Ustad Hotel (Malayalam)

4.5
Ustad Hotel
「Ustad Hotel」

 2012年6月29日公開のマラヤーラム語映画「Ustad Hotel」は、ビリヤーニー(インド風炊き込みご飯)を名物とする老舗食堂「ウスタード・ホテル」を巡る祖父と孫の物語である。国家映画賞を受賞するなど、非常に高い評価を受けている。日本でインド映画を配給するSpace Boxが日本語字幕付きのDVDを販売しており、邦題は「ウスタード・ホテル」になっている。2024年10月20日にそのDVDで鑑賞し、このレビューを書いている。

 監督はアンワル・ラシード。脚本はアンジャリ・メーナン。主演はドゥルカル・サルマーン。他に、ティラカン、ニティヤー・メーナン、スィッディーク、ジャヤプラカーシュなどが出演している。また、マラヤーラム語映画俳優アースィフ・アリーが本人役で特別出演している。

 題名の「ウスタード」とは「師」「匠」「達人」などを意味する称号である。料理の分野のみならず、宗教、芸術、学問など、あらゆる分野における巨匠をこの称号で呼ぶ。イスラーム教徒と相性のいい称号である。また、「ホテル」は日本人の抱くホテルとは異なり、「食堂」を意味する。南インド特有の用法である。

 ケーララ州コーリコード(旧名カリカット)生まれ、ドバイ育ちのファイザル(ドゥルカル・サルマーン)は、幼い頃から料理に興味があった。彼の祖父カリーム(ティラカン)はコーリコードの海岸で「ウスタード・ホテル」という食堂を経営していたが、父親アブドゥル(スィッディーク)は料理人家系であることを嫌い、カリームとは袂を分かって独立し、事業家になっていた。そんな経緯もあって、アブドゥルはファイザルが料理の道を目指すことを認めなかった。

 それでも料理を極めたかったファイザルは、スイスに留学し、ホテル経営を学んでいる振りをしてシェフの修業をしていた。ファイザルの4人の姉は、彼にクリスティーナという白人の恋人ができ、ロンドンのレストランで就職が決まったと聞いて、このままファイザルが戻らなくなることを心配し、彼に秘密でお見合いをアレンジする。インドに呼び戻されたファイザルは、シャハーナー(ニティヤー・メーナン)とお見合いをする。だが、ファイザルが料理人であると知って縁談は破談となり、アブドゥルは彼を勘当してしまう。

 行き所を失ったファイザルはカリームの元に身を寄せる。父親にパスポートを取り上げられたため、再発行までの期間、厄介になる積もりだった。ウスタード・ホテルでしばらく下働きをし、料理を習った後、彼はカリームの紹介で、近くの高級ホテル「ビーチベイ」のレストランでシェフとして働き出す。

 また、ファイザルはシャハーナーと再会する。彼女は家族に内緒でロックバンドのボーカルを務めていたが、メヘルーフという傲慢な男性との結婚が決まっていた。

 ファイザルは、カリームが多額の借金を抱え、ビーチベイがウスタード・ホテルの土地を狙っていることを知る。ファイザルはビーチベイの職を辞し、何とか買収を阻止しようとするが、ビーチベイはウスタード・ホテルの衛生不備を通報し、一定期間の閉鎖に追い込む。ファイザルはインテリアデザイナーの資格を持つシャハーナーの助けを借り、ウスタード・ホテルのリノベーションを行って、当局の衛生検査をパスする。

 ファイザルは既にクリスティーナから振られており、ロンドンでの就職の話も立ち消えになっていたが、ビーチベイに客員シェフとして来ていた白人シェフ、フィリップのコネで、パリのレストランで働くオファーをもらう。ウスタード・ホテルが復活し、自分のキャリアも開けることに浮かれていたファイザルだが、そのときカリームは心臓発作を起こして倒れてしまう。一命を取り留めたカリームからファイザルは、マドゥライの友人に手紙を届ける任務を引き受ける。

 マドゥライで出会ったのはナーラーヤナン・クリシュナン(ジャヤプラカーシュ)という人物だった。彼は元々タージ・ホテルのシェフだったが、飢えた人々を救うためにシェフを辞め、社会活動に専念していた。彼の活動を目の当たりにしたファイザルは、心を満たすシェフになることを決意する。

