2015年6月26日公開の「Uvaa」は、学園モノのお馬鹿なコメディー映画と思いきや、2012年のデリー集団強姦事件をきっかけにインド全土に拡大した女性の安全問題に関して強烈な主張を訴える目的の映画であった。題名はヒンディー語で「若者」を意味する「युवा」をもじったものである。
監督はジャスビール・バーティー。これまでTVドラマを撮ってきた監督で、映画を作るのは初めてだ。キャストは、ジミー・シェールギル、オーム・プリー、ラジト・カプール、サンジャイ・ミシュラー、サングラーム・スィン、アルチャナー・プーラン・スィン、ヴィクラーント・ラーイ、ラヴィン・R・ゴーティー、モーヒト・バゲール、ブーペーンドラ・スィン、ローハン・メヘラー、ユクティ・カプール、ヴィンティー・イドナーニー、プーナム・パーンデーイ、ネーハー・カーン、ラージュー・マヴァーニー、エレナ・カザンなどである。
無名の若手俳優が前面に押し出されているが、脇を固めているのは定評あるベテラン俳優ばかりである。
地元の名士フクム・プラタープ・チャウダリー(オーム・プリー)の5人の孫、ラーム・プラタープ・チャウダリー(ヴィクラーント・ラーイ)、ヴィクラム・ティヤーギー(ラヴィン・R・ゴーティー)、サルマーン・カーン(モーヒト・バゲール)、ディーン・バンドゥ(ブーペーンドラ・スィン)、アニル・シャルマー(ローハン・メヘラー)は、学校で問題を起こしてばかりいた。そこでフクムは彼らを、校則が厳しいことで有名な名門校アラーヴァリー・インターナショナル・スクールに入れる。同校の校長(ラジト・カプール)は彼らを叩き直すことを約束する。 五人はすぐにでも学校を辞めたいと思っていたが、それぞれ気になる女の子ができ、ずるずると学校を続けることになった。ラームはマーラー(ネーハー・カーン)と、ヴィクラムは校長の娘ローシュニー(ユクティ・カプール)と、ディーンはニシャー(ヴィンティー・イドナーニー)と、アニルはプージャー(プーナム・パーンデーイ)と仲良くなった。サルマーンは英語教師カナクラター(エレナ・カザン)に惚れていた。 あるとき、五人はニシャーの家で勉強合宿を開くが、ニシャーの母親ジャイシュリー(アルチャナー・プーラン・スィン)は粗雑な五人を歓迎しない。夜にラーム、ヴィクラム、アニルの三人は散歩に出掛けるが、そこでレイプの被害に遭った女性を見掛け、病院に送り届ける。翌朝、その女性は校長の娘ラシュミーであることが分かった。校長は被害届を出すことをためらう。三人は証人になると名乗り出て校長を説得する。被害届が提出され、刑事裁判が行われる。弁護士のジャイシュリーは検事を務めた。 ラシュミーをレイプした3人の犯人は、警察に影響力を持つ悪人ディーワーン(ラージュー・マヴァーニー)の息子たちだった。彼らの弁護士は逆にラーム、ヴィクラム、アニルを犯人だと証明しようとする。おかげで三人は逮捕されてしまう。 アラーヴァリー・インターナショナル・スクールの生徒たちは三人の無罪を主張し運動を開始する。テージヴィール・スィン警視(ジミー・シェールギル)はディーワーンから賄賂を受け取り証拠を偽造したと証言し、ディーワーンの息子たちをタイで性転換させてしまったと言う。裁判官はラーム、ヴィクラム、アニルの無罪を言い渡し、テージヴィール警視が勝手に真犯人に科した罰を承認する。
キャストにジミー・シェールギル、オーム・プリー、サンジャイ・ミシュラーなど、渋い俳優たちの名前が見えるが、それに騙されてはいけない。彼らは単なる脇役であり、この映画の中心ではない。よって、彼が限られた出番でいくら名演技を見せようとも、映画全体を救うことはできない。
大半の人は開始1分でこの映画を駄作だと見破るだろう。逆に冒頭から駄作だと教えてくれるのは親切だと感じられる。冒頭で映画を観るのを辞めれば残りの2時間を無駄にしなくて済むからだ。導入部が過ぎると、山なしオチなし意味なしの学園恋愛ドラマが始まり、頭を抱えてしまう。
それでも、この映画は冒頭から観客に謎を提示している。ラーム、ヴィクラム、アニルの三人が刑務所に入る姿が映し出され、そこから回想シーンに飛んで、何があったかが少しずつ明らかになっていくのである。その謎を知りたかったから、そのまま映画を見続けるしかない。
意外なことに、こんなふざけた映画ではあったが、最終的にはレイプ撲滅を訴える社会派映画に様変わりする。前半では主人公の五人組は散々セクハラまがいのアプローチを繰り返すのだが、後半にはそんなことも忘れて女性の立場に立って運動をし始める。その点から自己矛盾しているのだが、最初から期待していないので、そういう突っ込みは控えておく。
この映画が取り上げていたのは、レイプ問題の中でもあまり語られてこなかったものだった。それは、被害者の親が被害届を出さずに泣き寝入りしようとするケースである。今回、被害者は意識不明状態になっており、自分の意志で被害届を出せなかった。そこで父親にその選択権が生じるわけだが、犯人が有力者の息子たちだったため、躊躇した。下手すると、被害者を助けた三人が容疑者にされ、一生裁判所通いをしなくてはならなくなるかもしれない。それを理由に父親は積極的に被害届を出そうとしなかった。
面白いのは、その父親が学校の校長だったことである。校長は普段から生徒たちに正義のために戦うことを教えていた。しかしながら、自分が娘の正義のために立ち上がることで、周囲の人々が大きなトラブルに巻き込まれることを恐れた。それでも、教師や生徒たちから説得され、彼は被害届を提出することを決断する。
また、最終的にレイプ犯たちには性転換という仰天の罰が与えられた。つまり、レイプ犯の男性器を切除し女性にしてしまうというものだ。強姦事件があったとき、市井からはレイプ犯に対して男性器の切除を求める声がよく上がるが、この映画は本当にそれをして見せ、しかも女性にまでしてしまった。さらに、その罰は、自身の収賄を反省した警察官が犯人に対して勝手にやってしまったもので、裁判長は後追いでその罰を認めた。全体としてこの映画は、レイプ犯には性転換を、という主張をしていることになる。レイプを取り上げた映画は多いが、このような破天荒な提案をする映画を観たのは初めてだ。
レイプの被害にあったラシュミーは、レイプ以上のことをされたと説明されていた。強姦を受けただけでなく、内臓を引き出されていたという。これは完全にデリー集団強姦事件の被害者の状況と同じである。
ベテラン俳優たちの演技はさすがだったが、若手俳優たちにはほとんど望みを感じなかった。主人公格の学生キャラは合計9人いたが、個性を立てての描写および個性を出す演技の両方に失敗しており、名前と顔が一致しないまま映画を見終えることになってしまった。
「Uvaa」は、一言でいってしまえばどうしようもない駄作である。しかしながら、オーム・プリーなどベテラン俳優の起用がある点、また、デリー集団強姦事件を受けてレイプに対する強い反対の声を上げている点で特筆すべきだ。さらに、レイプ犯の罰は性転換という過激な提案までしている。観るべき価値のある映画ではないが、話の種にはなる。