3 (Tamil)

3.5
3
「3」

 YouTube黎明期、インドでもっとも早く全国的にバイラルになったYouTube動画が「Why This Kolaveri Di」であった。この曲は2012年3月30日公開のタミル語映画「3」の挿入歌であったが、映画公開前にYouTubeにこの曲がメイキング映像と共にアップロードされ、大変な話題を呼んだ。ナンセンスな歌詞の曲だったが、メロディーに何ともいえない郷愁があり、しかもダヌシュ、シュルティ・ハーサン、アイシュワリヤー・R・ダヌシュというタミル語映画界の3人のスターキッドたちがスタジオで楽しんで作っている様子が好感を呼んだと思われる。「3」は数々の賞を受賞するなど高く評価されたが、やはり第一には「Why This Kolaveri Di」で記憶されている映画である。

 監督はアイシュワリヤー・R・ダヌシュ。何を隠そう、タミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーントの長女である。「3」は彼女の監督デビュー作になり、脚本も担当している。また、映画公開時、アイシュワリヤーはダヌシュの妻でもあった。彼女は自分の夫を主演に据えて「3」を撮ったのである。また、ヒロインのシュルティ・ハーサンは、これまたタミル語映画界のスーパースター、カマル・ハーサンの娘だ。他にはシヴァカールティケーヤン、スンダル・ラームー、プラブなどが出演している。

 この映画の公開時にはインドにいたが、鑑賞したのは2023年5月11日である。Netflixで「3」のテルグ語版が配信されていたのでそれを観た。よって、今回のレビューはオリジナルのタミル語版を観てのものではないことに注意が必要である。若干、登場人物の名前が違ったが、下のあらすじではタミル語版に合わせてある。

 ジャナニー(シュルティ・ハーサン)は夫ラーム(ダヌシュ)の突然の死を悲しんでいた。警察から検死結果を聞いたジャナニーは驚き、死ぬ直前に彼と一緒にいたセンティル(スンダル・ラームー)を探し出して事情を聞く。

 ラームとジャナニーは高校時代に出会い、恋に落ちた。彼らはそれぞれの両親に関係を内緒にし大学時代を過ごした。だが、ジャナニーの両親が彼女を連れて米国に移住しようとしたため、ジャナニーはパスポートを焼き捨て、ラームの存在を明かす。家を追い出されたジャナニーはラームのところへ行き結婚を迫る。ラームは父親(プラブ)にジャナニーと結婚することを伝える。父親はそれを許し、彼らにアパートの一室を与える。こうしてラームとジャナニーは新婚生活を送るようになったのだった。

 ところが、センティルはラームの異変に気づき始めていた。突然、喜怒哀楽の感情が激しくなるのである。センティルに暴力を振るうこともあった。センティルが精神科医に相談したところ、双極性障害ではないかと診断される。だが、ラームはジャナニーにその病気のことを黙っていた。本当は入院が必要だったが、それも拒否した。ラームは、ジャナニーと一緒にいるときにその発作が現れることを恐れており、センティルを自分の家に住まわせて監視させた。だが、ジャナニーはラームの異変を自分への愛情がなくなったと受け止める。二人の関係は急速に悪化する。

 あるとき、ラームは眠っているジャナニーに対してナイフを振り上げた。センティルに止められたが、もはや自分の存在がジャナニーにとって脅威になっていると感じたラームは自殺を考える。ラームはセンティルを気絶させ、遺書を書いて自殺する。

 以上の経緯をセンティルから聞いたジャナニーは泣き崩れる。

 前半と後半でガラリと雰囲気が変わる映画だ。前半は主にラームとジャナニーがどのように出会い、愛を育んでいったかがスローペースでじっくりと描かれる。ラームの口説き方はほとんどストーカー紛いのもので、当初はジャナニーも彼を拒絶するのだが、いつの間にか彼が気になる存在になっており、とうとう彼の愛情を受け入れる。インド映画にこの種の馴れそめはよくあるのだが、これがインド人男性に、意中の女性を口説くにはまずストーカー行為をすればいいという勘違いをさせてしまっている。これが女性監督の作品にまで登場するというのは、事態は深刻といわざるを得ない。もしかして、インド人女性の方もストーカーされたい願望を持っているのであろうか。

