2012年12月16日の夜、23歳の女子医学生が6人の男性に集団強姦されるという事件が起きた。一般的に「デリー集団強姦事件」と呼ばれているが、当初被害者の名前は公表されておらず、メディアが彼女を「ニルバヤー(恐れ知らず)」という仮名で呼んだため、「ニルバヤー事件」と呼ばれることもある。インドの新聞紙を開くと毎日のように強姦事件の記事が掲載されているが、このニルバヤー事件は人々の注目を集め、すぐに大きな社会運動に変化していった。その理由はいくつか考えられるが、ニルバヤーは単に強姦されただけではなく、局部に鉄の棒を突っ込まれ内蔵を引き出されるという残忍な凶行を受けたことが人々に大きなショックを与えたと考えられる。残念ながらニルバヤーは生き残れなかったし、インドにおける女性の治安問題が改善されたわけでもないが、この事件はインドの現代犯罪史における分水嶺になっており、非常に重要である。
2015年3月4日にBBCで放送された英国のビデオ映画「India’s Daugher」は、ニルバヤー事件に関してのドキュメンタリーである。監督は英国人人権活動家のレスリー・ウドウィン。インド人の監督ではない点に注意が必要だ。
このドキュメンタリーはインドにおいて大変物議を醸した。それまでほとんど公にされてこなかったニルバヤーの本名が堂々と公表されていた上に、犯人の一人で死刑囚のムケーシュ・スィンのインタビューが含まれていたからである。BBCはこのドキュメンタリーをインドでは放映しなかったが、すぐにYouTubeに違法アップロードされてインド人が視聴できる状態になり、炎上した。
「India’s Daughter」では、CCTVの映像を含む、事件に関するあらゆる映像が効果的に使われ、犯人の人物像、被害者の生い立ち、そして社会の反応など満遍なく触れられており、ニルバヤー事件を知る上で非常にいい資料になっている。
その中でもやはりもっともショッキングなのはムケーシュ・スィン死刑囚のインタビューである。死刑が確定した後もムケーシュ死刑囚の発言に反省の色はほとんど見られず、レイプの被害にあった女性側にも非があるとの主張を繰り返していた。彼らを弁護した弁護士たちも、女性が身をわきまえた行動をすべきなど、極度に男尊女卑的な発言をしており、同じくらいショッキングだ。
また、決して加害者側を一方的に断罪する編集にもなっておらず、このような犯罪者を生んだインド社会の病巣にも切り込もうとしていたし、加害者の家族にもインタビューすることで、いかに彼らが貧困に苦しんでギリギリの生活をしているのかも見せている。ニルバヤー事件を起こした犯人たちを、突然変異的な異常者だと悪者に仕立てあげて責めるのは簡単だが、加害者の周辺のいる人々のインタビューを聞くと、こういう環境に育ったことがそもそもの原因だと、やるせない気分にさせられる。
「India’s Daughter」では、被害者の名前はジョーティ・スィンであることが明かされ、その両親のインタビューも使われている。彼らは別にメディアに対して娘の本名を非公表にして欲しいと頼んだわけではないようだ。逆に、「灯り」という意味の「ジョーティ」を名前に持つ娘がインド社会に投げ掛けた波紋の大きさを誇りに思っており、もっと広めて欲しいとの意向も聞かれた。
映画の最後には、インド以外の国での女性に対する犯罪の状況が列挙され、強姦など女性の安全に関する問題はインドに限定されないことが示される。
「India’s Daughter」は、2012年のデリー集団強姦事件を、実際の映像と関係者のインタビューを交えて取り上げ、視聴者にそれが意味するものを考察させるドキュメンタリーである。特に犯人のインタビューがあるのが衝撃的で、かつ犯人が死刑確定した後も全く反省していないことに絶望的な気分にさせられる。だが、これがインドの現実であり、その改善のためにどんなに道のりが長いとしても一歩ずつ進んでいかなければならないという強い思いを抱かせられる作品だ。