を支配する政治家、それを止められない州首相。「Guddu Rangeela」が物語を構成する部品として取り上げた事象は適切なものであった。だが、そこに狂言誘拐という余分な要素を混ぜ込み、グッドゥーとランギーラーという小悪党を主人公にしてコメディータッチを加え、最後は安っぽいアクションシーンでまとめていたため、全体的には駄作のそしりを免れない残念な完成度になっていた。
アルシャド・ワールスィー、アミト・サード、そしてアディティ・ラーオ・ハイダリーはそれぞれ与えられた役柄をしっかり演じていた。だが、悪役を演じたローニト・ロイの演技の次元が違いすぎて、主演3人の存在感が薄まってしまっていた。特に彼の発するヒンディー語ハリヤーンヴィー方言の台詞には鳥肌が立った。ローニト・ロイの生い立ちや経歴を見ると、ハリヤーナー州とは全く関係がないはずで、この映画のためにハリヤーンヴィー方言を習得したのだと思われる。現代のヒンディー語映画界において、優れた役者の一人であることは確実である。
ランギーラーとバブリーが結婚したことの何がいけなかったのか、明確にされていたわけではなかったが、台詞の端々から察せられるところでは、ランギーラーのカーストが低く、バブリーのカーストが高かったことが原因だったと思われる。グッドゥーとランギーラーの家の壁に飾られていたアンベードカルの絵から推測されるのは、二人がダリト(不可触民)だということだ。だが、そこまで掘り下げて描写されていたわけではなかった。
ハリヤーナー州の村落部ではカープ・パンチャーヤトと呼ばれる村落議会が絶大な権力を握っており、特にコミュニティーに関する事柄などについて長老たちが慣習法に基づいて判決を下す。ランギーラーとバブリーは異カースト間結婚をしたためにカープ・パンチャーヤトから死刑宣告が下された。二人は裁判所に出頭して自由意志によって結婚したことを主張し、警察の護衛が付いたのだが、警察官もビッルーの脅迫に屈し、ランギーラーとバブリーは無防備のまま逃亡することになる。ランギーラーの父親は焼き殺され、ランギーラーは撃たれて負傷し、バブリーは死んだと思われていた。だが、10年後にバブリーは生きていたことが分かるという、とんでもないストーリーだった。
ランギーラーとバブリーの結婚は、2007年に実際にハリヤーナー州で起こったマノージとバブリーの名誉殺人事件を基にしているとされている。マノージとバブリーは同じゴートラで結婚したためにカープ・パンチャーヤトから死刑宣告された。裁判所に出頭して結婚の正当性を主張し、警察の護衛が付いたものの、結局は警察も彼らを護衛し切れず、二人とも殺されてしまった。
「Guddu Rangeela」は、インド社会の深刻な悪習である名誉殺人を主題にした映画であるが、過度に娯楽映画化しており、しかも娯楽要素の詰めも甘いため、完成度の低い作品で終わっている。もう少しテーマを絞った作りになっていれば良かった。