 コーリコードに戻ると、カリームは既に巡礼の旅に出てしまっていた。ファイザルはパリ行きを止め、カリームの後を継いでウスタード・ホテルを切り盛りするようになる。

 「幸せとは何か」を改めて問い直す感動作は古今東西枚挙に暇がないが、この「Ustad Hotel」は食の方面から人生を見つめ直す物語になっており、ユニークである。

 主人公のファイザルは、幼い頃から料理に興味があったが、父親の理解が得られず、スイスに留学して内緒で料理の修業をしていた。彼は決して父親の言いなりにはなっておらず、自分のやりたいことをやっていたといえる。だが、彼の故郷であるコーリコードや、家族の住むドバイは眼中になかった。彼はそのままヨーロッパでシェフとしてのキャリアを積みたいと考えていた。

 ファイザルがコーリコードに長く滞在することになったのは偶然の連鎖によってであった。4人の姉たちがファイザルを落ち着かせるためにお見合いを仕込み、それがきっかけで彼のシェフ修業が父親にばれ、パスポートを取り上げられて勘当されてしまう。仕方なく彼は、食堂を経営する祖父のところに転がり込んだ。

 父親アブドゥルと祖父カリームは正反対の人物だった。アブドゥルは金儲けを優先し全てを計画通りに推し進めようとする実業家であったが、カリームは金儲けよりも人の縁を大事にし、腹を満たすよりも心を満たす料理を提供することに誇りを持っていた。上昇志向の強いファイザルはどちらかといえばアブドゥルに似た価値観を持っていたが、カリームと共に過ごし、彼の生き方を学ぶ内に、料理人としての真の使命に目覚める。

 ただ、実際に彼の人生観を大きく変えたのは、カリームではなくナーラーヤナン・クリシュナンであった。実はナーラーヤナンは実在の人物である。映画で説明されていたとおりで、高級ホテルであるタージ・ホテルのシェフを務めていながら、道端で飢えのあまり自分の排泄物を食べていた浮浪者を見て衝撃を受け、以後、飢えに苦しむ人々に無料で食べ物を配る活動に身を投じるようになった。

 アブドゥルもカリームと共に聾唖学校を訪れ、ウスタード・ホテルで学んだ「カリームのビリヤーニー」を振る舞う。子供たちは嬉しそうにビリヤーニーを頬張り、ファイザルに手話でお礼を言う。彼にとっては、料理を振る舞った張本人の心を満たすほどの体験だった。

 ファイザルは、パリ行きを決めていたが、ナーラーヤナンとの出会いを経て、見知らぬ土地で裕福な客の腹を満たすよりも、故郷で地元の人々の心を満たす方に生き甲斐を見出す。彼の決断にはどうしても感動してしまう。

 ただ、このストーリーの細かい部分に疑問を感じなかったわけではない。ファイザルの人生観を転換させるのに、わざわざナーラーヤナンを登場させる必要があっただろうか。カリームとの語らいで十分ファイザルの心変わりを演出できたはずである。ウスタード・ホテルの外観や内装はとても味があったのだが、ファイザルの代になってやたらとギラギラしたレストランになってしまった。これも残念な点であった。カリームが3年前にした借金の理由もよく分からなかったし、シャハーナーとの関係もあっさりとしか描写されていなかった。それにしても、シャハーナーはロック歌手になりたかったのではなかったのだろうか。

 そもそも、老舗の食堂が、大手のホテルやレストランから買収されそうになるというプロットは、この手の映画にありがちな展開であり、新鮮味は少ない。

 そのような欠点はありながらも、誠実さ溢れる作品であり、音楽も良い。マラヤーラム語映画界のスーパースター、マンムーティの息子ドゥルカル・サルマーンの初々しい演技も良かったが、もっとも心を奪われるのはカリームを演じたティラカンの演技だ。全てを見透かしたのような穏やかな老料理人の姿を全く自然に演じていた。残念ながらこの映画が彼の遺作になった。「Ustad Hotel」は、マラヤーラム語映画の底力を示すのに十分な完成度を誇る映画である。

 マラヤーラム語映画なので、セリフは基本的にマラヤーラム語であるが、少しだけヒンディー語のセリフも聞こえてきた。また、カリームが最後に巡礼に出掛けるのは、ラージャスターン州アジメールのモイーヌッディーン・チシュティー廟である。南アジア最大のスーフィー聖者廟のひとつだ。それでも、ケーララ州のイスラーム教徒にとってもモイーヌッディーン・チシュティー廟が巡礼地として扱われているのを見るのは新鮮だった。もっとも、ロケは現地では行われていない。

 「Ustad Hotel」は、食を通して幸せの意味を問い直す、マラヤーラム語映画の傑作である。食がテーマなだけあって、ビリヤーニーやパローターなど、インド料理が多数登場する。主人公は最終的に心を満たす料理を目指すのだが、観ていると腹が減ってくる映画でもある。数々の賞に輝いた上に興行的にも成功した。必見の映画だ。