「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、ドキュメンタリー映画「Blood Brother」を観た第一の感想がそれだった。
「Blood Brother」は、HIVに感染した子供たちをボランティアで世話する米国人男性ロッキー・ブラートを追った作品である。監督はロッキーの親友スティーヴ・フーバー。2013年1月20日にサンダンス映画祭でプレミア上映された。日本でも「ブラッド・ブラザー」の邦題と共にTVで放映されたことがあるようだが、AIDS患者の病状を赤裸々に映した映像もあることから、カットが入ったようだ。アジアンドキュメンタリーズでは敢えてノーカット完全版が配信されている。
スティーヴとロッキーは10年来の親友だったが、ロッキーは何を思ったかインドへ旅立ち、そこに長く住み着く。彼は南インドのタミル・ナードゥ州にあるHIVに感染した子供や女性が暮らす施設でボランティアをしていた。ロッキーに誘われたスティーヴは、渋々インドを訪れることになる、というのが導入部である。
最初は、HIVへの感染を恐れていたスティーヴも、子供たちから慕われ愛されるロッキーの生き様を見て次第に感化されていく。そしていつしか彼にとっても子供たちが掛け替えのない存在になっていく。
同じような筋の映画はフィクション映画なら他にいくらでもありそうだ。この映画がユニークなのは、そんな作られたような感動作が、実際の映像によって語られていることである。スティーヴは筋書きや計画なしにロッキーの姿を撮影し始めたと思われるが、ロッキーの生き様がその映像を最高の作品に仕上げていた。
驚くべき展開としか表現できないのが、一度死にかけた子供をロッキーが必死の看病により生き長らえさせたことだ。AIDSの末期症状となったスーリヤという子供をロッキーは病院に寝泊まりしながら看病し続ける。スティーヴのカメラはスーリヤの重い病状を残酷に映し出す。AIDSは誰でも聞いたことがある病気だが、AIDSの末期患者がどのような姿になるのか、リアルに知っている人はほとんどいないだろう。だが、この「Blood Brother」のノーカット版は全てをありありと映し出す。この映像を観た人は、誰もがスーリヤは助からないと思うだろう。医者も奇跡しか彼を助けられないと半ばさじを投げていた。視聴者はその後に起こるべき悲しい結末に身構える。
しかし、なんとスーリヤは生き残る。AIDSを発症し、皮膚がただれ、唇が崩壊し、目も開けられなくなったような子供が、どうして生き残ったのか、全く分からない。だが、彼は生き残った。フィクション映画なら反則の判定が出るところだが、事実を捉えたドキュメンタリー映画なので、その奇跡をただただ感動して受け入れるしかない。ロッキーはそれを神のおかげだと言い、病院はそれをロッキーのおかげだと言った。
それでも、救えなかった命もたくさんあった。特にヴェミティの死は大きく取り上げられていた。彼女はHIVの感染者ではなく、村に住んでいた子供だった。彼女がどんな病気に罹ったのかは明言されていなかったが、両親が病院へ連れて行くことを躊躇していたために重症化し、ロッキーが病院に運んでいる内に息を引き取ってしまった。重いシーンであった。
インドの村の後進性も包み隠さず映し出されていたのは逆に好感が持てた。ロッキーがボランティアをしていた施設にはHIV感染者の子供や女性が住んでいたのだが、どうもその施設が立地していた村の人々には、彼らがHIV感染者だとは知らされていなかったようである。しかし、それが知れ渡ると村中に衝撃が走り、誰もロッキーに近付こうとしなくなった。ロッキーのことも感染者だと考えたのである。ロッキーは、村人の生活レベルは70~80年遅れていると語っていた。
映画は、ロッキーが地元の女性ニルマラーと結婚するシーンで終わる。ロッキーはインドに留まり続けることを決意し、インド人女性と結婚したのである。彼はそれを、「インドとの結婚」と表現していた。
まるでフィクション映画のように美しくまとまったストーリーだったが、これはHIVに感染した子供たちに献身し続けたロッキーの身に本当に起こった出来事である。それゆえに感動もひとしおだ。また、ロッキー自身が作った映像作品ではなく、その親友が傍から彼の様子を撮り続けているスタイルも成功の要因であろう。ロッキーと距離を取りながらも、徐々に彼と一体化していく様子がうまく捉えられており、それがまた観客をロッキーの世界に引き込んでいる。
「Blood Brother」は、インドを題材に撮られたあらゆるドキュメンタリー映画の中で最高傑作と呼べる作品だ。全力で突き進んでいる人のこういう姿を見せられたら、感服するしかない。必見の映画である。