 前半までは本当に何の変哲もないストーリー展開でムズムズしてくるほどだ。ラームとジャナニーの結婚も意外にすんなりと行き、二人の甘い新婚生活が始まる。だが、中盤の「Why This Kolaveri Di」辺りから映画は急にダークな雰囲気になる。ラームが抱える双極性障害が徐々に明らかになるからである。

 もっとも、映画の冒頭では既にラームの死が提示されており、二人の恋愛には不幸な結末が待っていることは十分に示唆されていた。しかしながら、彼の死因はずっと伏せられており、ミステリーとして観客をストーリーに引き付け続ける。この幸せなカップルがどのように不幸に陥ったのか、ようやくそのヒントが見つかるのが双極性障害というキーワードが登場する中盤なのである。

 しかしながら、ラームを本当に死に追いやったのは病気ではなかった。彼はその病気をジャナニーに隠し通そうとした。それが致命傷となったのである。もし全てをジャナニーに打ち明けていれば、すんなりと入院もできただろうし、快方にも向かったことだろう。だが、ラームはそれを頑なに拒否し、友人のセンティルも強制できなかった。急に豹変したラームを見て、ジャナニーは理由が分からずただうろたえる。彼の浮気を疑うが、ラームは何も答えない。ラームは、不気味な幻から、ジャナニーを殺すか自殺するかという選択を迫られ、最終的に自分の喉をナイフでかっ切って死ぬ。

 前半と後半の落差があまりに激しく、しかも不幸なエンディングだったこともあって、後味は良くなかった。ジャナニーに病気をひた隠し自殺の原因を作り出したラーム、ラームに逆らえなかったばかりに彼を救う手段を採れなかったセンティル、そしてただ運命に翻弄されるだけに終わったジャナニーと、それぞれが不幸な結末の立役者になってしまっていたのも救いがなかった。この三人が異なった行動を少しでも取っていれば、もしかしたらラームの命は救えたかもしれないと思うと、なおさら気が重くなる。

 アイシュワリヤー監督がなぜこんなヘビーな映画を撮ろうと思ったのか疑問にすら感じるのだが、ダヌシュの演技力を際立たせる効果は間違いなくあった。ダヌシュは、マッチョマンだらけのインド映画界にいながら全然筋力がないスターなのだが、おかげで男性の弱さを演じさせたら真に迫るものを出すことができる。特に、何度か躊躇しながらも自殺をするときの演技は素晴らしかった。タミル語映画界の至宝である。

 シュルティ・ハーサンも演技面でダヌシュに負けていなかったが、何より彼女の薄幸そうな容姿が際立つ映画だった。まだデビューから間もない頃だったが、既に大女優の風格が漂っている。

 「Why This Kolaveri Di」はこの映画の最大の見所だが、他にも多くの耳に残る挿入歌があった。何か新しい風をタミル語映画界に吹き込もうという気概が感じられる曲作りで、モダンでレトロなメロディーの曲が多かったと感じた。

 それにしても、題名の「3」が何を表しているのか、映画を最後まで観たが、はっきりとした理由は分からなかった。ラームが死ぬ前、ラーム、ジャナニー、センティルの3人暮らし時代があったが、それを示しているのだろうか。

 「3」は、「Why This Kolaveri Di」の大ヒットによって記憶されているタミル語映画である。ラジニーカーントの娘アイシュワリヤー・R・ダヌシュの初監督作品であり、彼女の夫ダヌシュの主演作でもある。そして、前半は甘くスローなロマンス映画、後半はサイコスリラー映画と、ガラリと雰囲気が変わる映画だ。後味のいい作品ではないものの、観て損はない作品である。